アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(295)松村一人「弁証法とはどういうものか」

マルクスの著作ないしはその思想を読む際には、さまざまな読み方があるに違いない。

マルクス「資本論」(1867年)に関して、マルクスの資本主義批判を好意的に理解し読み込もうとする共産主義者でも、またマルクスを批判し躍起になって否定しようとする反共論者でも、双方ともに「資本論」にての「商品」や「労働力」や「労働日」など概念理論的なことばかりに気を取られ、ともすればそれら抽象的事柄ばかりを熱心に読み解こうとするけれど、実際にマルクス「資本論」の原著を無心に読んでみると、それら理論抽象的な事だけでなく、当時の先端資本主義の産業資本下の工場現場にて、「洪水は我れ亡きあとに来たれ!」式に資本家から、婦人と児童の非熟練労働者が機械の前で長時間かつ強度に過酷に使い倒されている当時の生々しいルポ報告引用記述によっても「資本論」は成り立っていることに気付く。

そうした生々しい過酷な労働現場実態の当時の具体的告発の時事論からもマルクスの著作は構成されており、それら状況論も当然読まれるべきであると私は思うが、やはり定番のマルクス主義における理論概念の詰め方の徹底した論じ方、資本主義のみならず従来の古典経済学を批判し乗り越えるマルクス「経済学批判」の思想には誠に読むべきものが、昔の時代から変わらず現在でもある。そして、そういった理論抽象的なマルクスの読み方の最たるものとして、マルクスの思想から具体的時事論の経済や歴史や社会すらも捨象し、マルクスの哲学的な物の考え方の原理を学ぶというマルクス主義近接への読解方法があった。それら読み方のマルクス解説には「弁証法的唯物論とは何か」の「入門」とか「講座」のタイトル書籍が多い。

岩波新書の青、松村一人「弁証法とはどういうものか」(1950年)も、そうしたマルクスの哲学的な物の考え方を「弁証法」と規定し、その思考原理を学ぶアプローチの新書である。松村一人といえば、マルクス主義の哲学者でシュヴェーグラー「西洋哲学史」上下巻の日本語訳(1939年)をした人でもあった。ヘーゲル門下のシュヴェーグラーの「西洋哲学史」は誠にオーソドックスな基本の西洋哲学通史とも言える定番書籍であり、この翻訳仕事をなした松村一人の業績は今でも称賛されるべきものがある。その他、マルクス以外にも松村一人の仕事としてヘーゲル、フォイエルバッハ、エンゲルス、レーニン、毛沢東らに関する数多くの著作と翻訳がある。

岩波新書「弁証法とはどういうものか」の「まえがき」にて、著書の松村一人は次のように述べている。   

「わたしがこの本でくわだてたのは、日本の現在の弁証法の理論、理解のうえに立って、誤ったもの、不十分なものなどと対決しながら、真の弁証法の姿をあきらかにすることです。弁証法は、別に神秘的なものでもなく、また人をめんくらわせる逆説でもなく、また人にみせびらかすための飾りものでもありません。それはわれわれが現実を正しく認識し、正しい認識のうえにたってわれわれの態度をきめるもっとも進んだ科学的方法にすぎません。そのためには弁証法の理論自身ができるだけ正しく理解される必要があります。ですから、この理論をできるだけ正しい形で述べるのが、わたしのできるかぎりめざしたところです」

松村一人「弁証法とはどういうものか」の他にも私が知る限り、柳田謙十郎「弁証法入門」(1958年)や三浦つとむ「弁証法はどういう科学か」(1968年)がマルクスの唯物論的弁証法の入門解説書として優れている。いずれの著書でも弁証法は、「(1)対立物の相互浸透、(2)量質転化、(3)否定の否定」の三大公式にてまとめられている。

実は、生前にマルクス自身が「唯物論的弁証法といえば以下の三大法則」というような概要で明確に公式化したわけではない。これはマルクスの没後に旧ソ連でマルクス=レーニン主義をソビエト共産党が人民一般に「哲学的真理」として教育注入する際にテキストが公的に作成され、その時に「正統なマルクス主義」として教科書的に三大公式化されたものであった。よって三浦つとむ「弁証法はどういう科学か」などは当時のソ連の公的テキストを参照し、それを相当参考にして「唯物論的弁証法科学」の入門概説が執筆されているフシは感じられる。

マルクス・レーニン主義の唯物論的弁証法について、ここでその概要を詳細に述べる字数も力量も私にはない。いま手元にあるモーリス・コーンフォース「弁証法的唯物論入門」シリーズの「唯物論と弁証法」(1960年)の中から、「(1)対立物の相互浸透、(2)量質転化、(3)否定の否定」の三大公式について簡潔にまとめられている解説文「マルクス主義の弁証法的方法の基本的特徴」を最後に要約しておく。コーンフォースは英国のマルクス主義哲学者である。これによればマルクス主義の弁証法とは、

(1)すべてのものは絶対にそれ自体完結し孤立してあり得ず、物事相互との関係性を持ち、かつそれが有限である限り、必ずそれ自身の中にみずからを否定する矛盾を持つ。(2)すべてのものは必ず対立する他者の存在を前提とするため、他のものと相互に暫定的に関係しあい、ゆえに恒久的・究極的で不変な事物など、そもそも存在しない。あらゆる事物には生成と消滅たる変化がある。(3)したがって、万物はすべて連続的な発展・生成の中にあるとする弁証法的な考え方において、世界とは対立・矛盾の否定的媒介の統一を通して、その都度ジグザグに漸次的に例外を漏(も)らすことなく徐々に発現される、人間主体にとっての体系的理解のそれである。

の3つの要訣にて成り立っているといえる。