アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(298)奥村正二「火縄銃から黒船まで」

私は高校卒業後に普通自動車第一種運転免許の四輪を取得したら、原動機付自転車の二輪免許も自動的に付いてきたので、10代の頃から原付二輪に乗っていた。昔から乗り続けて今でも乗っている。私の場合、原付の車種は昔から「ホンダ・カブ」一択で、カブを乗り換えて今乗っているジョルカブで、これまで乗り継いできたカブは2台目になる。平均一台のカブでも15年以上、数万キロは乗った。

ホンダのカブは1952年から生産されている本田技研工業のオートバイであり、高性能で耐久性と経済性に優れ、発売開始後50年以上を経ても継続して生産販売され、日本国内のみならず世界各国でも広く愛用されている。何しろホンダのカブは、「ストップ・ゴー」を日常的に頻繁に繰り返す郵便や新聞配達の業務用バイクに採用されるくらい故障が少なくエンジンが強く、総走行距離もかなり長くまで行けて末永く乗れる日本の原付バイクの圧倒的名機なのであった。加えて燃費もよく、経済性に優れている。

そうしたホンダのカブに象徴されるような、日本人の技術的優秀さの伝統を江戸時代にまで遡(さかのぼ)り具体的に明らかにしたものが、岩波新書の青、奥村正二「火縄銃から黒船まで・江戸時代技術史」(1970年)である。本新書には続編もあって、同じく岩波新書の青、奥村「小判・生糸・和鉄・続江戸時代技術史」(1973年)も後に出ている。

「西欧近代機械技術と出会うまで、日本人はいかなる技術水準にあったのだろうか。火縄銃が伝来した十六世紀半ばから黒船が来航してきた幕末までの時代、日本人は如何にさまざまな技術をとらえ、伝え、応用していたのかを、具体的に検証する。銃砲・火薬類、造船と航海の技術、金銀銅の鉱山技術、からくりや歯車などを解明して興味深い」(表紙カバー裏解説)

著者は「江戸時代技術史」について、江戸時代の技術を振り返ることは必ずしも懐古趣味を意味するものではないという。かつ、一般に江戸時代の技術は後の明治の時代や同時代の西洋のそれと比較して極めて程度の低いものだったと信じられているけれど、しかしそうではないともいう。つまりは、江戸時代の技術には今日に連なる独自の発展を遂げた当時の技術者による工夫の優れたものが多くあった。著者によれば、「技術水準を決める二つの要素」があるとする。第一は顕在的な技術力、すなわち現実にこれまで存在した伝統的技術である。第二は技術ポテンシャル、すなわち新しい技術を受け入れ、あるいは創造する潜在的な力である。新しい先進技術の導入・定着は、第一の既存技術を踏み台の基礎にして第二の技術ポテンシャルが新技術の受容基盤となる。

例えば、全く同一の先進技術を導入した二つの国(地域)があるとして、一方はこれを十分に消化し自分のものとして発展させていくのに、他方は切り花同様に立ち枯らせてしまう事例はよくある。そしてこの両者の先進技術定着の成否は、第一の元々の既存技術の体力と、第二の新たな技術を受容し定着させて生かせる技術ポテンシャルにより決定されるのであった。さらにそれら既存技術と技術ポテンシャルの問題に加えて、技術者人材育成の制度(日本の江戸時代の場合は、各藩の藩校におけるエリート教育と寺子屋にての庶民教育がその主な役割を果たしたと本書では説明されている)と、新たな人材や技術を生み出そうとする当時の社会のエネルギーの問題があると著者は指摘する。

岩波新書「火縄銃から黒船まで・江戸時代技術史」では、冒頭に「Ⅰ・江戸時代を見る眼」の序論の総論を置き、続いて「Ⅱ・火縄銃・大筒・焔硝」「Ⅲ・御朱印船・千石船・黒船」「Ⅳ・金銀銅の鉱山」「Ⅴ・歯車とからくり─水車・和時計・ろくろなど」の4つの章よりなる。

特に「Ⅱ・火縄銃・大筒・焔硝」の章での「鉄砲伝来と普及の影響」に関する、西洋技術者による鉄砲製造の直接の指導教授がなくても「種子島での鉄砲伝来」の実物を数丁入手し分解して構造的に精密に研究したのち、短期間で鉄砲の国内量産にまでこぎ着けた当時の日本人の技術受容の適応力の高さ、独自の研鑽(けんさん)工夫の日本人の「ものづくりの底力」には、実に感服するべきものがある。さらには鉄砲本体だけでなく、付属消耗品の鉛玉や火薬の生産改良についても完全国内生産にて誠に優れた技術があったことが本書を読めば分かる。

その他、「Ⅴ・歯車とからくり─水車・和時計・ろくろなど」の章での、からくり細工の仕組みがイラスト図解を介して本書では詳しく説明されている。その「歯車とからくり」の精巧さも江戸時代の日本の技術力の高さを示す。まさに本新書の読み所といえる。

ただし、それら江戸時代の技術は、特定一家の世襲の家産や厳しい徒弟制度にて独占秘密主義の「一子相伝の秘伝」として閉鎖的に伝えられ、またそうした優れた技術の社会的使われ方も、軍事や殖産の幕府や各藩の富国強兵政策に奉仕するもの、ないしは特権的な封建権力者にとっての奢侈(しゃし・「ぜいたく」の意味)・娯楽として主に利用されていたこと。総じて江戸時代の技術は、それらを作り出す職人や技術者が封建的従属関係の支配下にあったために、広く社会に開かれ民衆一般のために活用されなかったこと。伝統的な日本人のものづくりの優秀さへの浮き足だった礼賛に終始せず、他方で、そういった江戸時代技術史の限界の問題点を冷静に押さえておくことも必要である。

(※岩波新書の青、奥村正二「火縄銃から黒船まで・江戸時代技術史」は近年、「岩波新書の江戸時代」として改訂版(1993年)が復刻・復刊されています。)