アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(303)佐々木毅「近代政治思想の誕生」

岩波新書の黄、佐々木毅「近代政治思想の誕生」(1981年)が昔から好きだ。本書は何度読んでも面白い。本新書の副題は「16世紀における『政治』」である。末語の「政治」がカッコ付けになっているのは、「本書は16世紀の近代政治思想を扱い論じてはいるが、必ずしも狭義の政治議論に限定したものではなく、政治論の前提、ないしは政治そのものを背後から間接的に規定する宗教や文学や社会理論ら、政治学以外の16世紀の思想や人物も幅広く含む概説になっている。ゆえにただの政治ではなく、あえて『政治』とカッコ付けで強調した」旨の著者による説明が「まえがき」にある。

岩波新書「近代政治思想の誕生」は全6章よりなる。ここで目次を挙げてみると、

「Ⅰ ・クロード・ド・セセル─伝統的秩序と王権、Ⅱ・ニッコロ・マキアヴェッリ─範型の転換、 Ⅲ・トマス・モア─キリスト教社会の改革と運命、 Ⅳ・カルヴァンとその弟子たち─『真の宗教』と政治秩序の没落、 Ⅴ・ミッシェル・ド・モンテーニュ─安全と私的生活の擁護、 Ⅵ・ジャン・ボダン─主権と神の秩序」

16世紀における「近代政治思想の誕生」を概観するにあたり、6人の人物を挙げ各人を論じることを通して、近代政治思想の時代の全体を明らかにする手法を本書は取っている。いきなり冒頭の章でクロード・ド・セセルなる、一般にはほとんど知られていないであろう無名のフランスの法学者が取り上げられており、初読の際に私も知らず驚いたが、これは著者によると「彼を取り上げたのは、彼が思想上の革命を起こすような独創的な思想家だからではなく、むしろ全体として当時の人々の常識的な議論の枠組みを示しているからだ」とする。なるほど、セセルが無名の人物であっても、彼が16世紀のヨーロッパ政治思想の時代的典型を体現している、その有用性の観点からわざと取り上げて論述を始める著者は非常に優れている。誠に感心させられる、周到で行き届いた著者の工夫が見られる議論の入り方の初章である。

続いて「マキャヴェリズム」(一般に「権謀術数」「目的のためには手段を問わない冷酷非情な政治手法」と理解されているが、原典での意味は本当は違う)で有名なマキャヴェリと、「ユートピア」(1516年)の幻想文学にて厳しい現実社会批判を行ったトマス・モアの有名定番な二人の人物の章を持ってくる。これら定石議論の章により、本論に安定感が出る。それから宗教改革の事象にて定番有名な人物であるが、やや保守的なルターをあえて回避して、ルターよりもより急進的で行動的なカルヴァンとその弟子たちについて論じる。「この種の思想概説書で定番常套なルターではなくて、わざと新奇なカルヴァンを選ぶ」という著者の判断が心憎い。

その上で、今度は「エセー」(1580年)の文筆で有名なルネサンス人の体現であるモンテーニュを取り上げて、一見政治思想とは関係ないように思えるが、しかし背後でその近代人の政治観を規定している西洋の近代的人間の私的内面を掘り下げ押さえていく。この章にこそ、前述した「本書は16世紀の近代政治思想を扱い論じてはいるが、必ずしも狭義の政治議論に限定したものではなく、政治論の前提をなす宗教や文学や社会理論にも幅広く触れる」姿勢の著者の実力の本領と本書の魅力の骨頂がある。

そうして最終章にて、国家における主権概念を確立させて、どこまでもアナーキーの無秩序を嫌い、近代国家の絶対的統一を理論的に提供した絶対主義体制下のボダンの統治論(政治論)を主に解説して、16世紀における近代政治思想の一応の到達点の成果として総括し筆を擱(お)く。ヨーロッパの政治学史の概要を多少なりとも知っている者なら、絶対主義時代のボダンが、ルネサンスや宗教改革のこれまでの近代社会への各種の胎動をある意味、理論的に総括し完成させて一つの体系にまとめあげた時代の節目の重要人物であることは、おおよそ了解済みである。そうしたボダンを最終章に持ってくる本書の構成に昔から私は感心させられる。「本書の著者である佐々木毅はかなりデキる人」の好印象だ。

岩波新書の佐々木毅「近代政治思想の誕生」を読んだら、この後に同じく岩波新書の福田歓一「近代の政治思想」(1970年)を続けて読むことをお勧めする。佐々木「近代政治思想の誕生」と福田「近代の政治思想」は、実は内容的に続き物になっている。佐々木の「近代政治思想の誕生」が16世紀のマキャヴェリやカルヴァンやボダンら、ルネサンス期や宗教改革や絶対主義体制下でのヨーロッパ近代の政治思想を論じているのに対し、福田の「近代の政治思想」は後に繋(つな)がる16世紀以降のホッブズやロックやルソーら市民革命時の西洋の近代政治思想を集中的に取り上げ論じている。

これら二つの著書のおおまかな読み所として、以下のことに注目するとよい。佐々木「近代政治思想の誕生」では、この時代のヨーロッパの近代政治思想はモナルコマキ(暴君放伐論)に依拠した消極的で比較的穏健な抵抗権の理論を主とする政治思想のみであったが、福田「近代の政治思想」では、社会契約説を根拠にした、時に王権廃止の共和制まで志向する市民革命による徹底的な既存国家の破壊の再構成と、より急進的でラディカルな革命権の理論主張にまで西洋の近代政治思想は時代的変化を遂げ発展しているのであった。

本新書の著者である佐々木毅は東京大学法学部出身であり、東大で政治学者の福田歓一の指導を受けている。佐々木毅は福田歓一の弟子であった。そうした弟子の佐々木が「近代政治思想の誕生」を著し、師の福田歓一の「近代の政治思想」と内容が重複しないように、福田の新書で扱われているホッブズやロックやルソーよりも前の時代のマキャヴェリやカルヴァンやボダンら、16世紀の近代政治思想の概説をやって、福田「近代の政治思想」の新書の序説の前座的仕事に徹する。まさに「三尺下がって師の影を踏まず」の、師の福田歓一の学恩に報いる弟子の佐々木毅の細やかさの配慮である。こういった点からも、岩波新書の黄「近代政治思想の誕生」の著者たる佐々木毅の立派さに感服し、私はひたすら頭の下がる思いがする。

「十六世紀ヨーロッパは、ルネサンスと宗教改革によって象徴されるように、ものの見方や考え方が大きな転機にさしかかった時期であった。本書は、この転換期における政治思想を特徴づける六人の思想家─セセル、マキアヴェッリ、モア、カルヴァン、モンテーニュ、ボダン─に焦点を当て、近代政治思想の多様性に富んだ出発点を描き出す」(表紙カバー裏解説)