アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(319)成田龍一「大正デモクラシー」

1945年の敗戦以前の戦前の生まれで戦争を経験した世代で、戦後に戦時の日本の軍国主義の戦争責任を問われて、「日本の近代は明治と大正はそれなりに民主的であったし国民の自由はある程度は保障され、社会の時代雰囲気は明るいものがあった。明治国家のナショナリズムは健全であったし、大正時代には大正デモクラシーという民主的な波もあった。だが戦前昭和の軍部の台頭による天皇制ファシズムの全体主義の戦争へののめり込が近代日本の歴史を暗黒に引き込んだ。責任追及され責められるべきは、戦前昭和の日本の時代とその当時の人々だ」といった旨を語る人が多くいる。

しかし、私はこの「明治と大正は明るく健全な民主的時代であったのに、昭和になって急に反転し暗い戦争の時代に突入した」とする、「明治・大正と戦前昭和」にコントラストを付けて強調する対立史観は大いに検討され見直し修正されるべきものだと考える。特に大正と戦前昭和のコントラスト、両時代に切れ目の断絶を入れて急転回させる対立図式の歴史認識操作には相当に危ういものを感じる。

通常、大正時代(1912─26年)は、「大正デモクラシー」という言葉に代表されるような「民主主義的風潮の社会」と肯定的に理解されがちである。事実、「大正デモクラシー」についての一般的解説はこうだ。

「大正デモクラシーとは、大正期に高揚した自由主義、民主主義的風潮のこと。その背景には産業の発展、市民社会の発展、第一次世界大戦後の世界的なデモクラシー風潮の影響がある。民本主義思想が拡大し、普選運動、社会・労働運動や教育運動も進展した」

「大正デモクラシー」について、多少の歴史知識がある人ならすでに以下のことを知っている。例えば国内政治に関し、第一次護憲運動(1912年)の倒閣運動は非政党の第3次桂内閣を退陣に追い込んだけども、「閥族打破」や「憲政擁護」の運動スローガンは極めて抽象的で、国民一般を巻き込んだ一大政治運動いうよりは帝国議会内での政局に終始したこと。他方、第二次護憲運動(1924年)は超然主義の清浦内閣を退陣させて政党内閣を実現し、後に普通選挙法を成立(1925年)できたけれど、普選断行は国家による強権的な社会主義者取り締まりの治安維持法との抱き合わせであり、実質は制限選挙であったこと。初の本格的政党内閣を組閣し「平民宰相」と呼ばれた原敬は一見、庶民派で民主的・自由主義的と思われがちだが、実のところ党利党略の政治家で政友会の党勢第一の人であり、原敬は普通選挙に反対していたこと。民本主義を唱えた吉野作造は民衆本意の政治を志向し、普通選挙の実現を主張したが、その際、民衆は政府に対し個別の階級利害主張の立場は取らず「超然」として、一般民衆は政治の「主動者」ではなく、あくまでも政治の「監督者」としての立場をわきまえ順守するよう強く説いたこと、つまりは吉野作造の民本主義には、主権在民の民主政(デモクラシー)に連なる民衆の主体的な政治参加は何ら想定されていなかったこと。

また国外政治についても、当時の日本は明治以来の大陸侵出の帝国主義政策のもとで台湾や朝鮮に対する植民地経営を着々と進め、朝鮮での三・一独立運動(1919年)ら近隣アジアの民族自決を踏みにじりながら、同時期に国内にて城内平和的な似非(えせ)自由主義・民主主義的風潮の「大正デモクラシー」を謳歌する時代であったこと。こうした国外政治の帝国主義と国内政治のデモクラシーの二面性の欺瞞(ぎまん)の「帝国のデモクラシー」を裏打ちするかのように、「大正デモクラシー」の「民主的」時代でありながら、関東大震災(1923年)の混乱の際には日本国内の朝鮮人や中国人の多くが日本人により殺害され、すでに大正期の日本人の内に近隣アジアの人々に対する蔑視や排外の意識が広範に形成されていたこと。これら「大正デモクラシー」の時代の限界や問題は多少の歴史知識がある人ならば、すでに知っている。
 
「大正時代には民主的な画期もあったが、同時に状況からの時代的制約や歴史主体たる当時の日本人らの精神的・思想的な限界の問題もあるのは当たり前。画期と限界の物事の両側面を公平に見る眼が歴史認識では必要」というような、「偏向のない客観中立な公平史観の大切さ」を今さらながら、しらじらしく力説されても困る。戦前昭和の軍国主義の天皇制ファシズムの時代は、一つ前の「大正デモクラシー」の時代と連続しており、昭和の時代の近代日本の超国家主義の問題を掘り下げて問題史として考えるとき、必ず直近の大正時代の問題にまで遡及(そきゅう)して考えなければならない。後の昭和の時代の戦争へののめり込みの全体主義の問題を考えるなら、「自由主義、民主主義的な風潮が高揚した」とされる「大正デモクラシー」の時代に関して、むしろ不自然なまで異常に故意に偏(かたよ)って、昭和のファシズム期の全体主義の問題の背景の萌芽となるような「大正デモクラシーの制約や限界」の負の側面にあえて集中・重視する歴史考察でないと意義をなさない。

ここに至って、「民主的な明るいデモクラシーの時代の大正と狂信的な暗い軍国主義の時代の戦前昭和」の対立図式は正当性を持たなくなる。この安易な対立図式は、近代日本における大正と昭和の連続性や時代を遡及して分析されるべき歴史事象の因果の関係性を全く勘案していないからである。

岩波新書の赤、成田龍一「大正デモクラシー」(2007年)は、大正時代の概説である。本書は「民本主義と都市民衆」「第一次世界大戦と社会の変容」「米騒動・政党政治・改造の運動」「植民地の光景」「モダニズムの社会空間」「恐慌下の既成政党と無産勢力」の各章よりなる。この新書一冊に「大正デモクラシー」の時代の事柄がほぼ網羅でコンパクトにまとめられており、歴史の読み物としても大変に面白く有益である。

「多彩な言論や社会運動が花開き、政党内閣の成立へと結実した大正デモクラシーの時代。それは、植民地支配が展開する時代でもあった。帝国のもとでの『民衆』の動きは、どんな可能性と限界をはらんでいたか。日比谷焼打ち事件から大正政変、米騒動、普通選挙の実施、そして満州事変前夜に至る二五年の歩みを、『社会』を主人公にして描く」(表紙カバー裏解説)