アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(324)吉田裕「昭和天皇の終戦史」(その2)

私は一時期、天皇の公私にわたる発言や会話を記録し紹介した書籍を熱心に読み漁(あさ)っていたことがあった。天皇が日々どういった公式発言や近親の者たちと会話をしたのかに大変に興味があったからだ。特に昭和天皇(天皇裕仁)についての、そうした記録に残されている書籍として、例えば岩見隆夫「陛下の御質問」(1992年)や原武史「『昭和天皇実録』を読む」(2015年)があった。これらは昭和天皇が実際に何をどのように語ったかを紹介している、天皇の発言会話そのものを知りたい読者向けの、いわば「初級か中級クラス」の書籍だ。

他方、昭和天皇の語りの内容の信憑性やそのように語ってしまう天皇自身の内的動機や天皇にそう語らせる時代背景まで押さえて時に天皇の発言を疑い批判的に読む、歴史研究にての史料批判の手続きまで踏んだ、いわば「上級者向け」の書籍もある。それが岩波新書の赤、吉田裕「昭和天皇の終戦史」(1992年)と私には思えるわけである。本書の概要は以下だ。

「戦争責任ははたして軍部だけにあったのか?天皇と側近たちの『国体護持』のシナリオとは何であったか?近年、社会的反響を呼んだ『昭和天皇独白録』を徹底的に検証し、また東京裁判・国際検察局の尋問調書など膨大な史料を調査・検討した著者は、水面下で錯綜しつつ展開された、終戦工作の全容を初めて浮き彫りにする」(表紙カバー裏解説)

本新書は「戦争責任ははたして軍部だけにあったのか?」、つまりは「天皇の戦争責任議論が戦後に故意に封印され、昭和天皇は戦争責任問題から体(てい)よく免責されているのではないか?」の著者の問題意識の下、本書出版時1992年の近年に発見され社会的反響を呼んだ「昭和天皇独白録」を徹底的に検証し、かつ他史料も読み合わせて昭和天皇の戦争責任問題に切り込む趣旨のものである。

ここではまず本書にて著者が「徹底的に検証し」たという「昭和天皇独白録」について、その概要を確認しておこう。「昭和天皇独白録」とは、昭和天皇が戦前と戦中の出来事に関し敗戦後の1946年に側近に対して語った談話をまとめた記録である。「独白録」は、外務省出身で当時宮内省御用掛として昭和天皇の通訳を務めていた寺崎英成により作成された。こうした外務省出身の経歴を持ち昭和天皇の通訳を務めていた寺崎英成による「昭和天皇独白録」の作成過程からして本記録には英語版が存在する。「独白録」の英語版は敗戦直後、すなわち東京裁判開廷前に戦勝国のアメリカ側に提出されていたことが米国の公文書にて確認できている。そうして「独白録」の存在が日本人に明らかにされたのは、終戦からかなり経っての昭和天皇没後の1990年であった。つまりは「昭和天皇独白録」とは、極東国際軍事裁判(東京裁判)で天皇が戦犯として訴追される可能性を懸念し、天皇の戦犯追及をかわす免責を狙ってGHQに提出することを念頭においた「弁明書」であり、事実「独白録」は東京裁判開廷前に戦勝連合国側のGHQに非公式に提出されたが、日本国民には長い間内密にされていた極秘の談話録であったのだ。

「昭和天皇独白録」は、昭和天皇が寺崎英成を始めとした側近たちの前で戦争の時代を回顧して語った内容をそのまま収めた、天皇の「肉声」を記録したこれまでに類を見ない史料といえる。だが、原田熊雄「西園寺公と政局」(1950年)や「木戸幸一日記」(1966年)ら当時、天皇の近くにいた元老秘書や内大臣ら、昭和天皇と共に戦争の時代を生きた同時代人の回想記録の重要史料と比べれば「昭和天皇独白録」にて初めて明るみに出された歴史の新事実はなく、ほぼ既知の事柄で構成されており、「独白録」の史料価値は比較的低いと一般にされている。しかしながら「独白録」での昭和天皇の主観的な語りの「独白」そのものの新たな歴史的事実の有無や談話内容についての真偽の是非の表面的なことよりも、「独白録」での語りを通して当時の昭和天皇と談話録作成に携わった天皇側近らが、特に戦勝国のアメリカに対し、どのような昭和天皇イメージを植え付け、かつどういった方向に敗戦日本の天皇の処遇をめぐる終戦処理を導いていきたがっていたか、そのことがうかがい知れる点からして、やはり「昭和天皇独白録」は昭和史の超一級史料であるといえるのだ。実のところ「昭和天皇独白録」には、他史料における昭和天皇に関する同時代人の証言や正当な歴史事実と明白に食い違う虚偽の天皇談話も少なからずある。だから「独白録」は、ただ記録されてある昭和天皇の回想独白の表面的な事柄を読むのではなくて、「なぜ天皇はこうした語りをするのか」、そういった昭和天皇の「独白」語りの内的動機や心理まで掘り下げ、いわば内在的に史料批判の姿勢で一貫して精密に「昭和天皇独白録」の発掘史料を読み解いていくことが必要になるのである。

そうして岩波新書の吉田裕「昭和天皇の終戦史」は、その「天皇の『独白』語りの内的動機や心理まで掘り下げ、いわば内在的に史料批判の姿勢で一貫して読み解くこと」を精緻(せいち)に出来ている所が素晴らしい。ここに本書を著した日本近現代史専攻の歴史家(歴史学者)たる吉田裕の力量と実力を見ることができる。「昭和天皇独白録」の史料に対する吉田裕の内在的な読みの手並みの素晴らしさに私は感嘆する他ない。このことは岩波新書「昭和天皇の終戦史」の書籍を実際に手に取り熟読して、各人で確認していただきたい。

本新書は内容が多彩であり、また濃すぎて、ゆえに近年の岩波新書の新赤版の中で「昭和天皇の終戦史」は間違いなく良書の名著に該当の書籍なのであるが、ここで本書の概要を全て過不足なく要約紹介することは無理だから以下、論旨の重要な部分だけ軽くまとめておく。

「昭和天皇独白録」にてその成立事情と回想内容ともに読むべきものは多くあるが、「独白録」を貫く主要な論理の柱の一つは次のようなものであった。

「一方の極に常に軍刀をガチャつかせながら威圧を加える粗野で粗暴で非合理な軍人を置き、他方の極には国家の前途を憂慮して苦悩するリベラルで合理主義的なシビリアンを置くような歴史認識、つまりは良心的ではあるが政治的には非力である後者のリベラルな人々が、前者の軍人グループに力でもってねじ伏せられていく中で戦争への道が準備されていったとする歴史認識があった。そして昭和天皇は後者の典型であり、天皇は国家の前途を憂慮して苦悩するリベラルであったが、しかし戦争遂行の好戦的な戦時の軍部に押しきられる形となった。だから当時の昭和天皇は戦時中は対米開戦や戦線拡大の重要政策の決定指示の中心にあったと思われがちであるけれども、実際に天皇は明治憲法体制下での立憲政治下における立憲君主として『君臨すれども統治せず』の形式的な立憲君主であり、戦時の戦争遂行にて大権を行使する立場には何らなかった」

こういった「昭和天皇は本当はリベラルで軍部の圧力に戦争遂行を押し切られて、天皇は戦時の戦争遂行にて大権を行使するような責任ある立場に何らなかった」旨の常に一貫して暗に強調される「平和のために苦悩する天皇像」提示の「独白録」の基本論調は、東京裁判で天皇が戦犯として訴追される可能性を懸念し、天皇の戦犯追及をかわす免責を狙ってGHQに提出することを念頭においた「弁明書」としてあったという「昭和天皇独白録」の政治的役割をそのまま裏打ちするものであった。

「昭和天皇の終戦史」の著者・吉田裕は本書の中で、こうした昭和天皇の事後の戦争責任追及をかわす免責論を「独白録」内での天皇の語りの矛盾の論理破綻を指摘したり、同時代人の昭和天皇に関する他の証言史料と「独白録」との突き合わせ作業を通して、戦争責任回避の自己弁護に終始する昭和天皇の「独白」語りの虚偽性を明らかにすることで徹底的に「独白録」と天皇とを批判していく。例えば、「昭和天皇が戦時に明確に意思表明して政治的指示をなしたのは、ニ・ニ六事件での反乱部隊鎮圧の命令と無条件降伏受け入れの終戦の決定だけであり、その他の戦争遂行の各国策に対し天皇は何ら関与しなかった」旨の、戦後に日本人の多くに未だ信じられている俗説の虚偽点を史料の歴史的事実に照らし合わせ、吉田裕は本書にて次々と指摘する。昭和天皇が戦時に明確に意思表明をし政治的指示をなしたのは、何も二・二六事件の鎮圧と無条件降伏受け入れの終戦決定の案件だけではなかった。その他の重要事案にて、その都度、天皇からの意向と要望の影響力は強力に明白にあった。戦前の昭和天皇は「君臨すれども統治せず」の形式的で「象徴的」な立憲君主では決してなかったのである。このことは本新書に加え、戦前および戦中の昭和天皇に関する近代政治史の他研究も併(あわ)せて参照するとよく分かる。

そして「一方の極に常に軍刀をガチャつかせながら威圧を加える好戦的で非合理な軍人を置き、他方の極には国家の前途を憂慮して苦悩するリベラルで合理主義的な昭和天皇を置いて、後者の天皇は前者の軍部の圧力に屈し押し切られる不本意な形での日米開戦その他の日本の諸戦争であった」の単純な対立図式の否定を通して、「戦争責任ははたして軍部だけにあったのか?」「天皇の戦争責任議論が戦後に故意に封印され、昭和天皇は戦争責任問題から体よく免責されているのではないか?」、つまりは「昭和天皇には明白に戦争責任はあったのだ」の本書にての著者の吉田裕の強い主張である。本書での吉田によれば、陸軍を一方的に「悪者」にすることにより、天皇の戦争責任論を回避し皇室の存続を図り、かつ「英明で平和主義者」としての昭和天皇像を描き出すことで昭和天皇自身の退位論も退ける意図が「独白録」にはあったという。

だが、吉田裕は岩波新書「昭和天皇の終戦史」の記述の中で「昭和天皇には戦争責任がある」とは直接的に決してはっきりと書かない。どこまでも「軍部に戦争責任はあるが、天皇には戦争責任はなかった」の対立図式の突き崩しを通して間接的に「軍部と同様、天皇にも戦争責任が明白にあること」を暗に指し示すのみである。そのあえて直接的に明確に書かないがゆえに、昭和天皇に対する間接記述の戦争責任追及の糾弾の吉田裕の姿勢が本書を介して読み手により強烈に激しく重みをもって効果的に伝わる。こうした「いかにも」な書き方も岩波新書の赤、吉田裕「昭和天皇の終戦史」は非常に優れている。