アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(326)山口二郎「民主主義は終わるのか」

以前は北海道大学教授で民主党の政策顧問を務め、岩波新書の赤「民主主義は終わるのか」(2019年)を執筆時には法政大学教授である政治学者の山口二郎は、昔から一貫して長期保守政権堅持の自民党を批判し続ける立ち位置であり、強烈な「反自民」の野党性が持ち味な人物であるから、本新書タイトルにての「民主主義は終わるのか」や、その副題での「瀬戸際に立つ日本」の山口二郎の危機感の悲痛な叫びは、本書執筆時に政権を担っている2012年より発足存続の自民党と公明党の連立政権たる第2次安倍晋三政権に対する手加減のない痛烈批判を内実にしている。

本書の読み所は、まず第2次安倍政権に対する著者の容赦のない批判の怒りの筆致であり、その激怒の緊張感が魅力の一端をなす新書であるから、自民党と公明党の連立与党の下、本書出版時(2019年)には約7年間続き存続している第2次安倍政権の腐敗・堕落ぶりに激怒し、そのことをして「(日本の)民主主義は終わるのか」や「瀬戸際に立つ日本」と嘆いてみせる本文記述での「山口二郎、怒りの文章」を長くはなるが、現代日本政治での「民主主義の危機」に対する彼の問題意識と憤怒のあらましを知るために以下、詳細に引用してみる。

「二0一二年に発足した第二次安倍晋三政権は、国政選挙で勝利を続け、高い支持率を保ちながら、安定しているように見える。しかし、そのもとでは、毎年のように、従来であれば内閣が崩壊するような大きなスキャンダルが起こっている。森友学園疑惑に関連した公文書改竄(かいざん)など、その典型である。また、集団的自衛権の行使容認については、国論を二分した論争が起き、内閣法制局長官や最高裁長官を経験した専門家が、集団的自衛権の容認は憲法違反と発言した。…しかし、安倍首相は反対論を無視して政策を強引に進め、腐敗・不正の疑惑に対しては真相究明を拒んだまま職にとどまって再発防止に努めると開き直ってきた。こうした強引さや開き直りが何となく許容されるのが安倍政治の特徴である。その意味で、政権は安定しても、腐敗や強権政治という病理は進行している」

そうして、さらに続ける。

「今までの日本政治の常識に当てはめれば、これらの政治腐敗や不正あるいは強権的立法の一つでもあれば選挙で政府与党は敗北を強いられたはずである。そして、政権交代に至らないまでも、自民党内で権力の交代が起きたはずである。なぜそうならないのか。ひとつの説明は、虚偽や不正、多数の専制が余りにも頻発して、国民もそれに慣れてしまい、怒りの世論が盛り上がらないというものであろう。今や日本人は、安倍政権の不正・腐敗が次々と重なることを許容し、一つ一つの問題を受け止め、批判する能力を失っているのではないか」

引用文を一読して、政治学者・山口二郎の現代日本政治における「民主主義の危機」についての焦燥と安倍長期政権に対する静かな怒りが伝わるだろうか。「安倍政権は安定していても腐敗や強権政治という病理は進行している」「今までの日本政治の常識に当てはめれば、これらの政治腐敗や不正あるいは強権的立法の一つでもあれば選挙で政府与党は敗北を強いられたはずである。そして、政権交代に至らないまでも、自民党内で権力の交代が起きたはずである。なぜそうならないのか」と本書にて山口二郎は痛切に述べるのである。

政治学者の山口二郎において、「民主主義は終わるのか」の痛切な問いの中での「民主主義」とは、自身の支持政党よりなる政権であるか否かを問わず、どのような基盤政党による内閣の政府であれ、時の政府による権力の私物化や政治権力の暴走を監視し諌(いさ)める市民社会の健全な働きの中にこそ「(真の)民主主義」はあるのであった。

岩波新書「民主主義は終わるのか」は、主に3つの内容からなる。まず「虚偽や不正や多数の専制が頻発する」現状の安倍政権に対する批判と、そうした政権の堕落を黙認し許容し続ける機能不全に陥った、いわゆる今日の「日本の民主主義の劣化」に関する問題提起である。その上で、それら問題についての分析の原因解明である。そうして最後に現代政治の「民主主義に危機」を打開・克復し「民主主義を終わらせないために」の「五つの提言」を著者がなす、問題解決の方向性への処方箋(しょほうせん)の提示である。これら「問題提起と問題原因の解明と問題解決の提示」の3つの要素のうち、二つ目の、政治学者たる著者による安倍長期政権に象徴される「日本の民主主義の劣化」の問題原因の政治学的考察が特に優れている。その内容は「集中し暴走する権力」や「分裂し迷走する野党」や「民主主義の土台を崩した市場主義」ら各章にて論じられている。

私は特定支持政党を持たない無党派で、自民党と公明党らからなる第二次安倍政権に対してだけ特に辛辣(しんらつ)で評価が厳しいというわけでは決してない。もし仮に後の国政選挙で野党が勝利し政権交代が起きて非自民の内閣が出来ても、万が一「共産党万年野党論」である日本共産党が政権を取って組閣しようとも、どの政権や政治家に対しても「政権掌握の集団や権力者は放っておけば必ず堕落する。ゆえに権力監視の観点から時の内閣や政権与党には特に厳しい批判の監視の目を注ぐ」民主政治の原則からして、厳格で辛辣な立場で臨むだろう。時の内閣や与党に対し完全支持の完全満足ということなど到底あり得ない。だから長期政権の安倍内閣に対しても私は比較的厳しい評価であり、正直「安倍内閣を支持しない」の立場であるのだが、それにしても昨今の安倍内閣はひどすぎる(苦笑)。

本書で指摘されている通り、安倍内閣における度重なる公文書改竄(かいざん)、統計調査データの操作と捏造、首相の個人的な友人や知人へ向けて政治的・経済的便宜をはかる総理による公権力の私物化、官僚人事を首相官邸が強権的に握ることによる内閣への権力集中と周囲の官僚や政治家に暗に、しかし強力に促す現政権への手心の忖度(そんたく)、本来は政治権力の監視の役割を持つはずのマスコミ各社社長や会長らと頻繁に会食して会合を持ち、政権へのネガティブ報道を封じ込める政府のメディア・マスコミ対策、経団連ら支持母体や関係業界に利する露骨なバラマキ政策をやって支持率と選挙時の票田確保に終始する利益誘導政治、一般の国民世論は全く盛り上がっていないのに、ただ安倍首相の政治家個人の信条としての念願たる憲法改正手続きを多数派与党により強引に進めるゴリ押しの国会運営など。確かに本新書にて山口二郎が嘆く通り、「安倍政権下にて虚偽や不正や多数の専制が余りにも頻発し、国民もそれに慣れてしまって怒りの世論が盛り上がらない。…今や日本人は、安倍政権の不正・腐敗が次々と重なることを許容し、一つ一つの問題を受け止めて批判する能力を失っているのではないか」。2010年代からの自民党、安倍長期政権の異常さは際立っている。本書にて改めて明らかにされる安倍内閣の不正と腐敗の堕落ぶりを前に「(日本の)民主主義は終わるのか」の危機意識を私も、より一層強くせずにはいられない。

「なぜ今や多くの日本人が安倍政権の不正・腐敗が次々と重なることを許容し、一つ一つの問題を受け止めて批判する能力を失っているのか」についての著者による問題原因の詳細な分析と解決への具体的な「五つの提言」は、本書を読んで確認してもらいたい。私は「なるほど」と即座に納得することもあれば、「本当にそれはそうなのか!?」と思わず半畳を入れたくなる議論もあった。また問題の原因分析にて「なぜこの点に詳しく触れないのか」と不満に思う箇所もあった。

山口二郎「民主主義は終わるのか」にて執拗に追及される、安倍内閣の不正・腐敗ぶりや現代日本政治や日本の民主主義への危機感の著者の問題意識を共有し本書に臨める読者は、本論記述の考察内容がよく分かり議論も共有できて、本新書に対する評価は比較的高いはずだ。他方、安倍内閣の利益誘導政治の旨味(うまみ)にのみ込まれ政権の恩恵にあずかり現に利益享受して安易に安倍内閣支持に走ったり、公文書改竄や統計調査データの操作・捏造問題に関し、「民主主義政治の危機ではなく、野党や反安倍勢力の一部の国民による単なる文句の言いがかり」と軽く見積り済ますような安倍内閣支持の人は、本論にての考察内容は訳が分からず、本書に対する評価は総体的に低くなると思われる。そういった意味で岩波新書の赤、山口二郎「民主主義は終わるのか」は、あからさまに読み手の読者を選ぶ書籍ではある。

「政府与党の権力が強大化し、政権の暴走が続いている。政治家や官僚は劣化し、従来の政治の常識が次々と覆(くつがえ)されている。対する野党の力は弱い。国会も役割を見失ったままだ。市民社会では自由や多様性への抑圧も強まり、市民には政治からの逃避現象が見られる。内側から崩れゆく日本の民主主義をいかにして立て直すのか」(表紙カバー裏解説)