アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(328)ピーター バラカン「ラジオのこちら側で」

岩波新書の赤「ラジオのこちら側で」(2013年)は、ラジオDJであり音楽評論家であって、日本での海外ドキュメンタリーの紹介番組の司会も務めた(当人はこの肩書を「ブロードキャスター」としている)イギリス人のピーター・バラカン(Peter・Barakan)が、1970年代に来日して日本の音楽メディア業界で多くの人と出会い様々な仕事をこなして、今日の2010年代に至るまでの彼の半生を当人の「語り下ろし」で記した新書である。一読して「人に歴史あり」という感慨が私はする。それぞれの人に、その人なりのそれぞれの人生がある。

ラジオDJであるピーター・バラカンが「ラジオのこちら側で」というのだから、今でも日々よくラジオを聴いている私は、彼からすれば「ラジオのあちら側」の人になるのだろうか。それにしても本新書を実際に手にしたり、本書を読んで「面白い!」と感じるのは一体どういう人達であろうか。

まず、ピーター・バラカンその人を知っていたり好きな人は本書を手に取り読むに違いない。私はまさにそれに該当である(笑)。ピーター・バラカンはメディアを介して前から知っていた。私は昔から「YMO」が好きで愛聴していて、一時期ピーター・バラカンはYMOのスタッフとして英語詞のライティングなどで共同仕事していたので、とりあえずピーター・バラカンに関しては「YMO人脈のYMO関連の人」といった印象が強い。だから岩波新書「ラジオのこちら側で」も細野晴臣や高橋幸宏や坂本龍一のYMOメンバーや、矢野顕子らYMO関係の人達が出てくる本書記述は特に興味深く面白く読めた。

次に、本新書はピーター・バラカンの自身の半生の語りを通して1970年代から2010年代までの日本の大衆音楽史になっているということだ。その点が本書を読んでいて私には特に面白いと感じた。1970年代から現在に至るまで、例えば音楽ソフトも昔はアナログ・レコードとカセット・テープだったのに後にCDが出て、さらにはネット配信のダウンロードへと変わり音源購入の形態も変化していったし、人気でよく聴かれる音楽もニューウェーヴやテクノやパンクロックやダンスミュージックやワールドミュージックら、時代と共にその都度、流行の変化があった。そのことを本書を読んでうかがい知ることができる。

岩波新書「ラジオのこちら側で」を読むと、ラジオDJもやるピーター・バラカンは、現在の人々の間でのラジオ人気の陰(かげ)りや聴かれ方の変化に相当な危機感を抱いているようである。

「四0歳を過ぎた私がまだ一0代の頃、時代はちょうど一九八0年代まっただ中でしたが、まだラジオはマジックを持っていました。私にとって、一0代のころのほとんどの音楽経験がラジオからのものでした。こうした音楽による衝撃は、ある意味啓示のようなものだったと思います。現在も、音楽への夢はむしろ膨(ふく)らむばかりで、ラジオにかけられたマジックは今でも解けずにいるようです。一方で、いつしか気づかぬうちにラジオからは離れてしまいました。年のせいではないでしょう。ラジオからマジックが失せてしまったのだと思います」

このようなリスナー・ハガキに触発されてピーター・バラカンは、ラジオ文化復権への希望を込めて「ラジオに魔法を取り戻す」キャンペーンを自身が執行役員を務めるFM局にて始める。確かに「ラジオからマジック(魔法)が失せてしまった」と私も思わないこともない。昔のことながら自分の10代の頃に引きつけて非常に懐かしく思い出すのは、今でも私は日常的によくラジオを聴くが、昔はエア・チェックの録音や音盤情報のメモ書きなどして、よりラジオにのめり込んで熱心に聴いていた。確かに、ピーター・バラカンが本書にて語るように「昔は音楽雑誌の紙媒体の情報が力を持っていた時代で、沢山あった音楽雑誌の中でもFM誌の人気は高く、エア・チェックするリスナーが多くいた」のだった。今日では昔の時代と違い、特にインターネット環境が普及・整備されて動画視聴や音楽配信ら多彩なメディアが並列してあって、ラジオは以前ほどには音楽的かつ社会的発信力や影響力の「魔法」を持たなくなってしまった面も否定できない。この事は岩波新書「ラジオのこちら側で」を読んで今後のラジオメディアのあり方について、シリアスに考えさせられる。

さらに本新書から、音楽メディアを介した情報発信者の政治的・社会的発言の重要性についても再認識させられる。ピーター・バラカンが担当していた朝のFM生番組で、2011年3月11日の東日本大震災や連日の福島第一原子力発電所の放射能漏(も)れ過酷事故のニュースを流すのと同時に、この非常時に「音楽はしばらく聴きたくない」という一部リスナーの声もあり、ラジオの生放送を通してどのようにラジオの向こう側にいる人達と向き合えばよいのかの苦悩と工夫。また原発事故関連の報道で「プレスは本当のことを言っていない」というフラストレーションがたまり、自分から何を発信すべきか様々に考えたことの「震災後、朝のラジオで」の節の内容は、本書を一読して強く印象に残る。

ピーター・バラカンは海外の社会派ドキュメンタリーを日本に紹介する番組の司会を長年に渡り務めていたこともあり、彼はそうした自身の肩書を「ブロードキャスター」と称しているが、音楽メディアを介して、そういった時事問題や政治的発言を意識的に積極してなすピーター・バラカンの姿勢には実に見るべきもの、聴くべきもの、読むべきものがある。同様にピーター・バラカンからのYMO人脈で、元YMOメンバーの坂本龍一が、著作権保護のあり方や政府のメディア規制に対する政治的批判や脱原発社会議論をミュージシャンの立場から積極的になすのも、このピーター・バラカンのものと同様の社会的姿勢を読み取ることができ、私には非常に興味深い。

その他、音楽の話を離れて、外国の人が日本に来て定住し日本の会社組織で仕事をこなす際の驚きや違和や苦労の一般的な異文化受容の話としても、1970年代に来日して日本の音楽メディア業界で多くの人と出会い様々な仕事をこなして今日の2010年代に至るまでの彼の半生を当人の「語り下ろし」で記した岩波新書の赤、ピーター・バラカン「ラジオのこちら側で」には大変有益な書籍の相当な良読後感が一読して残る。

「一九七四年、一人のロンドン出身の青年が日本に降り立った─。以来、異国の文化の壁にぶつかりつつ、世紀をまたいで音楽シーンとメディアの激変の波に揉まれながら、良い音楽を電波に乗せるべく今も奮闘中。インターネットとディジタル全盛の現在、愛して止まないラジオと音楽の可能性を、あらためて発信する」(表紙カバー裏解説)