アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(336)鹿野政直「日本の近代思想」

岩波新書の赤、鹿野政直「日本の近代思想」(2002年)は、2000年代の21世紀へ移行の時代の節目に当たり、1901年から2000年までの近代日本の20世紀の100年を思想史の観点から振り返り総括しようという試みの新書だ。本書は「中日新聞」夕刊に2000年10月2日から12月28日にかけて掲載された「思想の百年・経験と情景」という、元々は各分野で20世紀を顧みる企画の一つとしてあった連載が、その原型になっている。

著者は「はじめに」にて、「過去からの声として、何が日本社会のいまにつよく響いているだろうか。あれこれ考えたあげく、(1)日本、(2)マイノリティー、(3)日常性、(4)人類という四つの主題にしぼることにした」とか、「それらのことを念頭に置きつつ、九つほどの個別テーマを立てようと思う。もっともそれぞれのテーマは排他性をもつわけでなく、おおむね通底しあっている」とか本書の主題意図や執筆方針を様々に面倒臭く述べてはいるけれども(笑)、手っ取り早く直截(ちょくせつ)に言って、岩波新書「日本の近代思想」は何のことはない、近代日本思想史概説の内容である。もっとも各記述は必ずしも時代順の時系列で整序されているわけではなく、テーマやキーワード別に記述されているが、「日本の近代思想」のタイトル通りに明治から大正、昭和、そして平成まで20世紀の近代日本思想史の主なトピックに触れている。ただし著者の鹿野政直が女性史と沖縄史を専門にやる民衆史専攻の人なので、国家や社会共同体の上からの民衆への抑圧や差別や収奪や動員、そうした上からの圧力に対する民衆側の服従と抵抗と自律、人々の反戦平和への志向や人権など日本の戦後民主主義的価値の擁護に重きを置いた近代日本思想史概説の記述になってはいる。

なるほど一読して、本新書が元はリベラル左派な中日新聞にての連載企画であったことに納得の心持ちが私はする。岩波新書「日本の近代思想」は、リベラル左派の中日新聞や東京新聞(「東京新聞」は中日新聞東京本社の発行である)や朝日新聞を購読の読者なら楽しんで読める。逆に愛国右翼な産経新聞の読者は本書を読まない方がよい(笑)。

鹿野政直「日本の近代思想」で私が毎回読んで好きなのは、「第3章・戦争と平和」にて映画監督でシナリオ作家の伊丹万作の「戦争責任者の問題」(1946年)を鹿野が紹介している「無知の責任」の節だ(74・75ページ)。敗戦後、多くの日本人が戦時の国家への戦争協力の責任を問われ、「今度の戦争で自分たちは国にだまされていた」という。しかし伊丹万作はそれに激しく反論する、「『だまされていた』ということで人は責任を免責されるか」「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはない」「だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていない」「だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない」。そして次のように続けるのであった。

「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」

天皇や政府や軍部ら戦時の国家の指導者のみならず、その国家の命令に結果として唯々諾々(いいだくだく)とつき従い、時の内閣や軍部を支持して日本国の一時的な戦勝に銃後で狂喜したり、実際に戦闘参加したりで国家の戦争遂行を支えた被治者たる一般国民にも重大な戦争責任があることを戦後の私達は十分に承知している。伊丹万作がまさに指摘した通り、「だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起こらない」のだ。こうした日本の民衆一般の戦争責任問題に関し、歴史研究家の家永三郎による、いわゆる「不作為の作為」の指摘に加えて、岩波新書「日本の近代思想」他にて紹介されている映画監督・伊丹万作の「無知の責任」の一連の議論を読むたび、「あーここで伊丹万作に言われてしまったな。伊丹の言葉は至言」といつも私はさわやかな(?)、敗北感と共に共感してしまう。

さて、岩波新書「日本の近代思想」の著者である鹿野政直には、その他にも近代日本思想史概説である「近代日本思想案内」(1999年)や、膨大な数にのぼる歴代の岩波新書を独りで読破し、まとめた「岩波新書の歴史」(2006年)の著作がある。いずれも力作で優れた名著だ。それら書籍も併(あわ)せて読んで、近代日本思想史にての近年の鹿野政直の充実した素晴らしい仕事ぶりに私は驚嘆せずにはいられない。

「軍事大国から、敗戦を経て経済大国へ。そしてその破綻による閉塞感。このような歴史を背負いつつ、百余年にわたる日本の近代は思想において、どのような経験を重ねてきたのだろうか。戦争と平和・民主主義の問題から、いのち・暮らしの問題まで、日本の近代が経験した思想の情景を描きだし、その思想的意味を探る」(表紙カバー裏解説)