アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(454)立石博高「スペイン史10講」

一国の歴史を古代から近現代まで新書の一冊で全10講の内に一気に書き抜こうとする岩波新書の「××史10講」シリーズである。もともと本企画は、坂井榮八郎「ドイツ史10講」(2003年)と柴田三千雄「フランス史10講」(2006年)と近藤和彦「イギリス史10講」(2013年)の三新書から始まった。後に各国史が多く続く。

立石博高「スペイン史10講」(2021年)も「××史10講」シリーズのラインナップである。本書はスペインに出張や駐在の折に、またスペイン旅行の前後や旅の最中にスペインの歴史文化の概要をコンパクトな新書一冊で手早く知れて誠に有用である。

スペイン史については、スペインの歴史そのものを限定して知ること以前に、世界史全体に与えたスペイン由来の歴史的画期の重要な分岐がいくつかあったと私には思える。その内の一つ、最たるものといえば、「近世のスペイン継承戦争を経てのヨーロッパ史におけるイギリスとフランスの明暗の対照」である。

この「近世のスペイン継承戦争を経てのヨーロッパ史におけるイギリスとフランスの明暗の対照」事例を通し、昔から世界史を学習していて私が一貫して強く思うのは、特にヨーロッパ史はイギリスとフランスの二つの大国の対照を基本の重要線として押さえながら、知識を増やし理解を深めていくことが基本であり重要であるということだ。

西洋史の近世、絶対主義時代に起きたスペイン継承戦争(1701─13年)は、旧来のスペインのハプスブルグ家の断絶に乗じて、ブルボン家のフランス王、ルイ14世が仕掛けた対外戦争である。ルイ14世は孫のフィリップのスペイン王位継承を主張し、フィリップのスペイン王即位を目して、ブルボン家のフランスと、スペイン王の継承権をフランスのブルボン家に渡したくないハプスブルグ家のオーストリア、それに反ブルボン朝のイギリスとオランダらを加えた「ブルボン家'vsハプスブルグ家」の対立構図の絶対主義体制下での対外戦争であった。絶対主義下の近世ヨーロッパにおいて、国家は各家が代々所有し継承統治する家産であり、ゆえに当時の諸外国間の戦争も各国王朝が自家の国家統治たる家産の相続継承を取り合う、文字通りの「継承」戦争であったのだ。

スペイン継承戦争の結果、フランスが勝利しスペイン統治を旧来のハプスブルグ家から新たにブルボン家に移行させ、フランス王はスペイン統治を望み通り「継承」できた。この戦争講和であるユトレヒト条約(1713年)にて、フランス劣勢の内に終結したが名目的に「勝利」を収めたフランスは、スペインとフランスの統合は禁じられたものの、スペイン王位継承権を得てスペイン国内統治の家産はルイ14世の望み通り、従来のスペインのハプスブルグ家から新たにフランスのブルボン家に移ったのであった。その代わり対外の領土問題にてフランスは、特にスペイン継承戦争での敵対国のイギリスに北アメリカのハドソン湾地方、アカディア、ニューファンドランドらの譲渡を迫られ英国に割譲し、さらにイギリスはスペインからも「アシエント」(スペイン領アメリカへ黒人奴隷を供給できる特権)を得た。

スペイン継承戦争の講和たるユトレヒト条約によるユトレヒト体制下にて、イギリスは大西洋と北アメリカ地域への覇権伸長を確実にし、またアシエントの特権を獲得したイギリスは大西洋地域の奴隷貿易をほぼ独占して、奴隷貿易を中心に大西洋にて三角貿易(イギリス本国─アフリカ─アメリカ)を実施し莫大な利益を得た。この莫大な利益が後のイギリスの産業革命に向けての最大の資本蓄積の国富となり、後に世界の各地域に海外雄飛する覇権国家たる大英帝国の繁栄をもたらすのである。こうしたイギリスとは対照的にフランスはスペイン継承戦争後のユトレヒト体制を経て、スペイン国内統治の王位継承権をブルボン家が得たのみで、フランスは大西洋・北米地域の海外覇権の足場を大きく失った。

フランスは家産政治の絶対主義体制の王権が英国ら諸外国と比べ極めて強力であったがゆえに、ルイ14世の意向によりブルボン家のための家産相続継承にてスペイン統治の特権を得たが、その代わりに帝国覇権のための海外諸地域を手放し、自らの対外進出の機会(チャンス)を逸してしまった。いうなれば、スペイン継承戦争を通して、フランスはヨーロッパ内のスペイン王朝の家産相続に固執し、そのために大西洋・北米地域の海外世界への進出の足場を決定的に失ってしまったわけである。他方、イギリスはフランスとは見事に対照して、このスペイン継承戦争を契機に非ヨーロッパ地域への海外進出の足場を地道に固め、覇権国家として世界各地に勢力を伸長して後の大英帝国の繁栄に着実に繋(つな)げていくのであった。こうしたスペイン継承戦争を実質的な起点にしての、英仏の海外進出志向の有無の対照相違の明暗は決定的である。というのも、まもなく世界史は近代に移行するにつれて、従来の各家の家産相続の名目的「継承戦争」から、各地域に領土拡大をはかり軍事や貿易や資源争奪の面で世界覇権を競う、より実利的な「国際覇権の戦争」に時代の潮目は変わっていくからだ。スペイン継承戦争後のユトレヒト体制において、時代の先を読む先見の明はフランスよりも明らかにイギリスの方にあった。

スペイン継承戦争後の講和に基づくユトレヒト体制を経ての、英仏の海外進出志向の有無の対照相違は実のところ、同時代の市民革命にて、イギリスの「自由」を基調とする王権存続の穏健な名誉革命(1688─89年)と、フランスの「平等」を激しく希求する王権廃止の過激なフランス革命(1789─95年)の両国相違にも遠くから強く影響を与えていた。絶対主義時代のスペイン継承戦争前後、市民革命の時代にはすでに多くの海外植民地を持っていたイギリスは、その潤沢な国富のために海外覇権地域から英国本国に流入する莫大な富に支えられ、ブルジョアジーの新興市民はある程度の経済的成長を果たし開明的で、議会政治の健全な発展が期待できた。そのため人間の「自由」を第一義とする漸次改良的で「国王は君臨すれども統治せず」の絶対主義時代からの英国王権を形式的に温存した形での立憲君主制の穏健な名誉革命に着地できた。

他方、前の時代から絶対主義体制の王権が強く、海外覇権を積極伸長していなかった革命前夜のフランスでは、旧来の国王・貴族の私的浪費もあって国家財政は逼迫(ひっぱく)し、国内人民は過酷な封建貢租(地代)の収奪に疲弊して、絶対主義体制下の封建支配が過酷であった。フランス国内にて新興のブルジョアジーの経済的成長や議会政治の健全な発展は何ら展望できず(英国と異なり、伝統的に王権が強力なフランスでは身分制議会は継続して開催されることはなかった)、人民が人間の「平等」を激しく希求する王権打破で反体制の過激で暴力的なフランス革命、つまりは国王処刑の王権廃止、ついにはラディカル(急進的)な共和制に至った。

以上のような、ヨーロッパ近世のスペイン継承戦争を実質的背景とする近代の市民革命の時代の名誉革命とフランス革命の内容相違の事例など、ヨーロッパ史を貫くイギリスとフランスの二つの大国の対照相違の基本線の中での数ある事象の内のほんの一例でしかない。しかしながら、この英仏の対照相違の大きな一つの節目をなすスペイン継承戦争は、世界史全体に与えたスペイン由来の歴史的画期の重要な分岐の内の一つ、その最たるものと私には強く思える。

岩波新書の赤、立石博高「スペイン史10講」では、スペイン継承戦争については「第6講・カトリック的啓蒙から旧体制の危機へ」の章に書かれている。よって本新書にていくつかある内の一つの読み所は、この第6講のスペイン継承戦争に関する講義の記述部分であると私は思う。古代から近現代までの「スペイン史10講」の中で、この18世紀のスペイン継承戦争の歴史部分の講義解説に是非とも注目して読んで頂きたい。もっとも本新書でのスペイン継承戦争に関する記述は、著者が「スペイン史という一国史の克服」を本論中でたびたび述べながらも、やはりスペイン史の枠内にとどまる一国史的解説であるのだが。

「キリスト教勢力とイスラーム勢力とが対峙・共存した中世、『太陽の沈まぬ帝国』を築きあげた近世─ヨーロッパとアフリカ、地中海と大西洋という四つの世界が出会う場として、独特な歩みを刻してきたスペイン。芸術・文化・宗教や、多様な地域性に由来する複合的国家形成にも着目して、個性あふれるその通史を描く」(表紙カバー裏解説)