アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(355)福間良明「『勤労青年』の教養文化史」

岩波新書の赤、福間良明「『勤労青年』の教養文化史」(2020年)は、家計困難など諸々の家庭の事情で大学・全日制高校進学を断念して就職した戦後の日本の「勤労青年」たちが、働きながらも夜間の定時制高校や通信教育で積極的に学ぼうとする日本の戦後社会の一断面を歴史的に捉えたものである。しかも、その際に「勤労青年」たちの就学目的は、自身にとっての立身出世や実利のための高卒学歴の資格取得や職業上の専門知識・資格取得といった専門教育ではなくて、「できるだけ教養を高める」という「教養文化」が就学の主な目的なのであった。ゆえに本新書は「『勤労青年』の教養文化史」のタイトルなのである。

「かつて多くの若者たちが『知的なもの』への憧れを抱いた。大学はおろか高校にも進めなかった勤労青年たちが『読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない』と考えていた。そんな価値観が、なぜ広く共有されえたのか。いつ、なぜ消失したのか。地域差やメディアも視野に入れ、複雑な力学を解明する」(表紙カバー裏解説)

本書によれば「勤労青年」である定時制高校生を対象にした1960年に実施の調査にて、「学習内容に対する生徒の希望」の項目で高卒学歴の取得や職業的な実利教育よりも、「仕事のことを離れてもよいから、一般教養(教科を含む)を高めるようなもの」と回答した者が他の回答のそれを上回って多くを占めていた。このことから「彼らのなかでは、…少なくとも学歴取得や職業的な実利とは一線を画する『教養』を求める心性が、そこには透けて見える」という。

本書にてテーマとされる「『勤労青年』の教養文化史」における「教養」ないしは「教養主義」とは、著者によれば「読書を通じた人格陶冶(とうや)」の規範を指す。より具体的にいって「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」という価値意識のもと、「読書や内省、社会批判を主題とし」て「実利を超越した読書・教養」の獲得と涵養(かんよう)である。それは人格陶冶や真実の模索やそれに基づく社会批判という教養主義の内容からして、当然に自身にとっての実利や自分の階級上昇のみを目ざす、今日でいうところの自己啓発的な学問や立身出世主義の実利的なそれとは明確に異なる。むしろ、それら自己啓発や立身出世主義に批判的で厳しい対立をなす、実利を超越した教養文化への当時の若者の知的渇望なのであった。

岩波新書「『勤労青年』の教養文化史」では、戦後日本における主に若者たちによって担(にな)われてきた教養文化主義の「そんな価値観が、なぜ広く共有されえたのか。いつ、なぜ消失したのか」を歴史的に社会学の実証観点から考察している。その際の本書での戦後日本社会の「教養文化史」への接近の道筋は以下の3つよりなる。すなわち「第1章・敗戦と農村の教養共同体」の地域社会と、「第2章・上京と『知的なもの』への憧憬」の都市部と、「第3章・人生雑誌の成立と変容」という雑誌メディアを介しての各人においての学習である。

私が本書を読んだ上でのだいたいの理解はこうだ。「勤労青年」に限らず、大衆教養主義というものが成立するためには、少なくとも次の二つの要素が必要である。それは「人間にとって教養が大切であり、ぜひとも教養を身につけなければいけない」と多くの人に強く思わせて教養研鑽(けんさん)に人々を駆り立る、その時代や社会に共有されてある精神的雰囲気(エートス)と、実際に教養を供するための物質的条件(組織・システムのハードと情報媒体のソフト)である。

前者の人々を内的に教養鍛練(たんれん)へと駆り立てる精神的雰囲気(エートス)については、「知や教養への渇望」である「たとえ学歴はなくとも、人として文化や社会科学に触れなければならない」という意識の大枠の考えがまずあって、そうした教養習得の動機の内実をより詳細に見れば、本書での考察対象である「勤労青年」に関する限り、「上級学校への進学がかなわなかった自分たちは、知識の有無や学歴により生ずる格差や貧困の不条理には屈しない」とする、(1)同年代の高校・大学進学者へ向けての対抗のライバル心があり、さらには(2)「人間にとって本当の知的さとは何か」を追求する、計量的な知識・能力によって人間を階層的に秩序づけ格差に甘んずることや貧困を下層の者に余儀なくさせている現代社会そのものを自分たち「勤労青年」の処遇の問題に引き付けて理解し、現代社会を相対化し批判して、各人が教養共同体の連帯にて乗り越えるような教養主義の二つの立場があった。そうして「第1章・敗戦と農村の教養共同体」の地方では、総じて貧しく各人に貧困格差がなく、また農村に地域の共同体主義的なものが戦前より残り機能していたため、各地域社会の教養主義は(2)の社会批判の連帯に基づく大衆教養主義が主であった。だが「第2章・上京と『知的なもの』への憧憬」の都市部、さらには「第3章・人生雑誌の成立と変容」へと個人での雑誌メディアの購読と自主学習にて、目に見えたあからさまな貧困と格差が縮小され不可視化されると、(2)の社会批判の連帯に基づく大衆教養主義が衰退し、(1)の他者への対抗のライバル心から自分にとっての実利の追求にのみ終始する個人主義的な「成り上がり」の立身出世主義に取って代わられ教養は実利の観点から魅力のない無効なものとされ結果、1960年代には「『勤労青年』の教養文化」は衰退し消失していく。

同様に後者の教養を供するための物質的条件(組織・システムのハードと情報媒体のソフト)についても、「第1章・敗戦と農村の教養共同体」の地方には、農村青年団(青年団が主催の読書会や夜学会ら)という各地域ごとの人的組織のハードと、人文科学の知を主とする必読書籍(「哲学概論」「文学概論」「芸術と生活」など)の共有・貸し借りのソフトがあった。続く「第2章・上京と『知的なもの』への憧憬」でも、地域の農村青年団の教養共同体に代わって、特に地方の青年の多くで都市圏に集団就職した「勤労青年」たちの教養鍛練の受け皿として機能した定時制高校(そのほとんどが昼間は働く若者のための夜間制であった)のハードがあり、夜間学校は教員による対面教授と教科カリキュラムと教科書教材というソフト提供も兼ね備えていた。しかし、戦後社会が移行して日本がさらに豊かになるにつれ、家庭内の経済事情から上級学校への進学を断念して働く「勤労青年」の数が減り、ほとんどの若者が全日制の高校への進学を果たし、また大学進学率も劇的に上昇すると、教養を提供するかつての地域の農村青年団や都市部での定時制高校のハードは次第に機能しなくなっていく。そこで前よりの「第3章・人生雑誌の成立と変容」における教養提供のソフトの面で人生雑誌(「人生手帖」や「葦(あし)」)が一部の「勤労青年」らに継続して読まれていた。だが、1960年代にはそうしたソフトも衰退し、やがて「『勤労青年』の教養文化」は消失してしまう。

本新書が特に優れているのは、「格差と教養」というフレーズが本文に頻繁に出てくることからも明白なように、近代日本において教養主義がともすれば裕福で生活に余裕がある有閑階級のステータスな高踏学問と目され、従来の日本型「教養」が有する没社会性や非実践性への批判をあらかじめ見越して、教養主義の問題にて「勤労青年」という10代の若い働く世代での「読書や勉学を通じての人格陶冶」という教養研鑽にあえて考察視角を定め、若い比較的貧困な階層の家庭の若者が格差の下層にて、だからこそ自己陶冶や社会改革のために主体的に教養を学ぶ姿を描き出していることだ。

人は若い頃に時間をかけて「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」という価値意識のもと、「読書や内省、社会批判を主題とし」て「実利を超越した読書・教養」を涵養できれば、間違いなく一生当人にとっての欠けがえのない人生の財産の宝になる。人は若い時に苦労を惜しんで勉学に励む最良に越したことはない。しかし、とかく若い人は青春時代の勉学の教養の苦労よりも、目先の娯楽の安楽に安易に流れてしまいがちである。昼間に働く時間的にも経済的にも余裕がない「勤労青年」ならなおさらだ(本新書にあるように、必ずしも大部分の「勤労青年」が真面目に教養を学んでいたわけではない、不良化や脱落する若者も当時は多くいた)。そして、ある年齢を経て大人になってから人格陶冶で学び直そうとしても、もう自分の基本の物の考え方や知的世界が固まり確立されていて、また若い頃のようにやる気も根気も持続できず、教養修練にはすでに遅いということも実はある。岩波新書「『勤労青年』の教養文化史」というような、若い10代の「勤労青年」に焦点を定めた「教養文化史」という著者によるテーマ設定は私には絶妙に思える。

また現在では、教養主義は反知性主義の対抗(カウンター)として語られることが多い。ここで今日、社会現象となり問題とされている「反知性主義」を取り急ぎ定義すれば、(1)時間の収縮化(今だけの瞬間、刹那の享受)、(2)事柄の断片化(文脈や歴史や他者の不在、無視。すなわち(1)と(2)を通しての人間や物事全般に関する時間的・場所的理解がインスタントで薄っぺらいこと)、(3)他者への不寛容と攻撃性(自分が他者より優越したり、相手を論破したり言いくるめたりすることへの異常な執着。そのために自身の知識がフルに稼働される)。こうした今日の反知性主義へのカウンターとして本来あるべき教養、「教養とは何か」についても、同様に取り急ぎ簡略に定義するとすれば以下のようになろうか。

「教養とは、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す」

岩波新書の赤、福間良明「『勤労青年』の教養文化史」は、そうした今日の薄っぺらい反知性主義に対抗しうる本物の教養主義の再建・復興のヒントを与えてくれているように読める。つまりは「教養文化」を成り立たせるためには、(1)人々を内的に教養鍛練へと駆り立てる精神的雰囲気(エートス)と、(2)教養を供するための物質的条件(組織・システムのハードと情報媒体のソフト)の2つの条件を整備して満たせばよいことに一応、原理的にはなる。それぞれに各人による様々な問題解決アプローチが考えられるが、(1)については特に今の10代や20代の若い人に対し、即効性ある手早く楽に金銭利益がもたらされたり、すぐに成果や満足が実感できる目先の損得勘定にこだわる実利的な学問ではなくて、「人間にとって教養が大切であり、ぜひとも教養を身につけなければいけない。読書や勉学を通じて真実を模索し、私は苦労と修練を日々重ね長い時間をかけて自分の人格を磨いていかなければならない。と同時に自分のことだけでなく、現在貧困や格差に抑圧され疲弊して苦しんでいる人々のことも考え、それを彼らの自己責任として安易に処理せずに、私は社会の共通善の増進に努めなければいけない」とするような知や教養への渇望と、それに基づく実践を各人の心の中に強く思わせる相互了解の社会的な精神的雰囲気(エートス)の醸成をいかにしてなすべきか。それが一つの大きな今日的課題といえる。

(2)に関しては、ハードとソフトの両面を同時に大量提供できるがゆえに「教養文化」形成の面で、公的な学校教育の役割は昔から絶大であり、今日、特に高等教育機関の大学にて資格取得のメリットや就職率の高さの実利を謳(うた)い看板にするのではなくて、特に人文科学の知(哲学や文学や歴史や宗教や芸術ら)の教養研鑽に傾注する本来あるべき最高学府としての大学の再建が緊急であり最重要であるように思う。また現代のインターネット環境の整備やソーシャルメディアの普及を受けて、個人が学んだ教養科目についてブログや掲示板らに上げて皆で認識・議論を共有したり質疑討論したりする、かつての農村青年団での読書会や夜学会のような、私的であるが半ば公的なネット上でのハード作りの方策も有効であるように思う。