アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(356)河合隼雄「子どもの宇宙」

岩波新書の黄、河合隼雄「子どもの宇宙」(1987年)は昔からよく知られた新書だ。本書は「ひとりひとりの子どもの内面に広大な宇宙が存在することを、大人はつい忘れがちである」という趣旨で、子どもには大人や社会から矯正(きょうせい)してしつけられたり、指導され教えられることがなくても、子ども自身が生まれながらに先天的に世界や社会や他者や自分のことをよく知っており、大人がそうした子どもの日頃の何気ない予想外の言動に大いに驚き、逆に学ばされるという内容である。しつけや教育必要論で万能論の器(うつわ)の小さい両親や学校教師や育児・教育評論家の思い上がった一部の大人は、本書を読んで一度はガツンとやられるといったところか。

臨床精神医の河合隼雄がいうように、子どもの内面は広大無限な一つの「宇宙」であって、当然に子どもからの応答反応や思考回路や発想法に関し、観察眼の鋭さや普遍的な正義の正論や現実相対化の笑いのユーモアら、大人が予測できない、時に度肝を抜かれるような素晴らしいものが多々あるのである。子どもは「導者」であり、「トリックスター」(神話や昔話で活躍する、いたずら者で変幻自在で破壊と建設の両面をなす者)でもある。この意味で大人よりする子どもへのしつけや教育は誠に残酷なことに無効化され、時に完全否定される。大人が子どもに対し、「しつけ」や「教育」と称して何でも教えるのがよいことはないのである。むしろ大人が無駄に子どもに指導し教えることで子どもをスポイルする(駄目にしてしまう)ことは、よくある。

本新書を読むにつけ、河合隼雄は「子どもの宇宙」という内面に関する臨床心理学の現場実例のネタのストックを多く持っているものだと私は感心する。本書は「子どもと××」の各章よりなる。章タイトル後半の「××」には、例えば「秘密」や「動物」や「時空」や「死」らの各テーマが入る。河合は本書にて「子どもの遊戯療法の例を少し紹介したが、これは、心理療法などというと、人を『分析』したり、『深くさぐりを入れ』たりすることだなどと思っている人がいるので、そのような誤解をとくためもあって述べたのである。治療はあくまでも子どもの宇宙への畏敬の念を基礎として行われる」と書いている。この人は「畏敬の念」をもって接するべき「子どもの宇宙」の世界と力学とをよく分かっている。

岩波新書の黄、河合隼雄「子どもの宇宙」は、冒頭の河合による「はじめに」が何よりも簡潔で無駄がなく本質的で、間違いのない名文であると昔から思う。最後に「はじめに」の書き出しを載せておく。

「この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する『教育』や『指導』や『善意』という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。私はふと、大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。それでは、あまりにもつまらないのではなかろうか」(「子どものなかの宇宙」)