アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(358)大江志乃夫「戒厳令」

日本近現代史専攻の歴史学者であり、なかでも軍事史に優れた業績を残した大江志乃夫の著作には「岩波新書三部作」とも呼ばれるべきものがある。岩波新書の「戒厳令」(1978年)と「徴兵制」(1981年)と「靖国神社」(1984年)である。今回は、大江志乃夫の「岩波新書三部作」のうち「戒厳令」について、本新書のスムーズな理解の補助となるよう「戒厳令」に関する基本的な事柄や今日的問題を挙げて、岩波新書の大江志乃夫「戒厳令」を読むための導入としたい。

戒厳とは、戦時もしくは事変に際して行政権・司法権が軍隊の司令官にうつる制度のことをいう。すなわち、戒厳令とは緊急時の非常法であって、戦時・事変における軍事法令のことである。戒厳は平時の法を停止し、集会出版の停止、危険物の検査押収、郵便物の開封、交通の停止、民有動産・不動産の破壊、家屋の立入検察、危険人物の退去処分などを軍隊が行える。

これら戒厳の内容は、戦時もしくは事変に際しての「緊急事態」下での軍事的非常措置であり、人民の権利自由に対する重大な侵害を行うものであるから、それが必要不可欠な範囲にとどまるような配慮が必要である。しかし、その充分な保障を与えることは難しい。通常の民主的な国民国家では立憲主義と議会主義、つまりは憲法と議会の政治法体系が国民の生存の権利と自由を保障して日常的に機能しているが、戒厳宣言下での戒厳令は「緊急事態」や「非常事態」にて、個人の権利と自由に対し軍事強制的に制限を加えるものであるから、憲法を頂点とする一国の法体系秩序を一気に無効にし破壊してしまう。この意味において、トランプのゲームで通常はエースを頂点として切り札が順序よくキング、クイーンとこれに続き、整然とした秩序の体系を形作っているのにオールマイティーのジョーカーのカードを一枚出しただけで、これにより切札請求権を行使して、これまでのカードの秩序体系を一挙に覆(くつがえ)しゲームの主導権を独占できるような、戒厳令がトランプ・ゲームにおける五三枚目の究極カード、ジョーカーによく例えられる所以(ゆえん)である。

歴史上、洋の東西を問わず、戒厳令はクーデターによる軍事独裁政権の成立と、成立した軍事独裁政権による無制限の暴力的統治とを正当化する目的のために、しばしば使われた。戒厳令=非常法の発動は通例、クーデター勃発後に軍事独裁政権の維持のためにクーデター実行者から「緊急的」になされる。戒厳令こそはクーデター実行者に全軍事力の指揮官としての機能を付与し、日常的な秩序の法体系たる憲法と議会に対する否定を伴って軍事力を恣意的に暴力手段として縦横に使うことを許し、無制限ともいうべき執行権力の行使をほしいままにさせる切札(ジョーカー)なのであった。

近代日本において、戒厳は大日本帝国憲法第14条「戒厳は天皇が宣言すべきもの」とされた。ただし、その要件および効力は法律で定めることを規定しており、この法律に関わるものとして明治15年太政官布告36号・戒厳令がある。この戒厳令は、大日本帝国憲法第76条の「法律、規則、命令又は何らの名称を用いているにかかわらず、帝国憲法に矛盾しない現行の法令は全て遵守すべき効力を有する」により法的効力を付されているのであった。太政官布告36号・戒厳令によると、戒厳には(1)合囲地境戒厳と、(2)臨戦地境戒厳の二種がある。(1)の合囲地境戒厳は敵による囲い込み(合囲地境)や攻撃があった場合の非常事態の戒厳であって、合囲地境戒厳は緊急度が高いため、戒厳の効力は強大である。戦時・事変の非常事態の際には地方行政事務・司法事務は全て軍の司令官の管掌(かんしょう)に帰し、また軍事に関係する民事と法定の犯罪は全て軍衙(ぐんが・戦地で軍務を取り扱う役所)において裁判をする(刑事の場合には軍法会議、民事の場合には特別の裁判所)。合囲地境内に裁判所がなく、外部の管轄裁判所との交通が断たれた時には、一切の民事刑事の事件が軍衙の裁判に属することとなっていた。これに反して(2)の臨戦地境戒厳の場合には、臨戦地境は自陣を背後に背負い、合囲地境ほどの緊急ではないため戒厳の効力はやや落ちる。この場合には、地方行政事務司法事務のうち軍事に関係ある事件だけが司令官の管掌に帰するにすぎない。

戒厳が宣告された実例は、日清戦争(1894年)の際に広島と宇品、日露戦争(1904年)の際に長崎と台湾などで、いずれも臨戦地境戒厳が宣告されたのであるが、合囲地境戒厳が宣告された例は全くない。この他に「緊急勅令」(天皇大権の一つで、緊急の必要により議会の審議を経ないで制定される勅命)により戒厳令の一部が施行せられた、いわゆる行政戒厳の例として、1905年の日露講和条約締結後の東京における騒乱、1923年の関東大震災、1936年の二・二六事件の3回があり、いずれも主として軍事戒厳での臨戦地境戒厳の規定が施行されている。

明治から1945年までの大日本帝国憲法下における戒厳の概要は以上であるが、敗戦後の1945年以降の日本国憲法下における戒厳については、現行憲法では戒厳に関する規定は全くない。ただし、戒厳に相当する内閣総理大臣による「緊急事態宣告」と自衛隊の「治安出動」の緊急事態についての法的規定はある。すなわち、戦後の日本国憲法体制において、戦前のような戒厳を宣告する主体たる天皇の天皇大権はなく、かつての天皇に代わって内閣総理大臣が発令するのであり、また同様に戦前の陸海軍は自衛隊に新たに再編成されているのであるから、以前の戒厳令に代わり警察法71条の「緊急事態布告」と同78条「治安出動(命令出動)」によって、「内閣総理大臣は大規模な災害または騒乱その他の緊急事態に際して、治安維持のために特に必要と認める時には緊急事態の布告を発することができる」、かつ「その緊急事態に際しては自衛隊の出動を命ずることができ、出動を命じた場合には20日以内に国会に付議してその承認を得なければならない。また国会にて不承認の議決があった場合には、内閣総理大臣は速(すみ)やかに自衛隊の撤収を命じなければならない」旨の規定がある。さらには治安出動した自衛隊が行使できる権力について、自衛隊法90条では、治安出動した自衛隊の自衛官の武器使用に関して正当防衛および緊急避難の場合には武器使用権の行使が認められる点に限定されており、戦後の日本国憲法下の緊急事態布告における自衛隊出動は、戦前の大日本帝国憲法下における戒厳にての治安維持に要する武力行使能力と比べて格段に弱いと言わざるをえないの現状である。

さて、大江志乃夫「戒厳令」(1978年)は、おおよそ以上のような「戒厳令」の概要を押さえて読むといくらかスムーズな理解が得られるかと思われる。本書は「戒厳令」について、(1)「戒厳令とは何か」の概説、(2)近代日本で施行された過去の戒厳令の実例、(3)本書執筆の1970年代末の時点での戦後日本での戒厳令復活(戒厳立法、非常事態立法)に対する著者の大江による反対と懸念の主に3つよりなる。

とくに(3)について、戦後の自民党保守政権は憲法改正とともに戦前の戒厳立法に相当する非常事態立法に熱心であり、戦後の憲法体制にて戒厳に関する規定がないことに関し、例えば以下のような意見にて非常事態法を早急にゴリ押しで進めようとする動きも見られる。「戒厳立法のような非常事態に対処する法律が制定されていないならば、実際に国家非常の事態に際会したときに、国政をあずかる政府としては国民に責任がとれないのではないか。平時にあって非常に対処する準備をしようとしないのは責任ある政府のなすべきことではない」というような主張である。大江志乃夫は1978年刊行の「戒厳令」の中で、近年の1960年の安保闘争の鎮圧を目的とする岸信介内閣下での警察官職務執行法(警職法)の改正(1958年、審議未了により廃案)での警察官の権限強化に対する警戒心が強くあるため、同時代の自民党政権が強い意欲を見せる戒厳立法=非常事態立法に強く反対の立場であり、「非常事態に対処するための戒厳立法のような超法規的法律は、時の内閣の権力者より政権に対抗する国民大衆の運動デモへの暴力的鎮圧に警察と自衛隊が自由に際限なく使われる危険性が大いにあるため、この種の立法は極度に有害であり危険である」としている。詳しくは大江「戒厳令」での「自衛隊の戦時立法研究と戒厳令」の記述(201─216ページ)を参照されたい。

私は大江志乃夫の考えとは多少異なり、今日にて戦前の戒厳令に相当する、ある種の非常事態法の制定は必要であると考える。繰り返しになるが、戒厳令とはあくまでも緊急時の非常法であって、戦時・事変における軍事法令のことである。戒厳は平時の法を停止し、集会出版の停止、危険物の検査押収、郵便物の開封、交通の停止、民有動産・不動産の破壊、家屋の立入検察、危険人物の退去処分などを軍隊が行える。これら戒厳の内容は、戦時もしくは事変に際しての「緊急事態」下での軍事的非常措置であり、人民の権利自由に対する重大な侵害を行うものであるから、それが必要不可欠な範囲にとどまるような配慮が必要であるが、その充分な保障を与えることは難しいのである。確かに大江が指摘し危惧するように、戒厳立法というのは「緊急事態」(「今は緊急時だから」)を名目の口実にして、軍隊の軍事的暴力を前面に出しての時の政府による国民の人権や地方自治の制限を恣意的に際限なく容易にさせるものであり、また国内民衆に対する軍事的制圧に皮肉にも自国の軍隊が使われてしまうという危険性もある。そうなれば議会制民主主義の自殺であって、日本国憲法の自己否定であり、かつてのドイツ、ワイマール憲法下でのヒトラーへの授権法(非常事態の発生に際し国家に一定の権限を授権する法律。ナチス政権下のドイツにおける全権委任法を指す)の再現である。

だが1970年代の状況とは異なり、今日の2000年代以降では大規模災害や重大事故やテロでの事後騒乱、外国からの侵略や国内での自衛隊のクーデターなど、国民の生命・財産が脅かされる切迫した緊急事態も十分に想定できるのであるから、何らかの非常事態法に類するものの法的整備は最低限必要だと私は考える。

その際の非常事態立法の議論の焦点は、これまでの記述、つまりは近代日本における「戒厳令」についての考察を振り返ってみれば明らかだ。すなわち、(1)非常事態宣言の布告と軍隊の出動命令の際に必ず議会の承認を必要とさせる(国家非常事態を布告して自衛隊の命令出動の後、最速で国会に付議して民意の反映である国会の承認を必ず取り付ける必要性)。(2)緊急時における行政と司法の分離(国家非常事態時下にて、行政や軍隊の行動規律の粛軍、非常事態法に反した際の国民の処遇の司法的判断を行政や軍隊がやらず、それとは独立した司法にやらせる)。以上の二つの要点を押さえた上で、緊急時での軍隊の武器使用や国民に求められる私権の制限の詳細の細かな議論を詰めていけばよいと思える。