アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(367)上田篤「橋と日本人」

岩波新書の黄、上田篤「橋と日本人」(1984年)は、日本の橋に関するややマニアックな本で、私は橋の専門家ではないし橋の鑑賞が趣味というわけでもないので、日本の橋への偏愛にあふれる著者の本文記述に時に圧倒されそうにもなるけれど(笑)、一読して非常にユニークで面白い新書だ。

著者の上田篤は、住居学や都市設計論を専攻の工学博士である。本書上梓時の氏の役職は大阪大学工学部環境工学科教授であった。住居学や都市開発論専攻の工学部教授であるだけに本書「橋と日本人」にても日本の橋に対し、建築工学的アプローチからの考察が読んで特に目を惹(ひ)く。例えば八橋(東京)や宇治大橋(三重)や錦帯橋(山口)ら、本書では当時現存する日本の橋を34挙げて、それぞれの橋について現地での実地調査も踏まえ、和歌や歴史文献に依拠した架橋由来や工法と素材やデザインらに詳細に言及している。本書での34の日本の橋に関する文章は、元々は雑誌「太陽」と「山河計画」と「グリーンパワー」の文芸と建築と都市開発の各誌に連載初出されたものを後に新書の一冊にまとめたものであるという。まさに「日本の橋づくし」「橋づくし恋の道ゆき」といった内容である。工学の確かな知識で橋の構造を分析してくれ、普段何気に目にし渡っている橋の奥深さを見せつけられる思いだ。また景観や文化財としての橋の大切さにも頷(うなず)かされる。本書は橋の設計やデザインや施工や管理や補修を日々行う建築家や現場の建設関係者が読んで、工学的観点から橋についてより深く理解できるものでもあると思う。

「歌謡や和歌、紀行,随筆などに日本人の『橋』観をさぐる一方、現存する橋の実地調査を手がかりに古い橋の姿をたぐり寄せ、浮かび上らせる本書は、楽しい『日本橋づくし』の本であり、ユニークな日本文化論の書でもある。橋についての伝統的な知恵と美意識をふり返ることは、おのずから現代の橋梁デザインへの批判と提言ともなっている」(表紙カバー裏解説)

ところで私が昔、この岩波新書の上田篤「橋と日本人」を手に取り読んだのは一時期、私は文芸批評家の保田與重郎に傾倒し保田の「日本の橋」(1936年)が相当に好きで何度も繰り返し読んでいて、その保田與重郎の「日本の橋」と本書「橋と日本人」のタイトルが似ていたことによる。当時は保田「日本の橋」のような優れた評論をさらに探して読み重ねたかったのだ。

保田與重郎といえば、最近の人にはもうあまり知られていないのかもしれない。ここで保田與重郎について改めて確認しておくと、

「保田與重郎(やすだ・よじゅうろう、1910─81年)は日本の文芸評論家。 奈良県生まれ。旧制大阪高校から東京帝国大学美学科美術史学科卒業。在学中より亀井勝一郎らとともに『日本浪曼派』創刊同人として活躍。高校時代から後に、ヘルダーリンやシュレーゲルを軸としたドイツロマン派に傾倒して、近代文明批判と日本古典主義を展開。1936年にデビュー作である『日本の橋』で第一回池谷信三郎賞を受賞、批評家としての地位を確立する。以後、日本浪曼派の中心人物として、太平洋戦争終了まで時代を代表する評論家となる。先の戦争を正当化したとされ、戦後は公職追放。しばらくは保田の言論および存在は黙殺された時期もあったが、1960年代には復権した。その間も『祖国』を創刊し、匿名で時評文を書き(『絶対平和論』『日本に祈る』など)、その姿勢は戦前から一貫していた」

ここにある「日本浪曼派(にほんろうまんは)」とは、1930年代後半、保田與重郎らを中心とする西洋の近代批判と日本の古代賛歌を支柱として「日本の伝統への回帰」を提唱した文学思想およびその機関誌の名、また、その理念や作風を共有していたと考えられる作家たちを指す。

前述のように保田與重郎がデビュー作の「日本の橋」を執筆したのは弱冠26歳の時、まだ20代で保田は早熟であり保田の文筆は若くしてすでに完成していた。しかも保田がデビューした1930年代は満州事変も始まり、日本がアジア・太平洋戦争に邁進する中での超国家主義全盛の時代であって、そうした総力戦体制の天皇制ファシズムの下で西洋に関する文献書籍は国家当局により検閲にて発禁処分に付され、代わりに日本古来の伝統歴史を賛美し賞揚する文筆が時代的に奨励され、もてはやされた。戦時中の保田與重郎の作品は、特に当時の皇国青年や文学青年の若者から熱狂的な支持を得て熱心に読まれた。戦前の青年期に日本浪曼派の保田與重郎にのめり込み心酔していた、近代日本思想史研究の橋川文三は、みずからの戦時の青春時代への反省総括と自戒の意を込めて「日本浪曼派批判序説」(1960年)の批判的分析の書を後に著したほどである。それほどまでに保田與重郎は、戦時の一時期に注目され熱心な読者を得て広く読まれた文芸評論家なのであった。

私は普段から日本の右派や保守や天皇論者や国家主義者らを心底、軽蔑し嘲笑して馬鹿にしているのだが、しかし昔の日本の右派や天皇論者の保守論壇は今のそれとは違って、その政治的立場とは別に、歴史的教養と文学的素養が非常に優れ突出しており、彼らが書いたものを今でも読んで歴史や文学における精密で重厚なその卓越した手並みには舌を巻かざるを得ない。保田與重郎を始めとして、小林秀雄、亀井勝一郎、三島由紀夫、江藤淳ら、政治論はともかく、彼らの小説や随筆や文芸批評や歴史評論は素晴らしいという他ない。

なかでも保田與重郎の「日本の橋」は特に優れており、今読み返してみてもその文筆の素晴らしさに感嘆の思いがする。「日本の橋」以外にも、保田の「後鳥羽院」(1939年)が私は昔から特に好きで日々愛読している。