アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(376)小泉信三「福沢諭吉」

岩波新書は日本で最初の新書の老舗(しにせ)である。岩波新書は、既刊の古典の再収録ではない、新たな書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価(れんか)で提供することを目的として1938年に創刊され、日本で「新書」と呼ばれる出版形態の創始となった。それゆえ昔からある老舗の底力というか、「このテーマの新書は是非ともこの人が書くのが適任だ」という絶妙な執筆者選択の傑作新書の上梓を時に重ねてきた。

例えば「明治の思想家、福沢諭吉についての新書を書くのに最も適任なのは小泉信三しかいない」と私には思える。そうして岩波新書には青版の小泉信三「福沢諭吉」(1966年)があるのであった。何よりも小泉信三その人に「福沢諭吉」に関する新書を書かせる当時の岩波新書編集部の方針が心憎い。そもそもの福沢諭吉と小泉信三の各人の概要は以下だ。

「福沢諭吉(1834─1901年)は明治期の啓蒙思想家。豊前中津藩士。大坂の緒方洪庵に学ぶ。欧米巡歴3回。1868年に慶應義塾を創設。明六社創立に参加。実学を勧め、個人の独立と国家の隆盛は学問によって成り立つことを説く『学問のすすめ』(1872年)は当時大ベストセラーとなった。1879年には『国会論』を著し、自由民権運動に影響を与えた。1882年、日刊新聞である『時事新報』を創刊。のちに『脱亜入欧』を主張して日清戦争前頃から国権論に傾く。

小泉信三(1888─1966年)は日本の経済学者。1910年に慶應義塾大学部政治科を卒業。1916年に慶應義塾大学教授となり、デヴィッド・リカードの経済学を講義する。自由主義を論調とし、共産主義・マルクス経済学に対し徹頭徹尾合理的な批判を加えた。1933年から1946年まで慶應義塾長。1949年に東宮御教育常時参与に就き皇太子・明仁親王(平成天皇)の教育の責任者となる。福沢諭吉『帝室論』らを皇太子に講義し、新時代の帝王学を説いた。美智子皇太子妃実現にも大きく関与した」

これら両人の経歴概略を見るだけでも、福沢諭吉が創設した慶應義塾の出身で、後に慶應義塾長を務めた小泉信三はまさに「正統な福沢の継承者」たるにふさわしい人物であって、「明治の思想家、福沢諭吉についての新書を書くのに最も適任なのは小泉信三しかいない」と私には思えるほどだ。それだけに岩波新書の小泉信三「福沢諭吉」は新書企画として素晴らしい。

小泉信三の父は慶應義塾長や横浜正金銀行支配人を歴任した小泉信吉である。信三は早くに父を亡くし、父の小泉信吉が福沢諭吉の直接の門下生だった縁で晩年の福沢に目をかけてもらい、信三は幼少時に福沢邸に一家で同居していた時期があった。岩波新書「福沢諭吉」の中で私が昔から好きなのは、著者の小泉信三が幼少期に同じ敷地内にて生活した福沢諭吉との日常のやり取りを語った以下の記述である。

「福沢は私の父(小泉信吉)の恩師である。明治二十八年、すなわち日清戦勝の年の夏、私は七歳の小児であった。前年父を亡い、福沢の恩情に浴して、いわば引き取られたような形で、母と姉妹と共にしばらく三田山上福沢邸内の一棟に住むことを許された。或る朝、福沢家の庭、ガーデンと称された芝生の一隅で遊んでいると、そこへ浴衣がけの福沢が、その愛孫で、私より一年年少の小児と共に現れた。その時六十一歳の福沢は二人の小児の遊び相手となり、吾々は芝生の上にしゃがんで何か話していると、私の向こう脛に、尻に縞のある一匹の薮蚊がとまり、その尻が、吸った血で、だんだん赤くふくれて行った。どうしてその蚊をつかまえてやろうかと、私が思っていると、突然福沢の大きな掌が私の脛をたたき、血が散った。福沢は指でその蚊をつまみ、『信さん、それ』と私に見せた。私は文字通りこの歴史的人物に接触したのである」

「信さん、それ」の福沢の肉声が紙面を通して実際に耳元に聞こえてきそうな、「文字通りこの歴史的人物に接触した」小泉信三による福沢諭吉評伝にての名記述である。これはよい文章だと思う。小泉信三のこの「福沢諭吉との思い出」が昔から私には記憶に残って印象深い。

岩波新書の小泉信三「福沢諭吉」は、幕末における福沢の青年時代の外遊から明治維新を経て、「学問のすすめ」や「文明論之概略」の執筆、自由民権運動への対応と明治十四年の政変からの影響、そうして晩年の日清戦争での大日本帝国の戦勝に感涙する福沢まで、時系列に沿った福沢諭吉評伝の内容となっている。福沢の主要著作を読み、特に1945年以降の戦後から今日までの福沢諭吉研究の成果を知っている者からすれば、「やはり小泉信三は同じ慶應学閥の福沢の正統な後継者であり、何しろ小泉自身が幼少時からの生活の面で福沢に私的に恩義を感じているとともに、相当に福沢に傾倒し心酔して心底から福沢を尊敬しているため、福沢諭吉の思想の問題点や時代の限界性の負の側面は明らかにあるにもかかわらず、うまい具合に小泉はそれら難点を隠して理想的で完璧な福沢先生像を本新書にて描き切り作り上げている」の不満は残る。読んでいて「これは本当か!?」と思わず半畳を入れて苦笑してしまうような小泉による怪しい福沢絶賛記述も正直、本新書には見受けられる。

福沢諭吉は一般的にも広く知られた明治の思想家であるが、実のところ本格的な福沢研究がなされたのは意外に遅く1970年に入ってからであった。この時代に遠山茂樹 「福沢諭吉」(1970年)、安川寿之輔「日本近代教育の思想構造・福沢諭吉の教育思想研究」(1970年)、ひろた・まさき「福沢諭吉研究」(1976年)ら詳細で優れた福沢研究書籍が相次いで出版された。1970年代より遥かに遅れて私は1990年代に大学進学し、その時期に福沢諭吉に関する研究論文・書物を集中して読んだ。当時の90年代は福沢研究といえば、遠山「福沢諭吉」と安川「日本近代教育の思想構造」とひろた「福沢諭吉研究」の三著は必読の定番であり、「この三冊を読まずして福沢について語る者は素人のモグリ」のような空気が確かにあった。

(※岩波新書の青、小泉信三「福沢諭吉」は近年、岩波新書評伝選から改訂版(1994年)が復刻・復刊されています。)