アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(380)筑紫哲也「スローライフ」

岩波新書の赤「スローライフ」(2006年)の著者である筑紫哲也については、

「筑紫哲也(1935─2008年)はジャーナリスト、ニュースキャスター。大分県日田市出身。1959年、早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。政治部記者、ワシントン特派員、朝日新聞社発行の週刊誌『朝日ジャーナル』編集長などを歴任。TBSテレビよりニュースキャスターの打診を受け、1989年に朝日新聞社を退社し、以後『筑紫哲也NEWS23』のメインキャスターを長年に渡り務めた。新聞社やテレビ局ら、既成の営利団体である企業は広告スポンサーからの圧力やそれへの配慮から自由な活動ができないことを痛感したためか、晩年はNPO(非営利での社会貢献活動を行う市民団体)の活動支援に特に力を注いだ」

ジャーナリストの筑紫哲也は大分県日田市の出身であり、筑紫は、同じ大分出身の夭逝(ようせい・「才能ある人が若くして亡くなること」の意)の音楽家、滝廉太郎(1879─1903年)の親戚筋に当たるらしい。私は日田市ではないが、同じ大分県出身の同県人であることから筑紫哲也その人については、直接の知り合いではないものの、メディアを介し知っていて勝手に私は氏に対し親近の情を抱いていた。

以前に「筑紫哲也ニュース23」にて、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の報道をめぐり、筑紫による放送事故の舌禍(ぜっか)があった。その内容は、ヘリコプターからの現地中継に臨んだ筑紫哲也が地震による火災で燃え上がる神戸市の様子を「まるで温泉街(おんせんまち)に来ているようです。そこらじゅうから煙が上がっています」と発言。この被災の街を温泉街に喩(たと)えたレポートが被災者に対し、あまりに無配慮であり不適切とされ、後に筑紫も自身のコメントの非を認めたという。

私は、筑紫哲也のこの失言コメントの一件を聞いた時、当時からすぐにピンときた。地震による火災で燃え上がる被災地、神戸の街の様子を「そこらじゅうから煙が上がっています。まるで温泉街に来ているようです」云々の現場レポートのコメントが出たのは、「あー筑紫さんは大分県出身だから。無数に煙が上がる神戸の街の被災の様子から大分は別府の街の温泉煙の日常景色を思い出して、ついポロっと言ってしまったな。『まるで温泉街に来ているよう』は、別府の温泉街がある大分出身の人がいかにも即に思いがちな連想で、筑紫哲也は大分県出身なのがアダになったな」というような私の感慨であった。

大分にゆかりのない他の地域の人にはあまり分からないかもしれないけれど、大分の別府の温泉街の日常的な平和な風景は、いつも至るところで温泉の白い煙がモクモクと上がっているのである。そして、その「そこらじゅうから煙が上がっている温泉街」の別府の平和な風景を、大分県人は日々のテレビの地域ニュースのオープニング映像や県内の天気予報の背景画面で毎日のように日常的に視聴してよく知っているのである。だから、阪神・淡路大震災の報道での筑紫哲也の失言について、私は「筑紫さんは大分県出身だから、ついポロっと口が滑(すべ)って言ってしまったな」と妙に納得し理解できて、氏に対して半分は気の毒で同情の気持ちも当時より私は抱いていたのである。

ただし、あのレポートのコメントの残りの半分は、紛(まぎ)れもない失言であり、神戸の被災者のことを考えれば、やはり放送事故の不適切な発言であったと思う。この件で筑紫哲也は自分の非を認め謝罪したそうだが、それは当たり前で被災の街を温泉街に喩えるのは、まさに反省して謝罪すべき筑紫の失言であった。

私達は日常の至る場面で、ある物事や人物に対し、とっさの連想や印象や判断で、相手に対し失礼なことや非倫理的なことや罰当たりなことや不謹慎なことが瞬間的につい頭に浮かんで、「そんな失礼で非倫理的なことや罰当たりで不謹慎なことがつい頭に浮かぶとは、何と俺はヒドイ人間なのだろう…」と思い悩んで、しばし反省することはよくある。だがしかし、人間は瞬間的に脳裏に浮かんでしまったり、無意識も手伝って何かを即に連想してしまうことに止めようはないのだ。たとえ不適切で不謹慎な事柄であっても瞬間的に思ってしまうことは仕方がない。ただその瞬間的に思ってしまったことを何の自己検閲規制もなく、いつもポロっと口外し発言してしまったり、表情や身ぶりで周囲の人にそれとなく悟られてしまうことがいけないのだ。こういった意味で自分が感じたことや瞬間的に思ったことを何の思慮もなく、いつも即座に口に出し発言してしまったり、表情に出してしまう人というのは人間として始末におえない、やっかいな人であると思う。

「腹芸ができる」という表現がある。「腹芸」とは「自身の内的感情や本音やはかりごとを表の言葉や行為に出さずに、自分の内面におさえておくこと」である。日常の対人関係でも仕事でも何にでも優秀なデキル人というのは、いわゆる「腹芸ができる人」である。ジャーナリストでニュースキャスターであった筑紫哲也のことを思い出すと、阪神・淡路大震災の報道をめぐる筑紫の放送事故の舌禍が自然と思い起こされ、「自分が瞬間的に感じたこと、思ったことを、そのまま即座に言葉にして口外しては駄目だ。いついかなるときでも常に腹芸ができる人にならなければ」と自分への戒(いまし)めを込めて、いつも私は思う。