アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(381)林三郎「太平洋戦争陸戦概史」

先日、たまたま書店に立ち寄ったら岩波新書の林三郎「太平洋戦争陸戦概史」(1951年)が「岩波新書クラシックス限定復刊」で復刊されていたので、本書はすでに昔の版を所有していたが、つい購入してしまった。

本新書はそのタイトル通り、第二次世界大戦の東アジア戦線であるアジア・太平洋戦争、その中でも特に対米英戦の太平洋戦争での大日本帝国陸軍の陸戦史の概要をまとめたものだ。本書の姉妹書籍に、同じく岩波新書の高木惣吉「太平洋海戦史」(1959年)もあった。太平洋戦争での帝国海軍の海戦の歴史をまとめた高木「太平洋海戦史」も、今回の「岩波新書クラシックス限定復刊」企画で同様に復刊されている。

この二冊の新書は、太平洋戦争における帝国陸軍による「陸戦史」と帝国海軍による「海戦史」で、きれいに対(つい)をなしている。ここで両新書のタイトルを改めて確認してもらいたい。陸戦に関しては「太平洋戦争陸戦概史」で概観史の「陸戦概史」となっており、かたや海戦の方は「太平洋海戦史」の単なる「海戦史」になっている。この双方のタイトルの微妙な相違は、太平洋戦争の各戦史に対し、執筆者それぞれの新書の記述方針の違いに由来するものと考えられる。すなわち「太平洋戦争陸戦概史」においては、作戦の立案目的から事態の推移と戦闘の結果まで、各戦線のあらゆる戦闘事項をなるべく漏(も)らすことなく網羅するように幅広く、そのため新書一冊の紙数制約もあるため、結果として「広く浅く」の概観の「陸戦概史」記述になっているのだ。他方「太平洋海戦史」の方は個々の海戦について、扱う戦闘の事柄をあらかじめ厳選し出来るだけ掘り下げて詳細に書こうとしており、結果的には「深く狭く」の通常の「海戦史」記述になっている。

岩波新書「太平洋戦争陸戦概史」の表紙カバー裏解説文は以下だ。

「太平洋戦争の陸戦の全局面を、物動、編成、兵器、動員人員などあらゆる角度からはじめて総合的に把握し、記録した画期的な書。元陸軍大佐で参謀本部の中枢にあり、敗戦時陸相の秘書官であった著者が、苦労をはらい収集した豊富な資料を駆使して正確に記述する」

「太平洋戦争陸戦概史」の本新書は、「広く浅く戦史を概観する」いわゆる「概史」であるため、例えば「陸戦概史」の中で扱われている「ガダルカナル島作戦」の記述は、わずか20ページほどであり、また「インパール作戦」の記述にはほんの15ページほどしか使われていない。「ガダルカナル島作戦」や「インパール作戦」について誤魔化しなく、しっかり解説して書こうとすれは、かなりのページ数が要るはずだ。こうしたことから本書を読んで、例えば「この戦闘の戦史に関して俺は著者よりももっと多くのことを言えるし、事の詳細をより細かに知っている」となれば、「俺もまんざらではないな。帝国陸軍の陸戦史に関し、なかなか筋がいいじゃないか」といくらか自分に自信を持って思えるし、逆に本書を読んでいて「その戦闘の戦史について、本書に書かれてあること以上に何も詳しく知らない」となれば、「いかん、俺は太平洋戦争の陸戦史でのこの戦役についての理解が弱い。さっそくそれに関する概説書か専門研究の書籍を数冊読んで知識を補強しておかなければ」というような。そうした本新書の使い方の読みもできるのでは、とも思う。

林三郎「太平洋戦争陸戦概史」の読み所の良さは、作戦指令書ら公的資料の掲載が多く、著者の文章も硬質で折り目正しく厳密に書かれていることから、とにかく内容以前に一読して本格的で硬い公的文章の清々(すがすが)しい読み味が一貫して残ること。また著者の林三郎が敗戦時の陸軍大臣である阿南惟幾(あなみ・これちか)の秘書官であり、そのため本書の結語での日本の敗戦を述べる際の陸軍大臣の阿南についての文章に、他の記述よりも心なしか著者の筆の力がいくぶん余計に入り魂を込めて書かれているよう読んで感じられること。この二つの点が岩波新書の林三郎「太平洋戦争陸戦概史」の優れた点であり、また本新書の良さであると私には思える。

特に陸軍大臣の阿南惟幾に触れた本書の最後の節「終戦時ごろの陸軍」での「阿南陸相の行動」から「クーデタの失敗」と「阿南陸相の自決」に至るまでの一連の記述は、阿南の秘書官を務め、そのため日本の敗戦が決定した後の、いわゆる「日本のいちばん長い日」での自決に至るまでの阿南の詳細を近くにいて実際によく知る著者の林三郎の筆の力が余計に入っているように私には感じられた。思えば、岩波新書「太平洋戦争陸戦概史」(1951年)は日本の敗戦から六年目に出版された。本書は大日本帝国の最後の陸軍大臣であった阿南惟幾が自決して、わずか六年後に出された新書であったのだ。