アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(456)坂本義和「軍縮の政治学」

著作や対談など、「平和学」を志向する国際政治学者の坂本義和(1927─2014年)の文章や発言を読むたび昔から私には、「この人は反戦平和を主張する自らの政治的立場や国際政治学の言説に対し、右派保守論壇や軍備増強論の国家主義者たちから『現実離れをした空想的平和主義で何ら実効性や具体性がない』などと言われたくないがために、反戦平和を志向する自身の『平和学』にあえて現実性を持たせる構想提言を毎回、無理してやっているのでは!?」の違和感があった。

坂本義和の名を広く世に知らしめたのは、岩波書店発行の論壇誌「世界」に発表の「中立日本の防衛構想」(1959年)であった。本論文で坂本は「現実的な」反戦平和論として、日米安保体制の矛盾と問題を指摘し米軍の日本完全撤退の主張と、それに代わりうる日本の防衛構想に中立的な諸国の部隊からなる「国連警察軍」の日本駐留、それに大幅に縮小した自衛隊を補助部隊として国連指揮下におく具体的提案をしたのであった。私は坂本「中立日本の防衛構想」を初読の時から変わらず今でも、「馬鹿野郎!第二次大戦の敗戦国である日本、ゆえに戦後の国連常任理事国にもなれない日本国、東アジアの更に極東に位置する日本に国連指揮の警察軍を駐留させるなど、そんな多大なコストがかかる面倒なことを国連がわざわざ日本に対しするわけ無いだろう(怒)。冷戦下であれば、国連は米ソ対立の境界である中東や東欧地域に相当な神経を使って国連軍を駐留展開させるだろうし、冷戦後であれば、独裁政権や武装勢力が暗躍しているより不安定なアフリカや中東や南米地域に国連指揮下の多国籍軍を積極的に派遣駐留させる。いずれも極東の日本は国連から重視されず本気で相手にされない。坂本義和による日本への国連警察軍駐留論は、いかにも日本人が考えつきそうな日本びいきで日本人本位の内輪ノリな政策提言だ」と率直に思った。坂本義和の「中立日本の防衛構想」は実現無理で、どう考えても現実的な提言とはいえない。

もともと私から言わせれば、「反戦平和」とか「人権擁護」とか「人道的施策」など、現実には存在しない、いまだ達成されていない理念規範的な立場に立ったり、その主張をするだけで、たちまち「そんなものは現実離れをした空想的平和主義や人道主義で何ら実効性や具体性がない。現実世界はでは通用しない、キレイゴトの単なる理想論でしかない。思考停止だ。理想の高みから超越的に批判するのではなく実現可能な対案を示せ」などと批判したり嘲笑したり、さらにはそのような現実主義の実務的批判に敏感に反応して現実的提言に言い換えたりすること自体が堕落であり、そうした言説が当たり前のように流布する社会は相当に危機的な状況にある。ゆえに、現実にいまだ達成されざる理念規範的なものに対し、「キレイゴトの単なる理想論」「思考停止だ」「実現可能な対案を示せ」などと、現実主義の実務的立場から批判・嘲笑がためらいなく浴びせられる社会はかなり不健全な危ない社会といえる。

政治家(特に政権批判の野党政治家)も学者・知識人もジャーナリストも弁護士も教員も、反戦平和や婦人問題や環境問題に取り組む市民運動家も労使間交渉をやる労働運動者も、皆が現実には存在しない、いまだ達成されざる「反戦平和」「人権」「人道的」の理念規範を志向し、その理念的立場から現実状況を囲い込み現実の不足の至らなさを叩いて現実状況を変えようと思考し活動する。

例えば「反戦平和運動」にて運動家は、反核非武装や軍備増強に反対の、現実には存在しない(現実世界にて未だそのような武力行使をしない非武装国家は実在しない)理念的な、ある意味、理想的な理念の高みから降りてきて、それを現実状況に対立させ理念で現実を囲い込んで、軍拡競争にのめり込む各国政府に対し批判的な働きかけをなす。「反戦平和」の主張にて、戦争を起こさないため、他国に攻撃されないよう自国の「平和」を確保するためだけに、ないしは隣国に攻撃・侵略されないよう、それ以前に敵国基地への先制攻撃をも辞さない防衛力強化の軍備増強をする必要があるとする軍拡による自国の「平和」確保たる武力抑止論の線に乗った時から、つまりは理念的な理想論を捨てて実務的な現実主義の立場に転向した瞬間から、その「反戦平和」の主張は堕落して破綻する。同様に「労働運動」においても、職場環境改善の労使間交渉にて組合側が会社に対し、労働者の人格尊重を含めた賃金待遇や職場環境や労働者の社会制度的保障に関する各種の労働疎外の問題の理念的なものを置き去りにして、目先の損得勘定に依拠したベースアップの賃上げ闘争にのみ終始する現実妥協的な協調路線に移った瞬間に、その労働運動はたちまち堕落して敗北するのである。

岩波新書の黄、坂本義和「軍縮の政治学」(1982年)は、聞き手が当時1980年代の冷戦下における国際政治問題を尋ね順次、坂本がそれに答えていくことで氏の志向する「平和学」の概要が明らかになる内容である。個別の話題やテーマにそこまで深く突っ込まず、その代わりそれぞれの各話題や問題について、国際政治学者の坂本義和が持論を「浅く広くわかりやすく」読者に語るものとなっている。そのため、岩波新書「軍縮の政治学」は坂本義和の国際政治学者としての力量をまずは知る、彼の「平和学」の概要を最初に知る初学者用の入門書のようでもあり、坂本義和の代表著作の中の一つといってよい。

本新書で主に触れられているのは、

米ソ冷戦下にて、なぜ両国の軍拡競争や、各地域での米ソ両大国を後ろ盾にした局地戦争・地域紛争は終息しないのかの分析(イデオロギー対立以前に、各国政府を動かず軍需産業の暗躍など)。☆軍備増強による「戦争抑止論」ないしは「核武装論」(軍備増強をなし核武装すれば、他国は戦争攻撃をしかけてこないので、それが「抑止」につながり自国の「平和」は保たれるとする考え)の矛盾と原理的破綻を指摘した上での各国の軍拡競争に対する厳しい批判。☆国連を主体とする世界の軍縮への包括的プログラムの提示。☆現今の日米間の軍事同盟の危うさ(日本の独立に際しての単独(片面)講和論批判と全面講和論の主張。日米安保体制に対する批判)。☆戦後の自民党保守政府や右派・保守論壇が待望する、戦争放棄と戦力不保持とを定めた憲法九条を標的とした改憲論や有事法制(徴兵制復活ら)に関する懸念。☆日本国の非武装中立への具体的な移行プロセスの提示

などである。

本論中にある、「『非武装中立というのは一つのキレイゴトのタテマエにすぎない。ホンネはみんな軍隊をもち、武装することを考えている』といった議論がよくなされる」という下りの坂本義和の語りが、私には昔から印象的だ。やはり、この人は反戦平和を主張する自らの政治的立場や国際政治学の言説に対し、右派保守論壇や軍備増強論の国家主義者たちから「現実離れをした空想的平和主義で何ら実効性や具体性がない」などと言われたくないのである。自身の言動が「一つのキレイゴトのタテマエにすぎない」と指摘されることを終始、相当に気にしているのである(笑)。だから、反戦平和を志向する自身の「軍縮の政治学」にあえて現実性を持たせる構想提言を、以前の「中立日本の防衛構想」にてやった日本の非武装中立(日米軍事同盟の完全破棄)、その代わりに日本への国連警察軍駐留論のような具体的提案を、1980年代になっても坂本義和は相変わらず本書で熱心に語っている。

繰り返しになるが、「反戦平和」とか「人権擁護」とか「人道的施策」など、現実には存在しない、いまだ達成されていない理念規範的な立場に立ったり、その主張をするだけで、たちまち「そんなものは現実離れをした空想的平和主義や人道主義で何ら実効性や具体性がない。現実世界はでは通用しない、キレイゴトの単なる理想論でしかない。思考停止だ。理想の高みから超越的に批判するのではなく実現可能な対案を示せ」などと批判したり嘲笑したり、さらにはそのような現実主義の実務的批判に敏感に反応して現実的提言に言い換えたりすること自体が堕落であり、そうした言説が当たり前のように流布する社会は、もはや相当に危機的で末期の状態なのである。

坂本義和も、右派保守論壇や軍備増強論の国家主義者たちからの「現実離れをした空想的平和主義で何ら実効性や具体性がない」云々の批判を気にしすぎて妙に弱気になって変に日和見になる必要は全くなく、実現可能性がある(と坂本が信じている)日本の完全な武装中立論の提言などでなくて、日本をめぐる現今の日米安保体制や再軍備増強(平和憲法の改憲、核武装論)への動きを「反戦平和」や「人権擁護」や「人道的施策」ら、現実には存在しない、いまだ達成されざる理念規範的な立場から超越的に批判し述べてもよいのだ。まずはそれで問題ない。「現行の平和憲法堅持で九条改憲阻止」とか「日米安保体制の漸次縮小、将来的には日米軍事同盟破棄」の理念的批判保持の姿勢から始めればよいのである。岩波新書の黄、坂本義和「軍縮の政治学」を読む度に終始、私にはそう強く思える。

「とめどない軍拡を促す政治構造は何か。軍縮はなぜ実現しなかったのか。平和のための代案は何か─核時代の軍備体系がもつ五つの政治機能を分析し、危機の世界史的構造を再検討することによって、軍事化に代わる安全保障構想を具体的に示す。国際平和研究学会を代表して第二回国連軍縮総会に提言した『いかにして軍縮を実現するか』を収録」(表紙カバー裏解説)