アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(417)土門拳「筑豊のこどもたち」(その1)

(今回から2回に渡り、写真家・土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」についての文章を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、土門拳「筑豊のこどもたち」は岩波新書ではありません。)

土門拳「筑豊のこどもたち」(1960年)は、福岡の筑豊・井之浦炭鉱に行って撮っている。土門が筑豊の炭鉱に入り、写真を撮ったのは1959年であった。国の主要エネルギー政策はすでに石油に変わり、もう石炭の炭鉱は閉山の切り捨ての斜陽産業なわけだ。だから、筑豊の炭鉱住宅に住む炭坑労働者も失業で困窮を極め一家離散も多く生活は非常に苦しい。

ボタ山に群がる「ボタ拾い」する人々の様子や炭住の路地裏、ニコヨンの日雇い仕事に働きに出る大人たち、組合の労働運動の様子を収めた写真もある。ただタイトルの「筑豊のこどもたち」通り、特に「こどもたち」を被写体にした写真が格別、目に留まる。

例えば「弁当を持ってこない子」である。小学校での昼食の光景を撮った一枚だ。学校給食をやっても給食費を払えない家庭が多く、また市の財政難で赤字になるから弁当の持ち込みとなる。しかし、家計が苦しく弁当を持ってこれなくて昼飯抜きの児童もいる。そういう子らは昼食の時間、隣の子が弁当を食べている横で目のやり場に困るから黙々と本を読んでいる。そういった貧しさの中の更なる格差が浮き彫りの現実を土門拳がモノクロで冷静にカメラに収めている。

そうした「筑豊のこどもたち」を写した数枚に、るみえちゃんとさゆりちゃん姉妹の写真がある。「母のない姉妹」。父親と三人暮らしで家に電気が通ってなくて、畳は草が生え放題で荒れ床が抜けて、あまり学校にも行けていない。夜、父親が酒を飲んで酔っ払って、るみえちゃんらが叱られたり叩かれたりする怒号が、ご近所にまで聞こえてくる。しかし、土門も書いているが、実際に会って写真上で見る、るみえちゃんの父親は小柄でいかにも善良な本当に人の良さそうな無口なおやじさんだ。ご近所から「あんた、子どもは大事にしなよ」といったことを言われると、ただただ黙って頷(うなず)く。だが、この父親は焼酎が買えなくて酒が飲めない日は機嫌が悪い。また酒を飲んで酔っ払うと途端に気分が大きくなる。

それで土門拳は上手いから。いきなり行って、すぐに写真は撮らない。しばらく通って一緒に遊んで、たくさんお話しをして彼女らが心開いて打ち解けてくれたところを見計らってパチリと撮る。「筑豊のこどもたち」の中でも、るみえちゃん、さゆりちゃん姉妹の写真が突出して非常に注目され当時話題になって全国から彼女らにカンパの援助が寄せられる。

「筑豊のこどもたち」のるみえちゃん姉妹の写真は一度見ると深く強く心に残って、なぜかずっと忘れられなくなる。

(この記事は次回へ続く)