アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(430)中村邦生「はじめての文学講義」

岩波ジュニア新書の中村邦生「はじめての文学講義」(2015年)は、渋谷教育学園渋谷中学高等学校にて(私は本新書を読むまで知らなかったが、本校は中学受験の世界では「渋渋」と略称され、都内の中高一貫校の中では有数の入学難関校であるという)、作家であり大東文化大学文学部教授である中村邦生が、中高生の前で実際に行った「文学講義」の講演を録音し、そのまま文字起こしし加筆修訂して書籍に収めたものである。

ゆえに本書の冒頭では、生徒代表による「開演の挨拶」のとても丁寧な演者紹介から始まって、本講演があり、参加生徒との質疑応答もあって、最後はまた生徒代表による「中村先生、ありがとうございました」の「終わりの挨拶」まで当日のプログラムを律儀(りちぎ)にそのまま活字収録している。

ところで文学といえば、私は昔から、例えば文学者の大江健三郎が好きで氏の小説を今でも日々、愛読しているが、昔の大江健三郎のエッセイを読むと「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?」といった文学に突きつけられた難題に大江は多くの字数を費やし結構、真面目に答えていた。それに類する「文学は実生活で役に立つか?」の問いが本書「はじめての文学講義」の中にもある。著者の中村邦生は中高生の前で、これまた結構、真面目に文学に対するこの手の疑問に反駁(はんばく)し答えている。すなわち、

「結論から先に言ってしまえば、文学というものは、そのような問題の前提そのものを疑うのです。つまり〈役に立つ/役に立たない〉という二つの区分が絶対的に存在しているような発想って本当なのだろうか?『そもそも、そのような分け方っておかしくない?』と問題設定の有効性を疑います。問題の前提そのものを付き崩すわけです。役に立つとか立たないとか、そうした乱雑な分け方をする発想がいかに浅薄(せんぱく)なものであるか…世の中に流通している価値観への疑念と言ってよいかもしれません。…ですから文学とは日常の当たり前に思える発想を揺さぶる不穏なものでもあります。楽しいものであるけれど、場合によっては日常を裂く破壊的要素を隠し持っていることがあります。そうしたことが丸ごとおもしろいのです」(「文学は実生活で役に立たない?」9・10ページ)

「文学は実生活で役に立つか」の問いに対し、この質問に正面から答えるよりは、その問いの内にある「役に立つか役に立たないか」の二項の有用性判断に基づく質問の立て方の前提そのものを疑い相対化して、それを文学の本領の本質(「文学とは日常の当たり前に思える発想を揺さぶる不穏なもの」)につなげて置く、まさに「文学論のお手本」のような文学の本質定義よりする周到な模範的回答である。かつて大江健三郎も、この手の「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か」の質問には、その問いの中にすでにある「飢えて死ぬ子供の前で…」という恣意的な極限状況の設定と、「有効か無効か」の二項の価値判断そのものを批判し無化するような趣旨の同様な答えを寄せていた。私もこの辺りが、よくある「果たして文学は役に立つか」問答に処する、正統な文学よりする「誠に文学的な」適切な回答の落とし所であるような気がする。

こうした文学問答から「はじめての文学講義」の講演は始まり内容は次第に深まっていき、中高生に向けた「はじめての」文学初心者への講義でありながら、なかなか本格的な「文学講義」が展開されていく。

前半では「文学の楽しさはどこにあるか」と題し、「二つのものを結びつける力」、すなわち「ダブル・ヴィジョン(二重視点)がイメージを喚起させる」として、一つのものとしてあるシングル・ヴィジョンの単調な物の見方よりも、一見関係のないもの同士や意表をつく組み合わせの妙による、ダブル・ヴィジョン(二重視点)にての物事の関係性から初めて、そのものへの豊かなイメージ喚起力が生じる文学の技法効果らが、太宰治「富嶽百景」(1939年)における「富士と月見草」の対比を例に主に述べられている。

また後半では「文学のいとなみ」として、生徒からの質問に答える形で文学との接し方や日々の読書のアドバイスがより実践的に語られている。例えば、

「読書において、文学史にとりあげられていなかったり売れてもいないし評判にもなっていない、自分だけの大事な作品を発見できるような、本に対する自身の選択眼の養成に努めるべき」(「自分だけの 『名作』を見つける」98ページ)

「新聞各紙に掲載の書評を日々チェックしたり、定期的に通う自分が好きな書店を見つけることで、それらを通して自分が読むべき本が見つかったり、本そのものの新たな魅力に気づくことがある」(「書評を利用し、ファイルを作る」100─103ページ)

「小説は読みながら随時、読む行為を中断して時に考えながら味わいながら読むとよい。読むという行為は、たくさんの中断があるほど奥行きを増す。一番いけないのは粗筋(あらすじ)読みで、粗筋だけを追っていく水平的に移動していくばかりの読書はつまらない」(「深く読むほど、読むことの中断が起こる」115─ 117ページ)

といった旨のアドバイスがある。その他、ここでは触れなかった「文学講義」の読み所が本新書には数多くある。それらを全て挙げてしまうと「ネタばれ」になって、本書の著者の中村邦生と発売元の岩波書店に申し訳ないので(笑)。あとは是非とも実際に本書を手に取り、各自で熟読して頂きたい。

岩波ジュニア新書、中村邦生「はじめての文学講義」を一読して、私もまるで中高生に戻って著者の講演を現実にその場で聴講しているような気分になり、非常に楽しめた。本書は岩波ジュニア新書でジュヴナイル(10代の少年少女向け読み物)であるけれど、大人の読者にもお勧めである。

「読むことを楽しむにはどんな方法がある? 魅力的な文章を書くにはどうしたらいい? その両面から文学の面白さ、深さを構造的に探っていく。太宰治をはじめ多種多様な文学作品をテキストにしながら、読むコツ、書くコツ、味わうコツを具体的に指南する。『文学大好き!』な現役の中学・高校生を対象にした『文学講義』をまとめた一冊」(裏表紙解説)