アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(463)向井和美「読書会という幸福」

岩波新書の赤、向井和美「読書会という幸福」(2022年)は、翻訳家であり学校図書館の司書も務めているという著者が、読書会の良さ(「読書会という幸福」)や読書会が成功する進め方(「読書会を成功させるためのヒント」)らを、自身の経験から読み手に伝えるものだ。ただ本書のカバーに付いている帯の文章が尋常ではない。相当に物騒である。以下のように。

「わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは、本があったから、そして読書会があったからだと言ってよいかもしれない」

仮に著者が大変な読書好きで読書会が自身にとって相当に大切なものであって、そのことを「私が人を殺す」とか「私が死ぬ」などのたとえを使って読者に強く効果的に伝えたいと思ったとしても、また本当に当人が大変な読書好きで本に自分の人生が救われて、結果「私が人を殺さずにすんだ」経験が実際にあったからといって、「私が読書好きで読書会が私に幸福をもたらすこと」を「私が人を殺す」とか「私が死ぬ」などの人間の死に引きつけて軽率に語ってはいけない。「わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは、本があったから、そして読書会があったから」などと安易に言ってはいけない。「人を殺す」とか物騒で非常識である。これだけで良識ある善良な読者は確実に引く。この人が主宰や参加の読書会にふざけ半分で冷やかしで出席したら、私のような不真面目な参加者は著者の逆鱗(げきりん)に触れ、殺されそうである(苦笑)。恐怖、この上ない。

私は、岩波新書「読書会という幸福」を最初に書店店頭で見た時、自分の目を疑った。思わず固まった。「わたしがこれまで人を殺さずにいられたのは」云々の帯文句だけで著者の本の読み手(ないしは書き手)としての力量の程度が分かるというものである。

私も大学生の頃、「読書会」のようなもの、輪読会や研究会に定期的に出て課題書籍を皆で読み、感想や意見を言い合っていたことがあった。そこでのあまり良い思い出はない。「読書会」のような皆で本を読み合う会では、参加者が皆の耳目を集めるために、あえて飛躍した新奇な読みの解釈を人前で披露して人々の注目を自身に集めたり、他の人よりも自分の読みの深さや広さを暗に誇ったり競ったりで、そうした会での参加者同士のかけひきに疲弊し、うんざりした経験があった。また、感想・意見にてよい評価や共感を他の参加者から引き出したいがために、読書会参加者が結局は模範的で無難な余所行(よそゆき)の読みに終始する残念な結果になってしまうことも、実際よくある。

こうした読書会での弊害は、同じ岩波新書でいえば内田義彦「読書と社会科学」(1985年)ですでに「読書会の難しさ」として指摘されていた。読書会など大勢で書籍を読む会合では、「本に対して読む」というよりは「他人に対して読んでしまう」。読書会へ参加する前提で本を読んでしまうと、他人に通じやすい「他人向き」の「耳障(みみざわ)りのよい」会合発言に向かって本を読む悪い癖がついてしまうので良くないという趣旨である。岩波新書「読書と社会科学」で内田義彦がいうように、「読書とは一人でやる孤独な営み」だ。ゆえに読書会を介して読書を安易に他人と共有してはいけない。

私も内田義彦と同様、本を読む読書という行為をいたずらに他人と共有したくない。大学卒業以降、私は「読書会」に参加した経験がない。本は自分の中で完結して、自身で独立して読みたい。私は本を独りで読む。読書に関し、その行為を安易に他者とは共有したくないのである。「私が日々、何の本を読んでいるか」とか、「私がどういう本が好きで私の愛読書は何なのか」とか、「私が匿名(アメジロー)で書評ブログをやっていること」など、私の家族や知り合いの人は誰も知らない。読書に関して、その行為や本から得た知識や自分の感動を私は安易に他者と共有したくない。

岩波新書の赤、向井和美「読書会という幸福」は、全6章よりなり、各章の最後に「読書会を成功させるためのヒント」のコラム調の文章が1から6まである。著者は翻訳家であることから本論で扱われるのは、プルースト、ドストエフスキー、トルストイ、シェークスピア、ヘミングウェイ、カミユ…ら、外国文学を課題本とした著者の読書会での実体験やアドバイスらの話である。巻末には、それら海外文学よりなる、これまで著者が30年以上続けてきた読書会での「読書会課題本リスト(1987─2022年)」と、「付録・読書会報告・失われた時を求めてを読む」が付されている。

「ありふれた日常の中で、読書という行為がどれほどの豊かな時間を与えてくれることか。三十年以上、全員が同じ作品を読んできて語り合う会に途切れることなく参加してきた著者が、その『魂の交流の場』への想いを味わい深い文章で綴(つづ)る名エッセイ。読書会の作法やさまざまな形式の紹介、潜入ルポ、読書会記録や課題本リストも」(表紙カバー裏解説)