アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(470)高橋英夫「友情の文学誌」

岩波新書の赤、高橋英夫「友情の文学誌」(2001年)の概要は以下だ。

「文学者へ成長する漱石と子規。鴎外が遺書筆録を託した賀古鶴所。『近さ』からドラマを生んだ芥川たち。志賀直哉ら、師を持たない白樺派の世代。漢詩の世界、ギリシア・ローマ以来の言説にも目を配りながら、遭遇、切磋、別離など交流の綾を読み、日本近代文学の重要な局面をたどって、教養・信頼が育つ人間関係の空間をみつめる」(表紙カバー裏解説)

本書は主に近代日本文学史における文学者たちの、ないしは文学作品内の「友情」を記したものだ。確かに、解説文に「漢詩の世界、ギリシア・ローマ以来の言説にも目を配りながら」とあるように、近代日本以外の古今東西の友情にも幅広く触れてはいる。しかし、やはり話の中心は近代日本文学における「友情の文学誌」である。本書に登場の近代日本の文学者といえば、夏目漱石、正岡子規、森鴎外、芥川龍之介、武者小路実篤、志賀直哉、武者小路実篤、小林秀雄、白洲正子、吉田健一らである。

人は読書に際して、自身が全く知らないことを新たに知ろうとし、一からすべて学ぶつもりで初学の未知のものに対し無心に本を読んだり、はたまたあえて自身が知っていること、もしくは自分が常々強く思っていることを他人が書いた書籍の中に確認したいがために、既知を探し既知に向かって一心に本を読む場合もある。今回の岩波新書「友情の文学誌」に関し、私は明らかに後者の「あえて自身が知っていること、もしくは自分が常々強く思っていることを他人が書いた書籍の中に確認したいがために、既知を探し既知に向かって」読んでいたのだった。

そのことでいえば、本書では様々な文学者の「友情」が出でくるが、私の心に読後も強く残っていたり、読んでいる中途で私が膝(ひざ)を叩いて喜び面白がったりしたのは、例えば、私が常日頃より繰り返し何度も「漱石全集」を愛読している、その夏目漱石のくだり─特に漱石作品の中に現れる「友情」について語った「作品の中の友情・漱石・鴎外ふたたび」の章であったり、同様に白樺派の人たちの高等余裕と理想主義かつ人道主義的な所に好感を抱いて、ゆえに、これまた好きで彼らの作品をよく読んでいた志賀直哉と武者小路実篤に見られる「友情」について記した「白樺派の人々」の章だったり。また昭和の時代の鋭い硬派な文芸批評の最たる人であり、氏の文章を読むたび私は感嘆せざるをえない小林秀雄の「友情」を扱った「小林秀雄の世代」の章であったりするのだった。これら本書にて触れられている、夏目漱石「こころ」(1914年)を始めとする漱石作品内でのそれぞれの、一人の女性をめぐっての二人の男性間の「友情」に関する記述や、白樺派同人らが「森鴎外に対しては比較的冷淡であったが、それとは相違して夏目漱石に関し相当に好意的で、同じ文学者としてある種の尊敬の念を漱石に抱いていたこと」、小林秀雄は女性をめぐる三角関係で友人の中原中也と一時期、複雑さの困難を抱えていたことなど、私は本新書を読む前からすでに知っていて既知であった。そういった事柄を今更ながら岩波新書「友情の文学誌」にて、そうした既知に向かって読み、本論の中でそれら既知の内容に出くわし再確認して、それで再び納得したり面白がったりしていたのである。 

これとは対照的に、私がこれまであまり作品を読んでいない、よって実のところよく知らない森鴎外や白洲正子や吉田健一に関する「友情」の本論記述は読んで、正直よく分からなかった。これは文芸批評に際しての読みの成否と似ている。もともと作品を読み込んでいない文学者の作品論や作家論の文章は読んでもあまり意味が分からないし、大して面白くもない。このことは作品を読み込んでいない文学者の作品論や作家論の文芸批評を行う書き手は、そもそも書けないという極めて素朴で単純な事実に裏打ちされている。何ら作品を繰り返し熱心に読み込んでおらず、その人物と作品にのめり込んでいない書き手はその人と作品についての正統な文芸批評は書けない。同様にこれを裏から言って、何ら作品を繰り返し熱心に読み込んでおらず、その人物と作品にのめり込んでいない読み手は、その人と作品についての正統な文芸批評は大して読めないという至極当たり前の原理である。事前に常日頃から対象文学作品を読み込んでおかないと、その作品や作家に関する文芸批評は読めないし、読んでも自分の中に入って実のある血肉にはならないのである。

そもそも「友情」とは損得・打算の計算や、礼儀・責任遂行の緊張や、虚栄・見栄の不自然さなどとは全く無縁で、それらの対極にあるものだ。そうした「友情」の心地よさが、そのまま「友情」がテーマの岩波新書「友情の文学誌」の読み味の良さに連なっている。また著者の高橋英夫の本新書での書きぶりが良い。「友情とは何か」「友情とはどのようにして成立するのか」「友情にはどのようなものがあるか」の友情の定義や成立原理や種別分類の理論的で説教くさい解説が高橋英夫「友情の文学誌」には皆無なのである。このように「友情」に関して、あえて一歩引いた、決して野暮(やぼ)にならない気の利いた洗練された抑揚ある書きぶりも、本書の読み味の良さの醸成(じょうせい)に一役買っている。

必ずしも「友情とは何か、友情とはどうあるべきか」を著者の高橋英夫は本文中にて明確にし強弁してはいない。しかし、著者が本新書を通じて読者に伝えたい「友情の文学誌」における「友情」の好ましい形態、その一面がうかがい知れる本文箇所を以下に引いてみる。

「森田草平は漱石と寅彦の『友情』を実にこまかく観察した。千駄木町の家に草平が遊びに行っていると、遅れて吉村冬彦(寺田寅彦)が来た。その様子から、寅彦は漱石のみか家族の人々とも懇意らしいと羨望しながら、少し年上の寅彦に譲るような形で、草平は二人の話をきいていた。『話しの内容はすつかり忘れたが、別に大した話題でもなかつたらしい。そして、話しが途切れると、二人とも黙つてゐても、別段窮屈ではないらしい。私がそばにゐることなど、二人とも忘れたやうだ。私はもぢもぢしながら、先生と吉村さんの顔を等分に見較べてゐた』。これはなかなか意味深い場面である。会話がふと途切れてもそのままゆったりとしていられる仲、沈黙の持続が二人の絆となってゆくような仲、これが深い友人関係でしか起こりえない間合い(パウゼ)ではなくて何だろうか。漱石と寺田寅彦は師弟であってすでに友だった。師弟よりも友の方に近かった。こういう関係こそ漱石が心から求めていたものに他ならなかった」(「『師弟』と『友情』の織物」141・142ページ)

「若き日、小林は中原中也と一緒になっていた長谷川泰子を、中也から奪って同棲した。…泰子は時々心理的錯乱をおこしたので、その圧迫から脱出するために、煙草を買いにゆくと称して小林はよく河上徹太郎の家にやってきた。『私の詩と真実』のなかの『友情と人嫌ひ』にはこうある。『私の前へ座ると、彼の脳髄は猛烈なスピードで自転を始めるらしかつた。しかも彼は黙って煙草を吹かして新聞を読んだり、或はボードレールなどに関して思ひついたアフォリスムを一つボソッといつたりする。時には芝生へ降りてうつむいて何か考へながらブラブラ歩いてゐる。さうかと思ふと、ピアノを弾いてくれといつて、自分が譜を見ながら熱心に聞いてゐる。そんな風なつき合ひであつた』。ここからは論理や批評以前の、いわば剥き出しの小林秀雄の魂が見えている。魂は孤独だが若々しい。少年的もしくは青年的にやわらかな一面さえのぞけるようだ。小林はまた河上に、『君は煙突みたいな奴だ。傍らに置いとくと、俺の頭の中がよく燃えるよ』とも語った。人間関係で息がつまっていた小林は『風』がほしかったわけで、河上がその『風の友』だった」(「小林秀雄の世代」202・203ページ)

本書で紹介されている「夏目漱石と寺田寅彦」「小林秀雄と河上徹太郎」の上記の二つの「友情」の事例は、いずれも「会話がふと途切れてもそのままゆったりとしていられる仲、沈黙の持続が二人の絆となってゆくような仲、深い友人関係でしか起こりえない間合い」や、「人間関係で息がつまっていた時の『風』のようなものの、いわば『風の友』」といった、殊更(ことさら)に用事や会話がなくてもその場で即に和(なご)んでリラックスして互いに通じ合える阿吽(あうん)の呼吸であった。それを著者の高橋英夫は「友情の文学誌」として本書の中で主に述べている。

私は岩波新書「友情の文学誌」を読んでいて、本文中での近代日本文学者たちの「友情」記述を通して、特に自分自身の過去の交友の友情遍歴を振り返り、自分の友人たちのことを主に思い出したりしていた。先の「友情とは、殊更に用事や会話がなくてもその場で即に和んでリラックスして互いに通じ会える阿吽の呼吸」とするような本書での「友情」に対する見解は、私自身の実際の経験からして大変よく理解できる。まさに私にとっての友人もそうであったからだ。

私は幸運なことに、特に大学時代に大変にお世話になった友人や師(先生)の人的財産の宝に恵まれた。その時に交友の友人や師には、いずれも「会話がふと途切れてもそのままゆったりとしていられる仲、沈黙の持続が二人の絆となってゆくような仲、深い友人関係でしか起こりえない間合い」のようなものが確かにあった。だから、大して気を使わず共に長くいられたし、同伴してよく出掛けたりもした。一緒にいて大して疲れず、単純に楽で楽しかったのだ。こればかりは理屈以外の言外のものの微妙さで、単に互いに人間的に波長が合った、とにかく「たまたまウマが合った」としかいえない。「友情」とはそうした、かなり漠然とした大まかで不思議なものである。それゆえ「友情」は時に一時的なもので、いつまで持続するか分からないし、いつ終わりを迎えるか、それはゆるやかな自然消滅であるのか、ないしは突然の壮絶な喧嘩別れの絶交であるのかも分からない。また、どのようなきっかけで別の新たな「友情」が芽生えるかも予測や操作が出来ない、極めて扱いの難しいものといえる。

最後に岩波新書の赤、高橋英夫「友情の文学誌」の方法を真似して、近代日本文学に見られる「これこそが私の考える友情の最たるものだ」と昔から強く思えて感心しきりな文学作品内での「友情」記述を引いておこう。岩波新書「友情の文学誌」では太宰治について、あまり触れられていない。だが、私が昔から好きな太宰治の、中でも「富嶽百景」(1939年)での以下の文章はまさに「友情」の本質を突いた最良記述であると私には思える。

「人は完全のたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。全身のネジが、他愛なくゆるんで、之はおかしな言いかたであるが、帯紐(おびひも)といて笑うといったような感じである。諸君が、もし恋人と逢(あ)って、逢ったとたんに、恋人がげらげら笑いだしたら、慶祝である。必ず、恋人の非礼をとがめてはならぬ。恋人は、君に逢って、君の完全のたのもしさを、全身に浴びているのだ」(太宰治「富嶽百景」)

ここでは太宰は「恋人のたのもしさ」として書いているが、これは特に異性の恋人間の「恋愛」に限定しなくてよい。同性の友人との間の「友情」や、師弟間での年齢が離れた師との「友情」であってもよい。先日会ったばかりなのに、なぜか理由は分からないけれども「逢ったとたんに、まず、だらしなくげらげら笑い出す。全身のネジが他愛なくゆるんで、互いに笑顔になって笑い出す」。これはまさに友情の証(あかし)の「慶祝」の僥倖(ぎょうこう)である。私には滅多にないが、友人や師と会った瞬間、理由もないのに途端にずっと笑顔で互いにげらげら笑い出し、しばらくの間、二人とも笑い続けていたような、そうした「友情」の幸福に恵まれた瞬間が確かにあった。