(今回は、集英社新書の三上智恵「証言・沖縄スパイ戦史」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、三上「証言・沖縄スパイ戦史」は、岩波新書ではありません。)
先日、三上智恵「証言・沖縄スパイ戦史」(2020年)を読んだ。本書は先のアジア・太平洋戦争末期における対アメリカの沖縄戦での当時の沖縄島民による日本の軍隊についての貴重な証言を集めたものである。書籍だけでなく、当事者への映像インタビューを収めたドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」(2018年)も制作されている。
私は以前、1990年代に関西に一時期在住していて、「沖縄スパイ戦史」の著者である三上智恵その人をメディアを介し知っていた。三上智恵は在阪局の毎日放送(MBS)の元アナウンサーで、90年代には阪神淡路大震災(1995年)を当時現場から報道したり、MBS制作の深夜の映画紹介番組「シネマチップス」の司会で活躍していた。その番組内で作家の椎名誠が監督の「白い馬」(1995年)を辛口評価したことから椎名の関係者が後日に毎日放送に激怒のクレームを入れて、毎日放送が椎名側に内々に謝罪。打ちきりのような不自然な形で突如「シネマチップス」は最終回を迎える。それからほどなくして三上アナウンサーは毎日放送(MBS)を退社し、琉球朝日放送(QAB)に移籍。そうして三上智恵は近年では映像作家となり、ドキュメンタリー映画を撮ったり書籍を出したりしている。その中の一作が今般の「沖縄スパイ戦史」なのであった。
それにしても、彼女の大阪の毎日放送から沖縄の琉球朝日放送への移籍の少なからずの契機となった「シネマチップス」での、当時は日本文壇のベテラン大物で力を持っていた椎名誠との一連のトラブルが、どこまで影響を与えているか分からないが、沖縄に移った三上智恵が現在の沖縄基地問題や過去の沖縄戦での旧日本軍の戦争犯罪と戦争責任追及にここまで果敢に攻め込む、反体制のラディカルなリベラル左派のジャーナリストになるとは思ってもみなかったな。在阪局の毎日放送時代の三上は、どちらかといえば政治的にあまり踏み込んで発言報道しないノンポリな人だと私は思っていたので。
三上智恵「証言・沖縄スパイ戦史」の概要は以下だ。
「軍隊が来れば必ず情報機関が入り込み、住民を巻き込んだ『秘密戦』が始まる─。第二次大戦末期、民間人を含む20万人余が犠牲になった沖縄戦。第32軍牛島満司令官が自決し、1945年6月23日に終わった表の戦争の裏で、北部では住民を巻き込んだ秘密戦が続いていた。山中でゲリラ戦を展開したのは『護郷隊』という少年兵達。彼らに秘密戦の技術を教えたのは陸軍中野学校出身の青年将校達だった。住民虐殺、スパイリスト、陰惨な裏の戦争は、なぜ起きたのか?2018年公開後、文化庁映画賞他数々の賞に輝いた映画 『沖縄スパイ戦史』には収まらなかった、30名余の証言と追跡取材で、沖縄にとどまらない国土防衛戦の本質に迫る」(表紙カバー裏解説)
「証言・沖縄スパイ戦史」は全749ページで非常に分厚い。本書は、(1)沖縄戦にて現地で徴兵動員された沖縄島民、いわゆる「護郷隊」に所属した31人の元少年ゲリラ兵の戦闘実態の証言、あやふやで不確かな「スパイ嫌疑」で、合理的証拠や法的手続きの根拠なく現場将校・下士官のその場の恣意的判断にて、ほぼ私刑(リンチ)の私的制裁の形で繰り返された住民虐殺の現場を目撃した当時の少年兵らにおこなったインタビューにて、そこから得られた証言。(2)本土から沖縄に派遣され少年ゲリラ兵たちを指揮した陸軍中野学校の隊長ならびに現場の下士官ら、実際に沖縄住民の虐殺に手を下したとされる旧日本軍人らの戦時の言動と、彼らのその後(戦後)の追跡。(3)戦中の日本軍にて共用されていた極秘の「秘密戦に関する書類」「戦闘教令」(つまりは公的書類の戦争マニュアル)の掲載・分析の主に3つの内容によりなる。特に(1)(2)の証言は匿名でなく実名であり、元少年ゲリラ兵の人たちに関しては、さらにインタビュー時の顔写真と戦前・戦後の昔の本人写真も掲載されている。
本書がなぜ「証言・沖縄スパイ戦史」のタイトルになっているのかといえば、その「スパイ」の語に込められた意味には次のものがあった。まず、軍の情報機密漏洩が島民によりなされるおそれがあることから、島民同士の密告奨励、それに基づくスパイリストの作成により、さらには日本軍に対する沖縄住民の忠誠を確保するため恐怖に訴えて、時に見せしめの意味で「スパイ嫌疑」の名目で現場の下士官が自ら沖縄住民を日本刀で斬首する、裏山に連れて行き木にくくりつけて銃剣で刺殺する、少年兵同士に同時に銃撃させて処刑する。これらは戦時の軍内部の常用的隠語表現にての「始末のつく」状態にすることである。その他、戦えない足手まといになる自軍の傷病兵をまとめて殺す、食糧供出を拒んだ民間人をその場で日本兵が殺害した事例の目撃証言などもある。
また島の少年兵に「ゲリラ戦」「遊撃戦」と称して、住民の子供のふりをさせ、一度は米軍に民間人の「捕虜」として保護させて、連行の末にアメリカの前線施設の破壊工作をやらせる、子供に「捕虜」の過程で敵側陣地の情報収集をさせ、その情報を後に日本軍に持ち帰るという意味での少年兵による「スパイ」行為の任務遂行命令もあった。これら沖縄戦での住民を巻き込んだ秘密戦の実態が、本書タイトルである「証言・沖縄スパイ戦史」の「スパイ」の語に込められている。本書に当たるものは、このことを理解した上で各人の証言・インタビューを読み進めるべきだろう。
本書に出てくる「護郷隊」とは、1944年9月に発令された大本営勅令によって現地沖縄の14歳から17歳の少年で編成された少年兵部隊のことである。本隊は陸軍中野学校出身の村上治夫大尉と岩波壽(ひさし)大尉を隊長に組織されたものであり、正式名称は遊撃隊。だが任務秘匿のため、あえて「護郷隊」と呼ばれた。本土から来た陸軍中野学校出身の青年将校が、沖縄の少年たちに秘密戦の技術を教えた。護郷隊の主な目的は、第三二軍の本隊が沖縄島南部を主戦場に持久戦に専念する一方、北部で遊撃戦を展開しながら、南進するアメリカ軍の後方から攻撃し、本隊玉砕後も米軍の拠点を撹乱(かくらん)しつつ、スパイ戦にて情報を収集し大本営に送り続けることであった。本書にある31人の「少年ゲリラ兵たちの証言」は、この護郷隊に所属した元少年兵たちの証言である。彼らは戦時に護郷隊に招集され属していた時は10代であるから、本書インタビュー時の2010年代には皆が80歳から90歳代であった。戦後これまで長く自らの戦争体験に沈黙していて、今回のインタビューで初めて人前で語ったとする話も多くある。またあまりに生々しくてこれ以上は詳しく話せないと個人の実名をボカシたり、途中で話をやめてしまう場面も多くある。ゆえに本書での元護郷隊少年兵たちの証言は貴重である。
太平戦争末期の沖縄戦で沖縄の少年たちを集めて護郷隊を組織し訓練・指揮したのは、陸軍中野学校出身の第一護郷隊長・村上和夫と第二郷隊長・岩波壽である。この各人の生い立ちから、戦時の前線で彼らに実際に接した少年兵たちから見た日常の素顔、「なんで隊長であるお前が生きているのか?息子を返せ!」と遺族の母親につかみかかられる非難の中で、それでも村上と岩波により戦後に何度も重ねられた護郷隊少年兵慰霊のための沖縄再訪と、両元上官に対する沖縄住民の複雑な感情、ならびに島民と村上・岩波との戦後の交流の様子を記した「第二章・陸軍中野学校卒の護郷隊隊長たち」の章は本書の一つの読み所であろう。村上和夫と岩波壽、かつての戦争指導者たる上官に対する元少年兵たちの、事後の戦争責任追及の文脈での憎しみ批判の一辺倒でもなければ、戦時に彼らの命令の下で戦ったという旧知の人に対する単なる懐かしさの好感にも回収されない、愛憎の両端が複雑に入り混じる何とも言えない感情の波が元少年兵らの後のインタビューから確かに読み取れるのである。
また「挙動不審につき知名巡査(註─大宜味村・喜如嘉に住んでいた知名(ちな)定一巡査のこと)を只今処刑してきた」「今スパイ二人を斬ってきた」などと集落の村民に住民処刑の断行を公言して一部の島民に恐れられていたという第五六飛行場大隊・紫雲隊・井澤清志曹長に関し、井澤は後に復員して戦後も長く存命していたことから、井澤曹長の遺族に三上智恵が話を聞かせてほしいと連絡を取るも、身内の父のかつての戦時の沖縄住民虐殺の過去を知っているからなのか、井澤の遺族が三上に対し急に不機嫌になり激怒して取材を拒絶する(しかし三上も遺族の警戒・反発を解くべく、戦地での井澤曹長の同僚救出の活躍の武勇伝を話し、暗に井澤をほめる戦略にて話を聞こうと食い下がる)一連のやりとりを収めた「第五章・虐殺者たちの肖像」での「第五六飛行場大隊・紫雲隊・井澤曹長について」の節は、本書を読んでいて私には非常に印象深い。
沖縄戦にてスパイ嫌疑の住民虐殺の事実はあったが、「虐殺した旧日本軍の軍人が絶対的な悪で、虐殺された沖縄住民はどこまでも善」といった勧善懲悪な単純な善悪二元論てあったわけではない。虐殺する側の旧日本軍の中にもスパイ嫌疑での沖縄住民の処刑に消極的だった軍人もいたし、また逆に沖縄島民の中にはスパイ容疑での住民殺害に積極的に加勢し「軍属」(軍人ではないが、あたかも軍人のように行動して軍に協力する民間人のこと)のように、同じ沖縄島民であるにもかかわらず民間の立場から近隣住民に対し高圧的に振る舞う者もいた。このことはインタビュー中の各人の証言を連続して読んでいるとよく分かる。「軍人であるか沖縄住民であるか」の別ではなくて、結局はその人当人の人間としての問題なのである。「証言・沖縄スパイ戦史」の取材・執筆にあたり、著者の三上智恵もそのことを前提とした書き様でまとめている。
他方、個人の人間ではない、大日本帝国の軍隊の権力組織が守るのは一貫して明白に国家の国益であった。戦前の日本の軍隊が最優先するのは天皇制の国体護持であったり軍部の面目だったり、より具体的には直近の日本の領土の確保であり、前線の拡大と戦闘支配地域の維持なのであって、決して国民の生命と財産の安全ではなかった。そのことは本書「証言・沖縄スパイ戦史」での「アメリカと通じたら大変なことになる。事前にスパイは殺せ。スパイを殺しておかないと今度は自分たちが殺される」の論理で軍の監視・指導のもと島民同士が互いに疑心暗鬼となり密告が奨励され、軍の機密保持と威厳確保のために、やがては味方で友軍であるはずの日本軍により民間人の沖縄住民が日常的に虐殺される沖縄戦の惨事にて明確に証明されている。沖縄住民の生命・財産の安全よりは、民間人の島民から日本軍の情報機密が漏れることを危惧して、事前にスパイ嫌疑で味方の日本軍による住民虐殺が日々横行する沖縄戦の過酷な現実であったのだ。
ここでは今日の保守・右翼や歴史修正主義者や戦前日本の天皇制の支持者らが力説するような、「沖縄の人たちも同じ日本人として、太平洋戦争末期の沖縄戦では軍人らと共に日本を守るため戦争協力して現地で勇敢に戦った。少年たちは家族・親族と集落の人々を守りたい一心で若いながらも護郷隊に加わり、皆で協力して最後まで戦い抜いた」旨の「戦争美談」はごく一部のわずかな例外を除いて、その多くが荒唐無稽な虚偽の歴史であるとわかるはずだ。
そして三上智恵「証言・沖縄スパイ戦史」が優れているのは、太平洋戦争末期の沖縄戦を経験した護郷隊の元少年兵たちへのインタビューで得られた証言を通して、「近代日本において日本の軍隊が非常に気を使い常に最優先して守り防衛してきたのは、天皇の国体であり軍の日本の領土であり日本の国益であって、国民の生命と財産の安全ではない。天皇の国体・国益と、国民の生命・財産の安全とを天秤にかけたら、日本の軍隊は前者の国体の安寧・国益の確保を優先順位で取ってきた」趣旨の史実を知った上で、そのことを過去から無心に学ぶ歴史の教訓として活かし、今日の沖縄基地の再軍備増強問題や「スパイ天国の汚名返上」という号令のもとに推進されている特定秘密保護法や、いわゆる共謀罪(テロ等準備罪)の制定に懸念を示して、本書の中で一貫して批判的態度を貫いているところである。
「軍隊が来れば必ず情報機関が入り込み、住民を巻き込んだ『秘密戦』が始まる」というのが過去の沖縄戦を長年取材してきて三上智恵が確信した法則であるという。また「住民を守るための作戦と、軍隊が勝つための作戦は全く一致しない。軍隊は住民を守らなかったという残酷な事実が沖縄戦最大の教訓である」とも三上はいう。加えて今日の沖縄基地問題に関し、「旧日本軍は沖縄住民を守らなかったけれど、自衛隊または未来の国防軍は、旧日本軍の古い体質を完全に脱ぎ捨てて過去の反省のもと有事の際に私たち国民を本当に守る集団であるのだろうか!?」の新旧の日本の軍隊に対する連続した不信の思いが三上に強くあることが、本論記述から読み取れる。
三上智恵「証言・沖縄スパイ戦史」は、過去の沖縄戦史と現代の沖縄基地問題および日本の再軍備問題とを架橋する、近年まれに見る力作である。未読な方は是非。私は本書を強く推(お)す。