一般に「国鉄」とは、国が保有し、または経営する鉄道事業のことをいうが、日本においては特に「日本国有鉄道」の略称として用いられる。
最近の若い人は、もしかしたら知らないかもしれないが、現在各地域(北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州)にある6つの旅客鉄道のJR各社と1つの貨物鉄道会社(JR貨物)と、その他の鉄道関連事業は、元は国鉄(日本国有鉄道)による全国一元経営であり、国による国営事業の公共事業(政府が全額出資し、予算に関し国会の議決を要する特殊法人の一形態たる公社)だった。だから、昔は国鉄の最高責任者である国鉄「総裁」は、国の行政機関である内閣により任命されていたし、国鉄「副総裁」らの人事も国鉄の管轄行政に当たる運輸大臣の認可を必要としていた。その後、このように全国一元化の鉄道事業経営をなした国鉄は1987年の国鉄分割民営化に伴い、各地域ごとのJR各社とJR貨物と、その他、鉄道関連事業会社に分割され民間会社への移行(民営化)がなされたのであった。
そうして最近の若い人はさらに知らないかもしれないが、全国一元経営であり、国による国営事業の公社であった国鉄もまた最初から国営事業の公社であったわけではない。
日本での鉄道開業の歴史は古く、明治維新(1868年)から早くも数年後の1872年、新橋・横浜間の開業に始まる。以後、明治期に一部の官設官営鉄道(国営鉄道)と多くの私設民営鉄道(私鉄)が開業し、官民共に並立して独自に経営していた。明治の時代、政府の上からの「殖産興業」の産業振興政策にて時は「鉄道ブーム」であった。線路敷設のための広大な土地買収や橋梁、トンネル、駅舎、車両らの建設・購入・整備のための莫大な初期投資を要する鉄道事業は、景気変動に左右されやすい先の読めない事業であった。また旧来の海運業との貨物業務の競合があったし、人口の多い都市部では私鉄各社による乗客奪い合いの過酷な経営競争もあった。総じて当時の鉄道事業は、「殖産興業」政策の政府の手厚い保護のもと好調な決算を記録したが、他方で無謀な計画や投資を誘発するもの、特に都市部では並走する別鉄道会社との無用の経営競争を強いられ疲弊する事例も当時の鉄道会社には多くあって、各事業主は経営悪化の不安定に時にさらされる弊害に見舞われた。
このような近代日本の鉄道経営の従来的な困難を背景に明治末期になされたのが、鉄道国有法(1906年)にての日本全国の鉄道の国有化である。本法律により、各地域の鉄道網を官営鉄道に一元化する方針が取られ、全国各地の多くの私鉄は国家に買収され国有となった(同時に、これ以降の私鉄開業は国からの認可が非常に厳しくなった)。この明治末の鉄道国有法による戦前からの全国一律の官営鉄道事業を引き継いで、戦後の1949年に国の外郭団体として新たに発足したのが国鉄(日本国有鉄道)であった。
よって近代日本の鉄道事業は、明治初期の開業以降、鉄道各社の私鉄参入の隆盛を極めたが、後に明治末の1906年、鉄道国有法にて官による公的な国営事業が主流となり、戦後もそれは国鉄という国を主体とする公社に引き継がれ、しかし1987年の国鉄分割民営化により、およそ81年間の長きに渡り国有化されていた日本全国の主な鉄道網は再び民営に戻ることになるのである。
国鉄の前身をなした、近代日本における官による公的な国営事業たる国有鉄道の成立は、日露戦争がその契機であったといわれている。日露戦争が1904年(終戦は1905年)、鉄道国有法の発布が日露戦争終戦の翌年1906年である。この二つの歴史事項の近接を確認して頂きたい。日露戦争を経て、日本人の鉄道への認識は日露戦争以前のそれとは大きく変わっていた。鉄道国有化論の議論は前からあったが、日露戦争を経ると全国的な鉄道国有化への現実的な動きは、より加速した。当時の帝国議会にてなされた鉄道国有法に関する議論や関係者の話を後に読むと、外国人による株券取得ないしは外国人の経営参加により日本の鉄道の事業内容が海外に漏(も)れることに対する相当な危機意識があったようである。私鉄の場合、株式会社であるため経営状態を株主に報告しなければならない。その株主に外国人がいれば、軍事輸送用の特別列車を走らせる詳細の公開まで迫られる可能性もあって、そうなれば国内の軍事機密が海外に漏洩(ろうえい)してしまう。また外国人投資家に株を買い占められた場合、それが敵国の資本家なら鉄道軍事輸送を拒否される恐れもあった。
日露戦争以前の近代日本の鉄道事業は、明治初期の鉄道開業以来、私鉄会社の経営者と株主である新興の資本家や華族や地主らにより「殖産興業」のための一大産業として理解され経営されてきたのであるが、日露戦争での日本の戦勝を経てこれ以降になると、さらに「富国強兵」のための重要施設として、軍部と政府、そして軍官と密接な結びつきを有する独占資本の財閥が、軍事産業的な大量物資輸送の面から鉄道を高く評価し重きを置くようになる。ここに至って鉄道事業は軍部と政府と財閥の三者により支えられ以降、近代日本の鉄道事業は彼ら三者に国有化のもと管轄され、より積極的に推進されることになった。その鉄道振興の推進主体の大きな変わり目が、まさに日露戦争直後に発布された鉄道国有法であったといえるのである。
さらに日露戦争での日本の戦勝を契機として特に軍部と政府が鉄道事業の重要性を再認識した事例に、南満州鉄道株式会社の発足(1906年)があった。南満州鉄道株式会社は略称「満鉄」、日露戦争終結後の日本にとっての戦勝講和であるポーツマス条約(1905年)にて、ロシアから日本に割譲された東清鉄道南満州支線(長春・旅順間鉄道)を経営した半官半民の国策会社である。満鉄は満州経路における日本の重要拠点であり、大日本帝国の大陸北方侵出拠点の最前線となった。
事実、満鉄は鉄道会社であったが鉄道事業のみをやっていたわけではない。鉄道経営に加えて満州地域の農作物の物流を一手に支配し、鉄道沿線地の炭鉱開発、製鉄業、港湾事業、電力供給、ホテル業など多様な事業を担(にな)っていた。何よりも南満州鉄道株式会社発足の翌年(1907年)に設置された満鉄調査部は、設立当初は沿線地域の開発調査・研究を行っていたが、やがてはシンクタンク(政府や軍や財閥らに政策立案を行う研究機関)として、満鉄調査部の後継組織(経済調査会、大調査部)は、時に大陸前線での諜報(スパイ)活動や裏政治工作までやり暗躍するようになっていった。また後に満州事変(1931年)を画策して現地で軍事暴走をなす関東軍は、もともとは日露戦争後にロシアから獲得した関東州の租借地と満鉄発足時(1906年)の南満州鉄道の付属地の警備が任務の守備隊がその前身であって、後に関東軍として独立し(1919年)、対ソ連の大陸北方での国策重要度が増すにつれ前線の関東軍は漸次増強されて、遂には大日本帝国陸軍下にて支那派遣軍や南方軍と同列、もしくはそれ以上の一大総軍をなす(1942年)に至るのである。
一般に近代政治システムにおいて、国家(政府と軍と資本家)と鉄道との関係は密接である。他地域に侵出して帝国主義的覇権を張ろうとする近代の帝国主義的国家にて、鉄道の役割は極めて重要であった。鉄道敷設を通じて、それに付属する沿線地域の軍事的な実効面での実質支配をなし、さらに経済的に沿線地域に資本投下して海外の支配地域を自国の経済圏に強引に引き入れていく。特に近代日本の大陸侵出にて、日本が獲得した現地での大陸利権である租借権や鉱山採掘権らは鉄道敷設権とセットであった。かの地での敷設鉄道の警備ならびに沿線地域の治安維持を名目に、日本の軍隊の永続的な現地駐留は正当化されて、さらには鉄道沿線地域の産業振興名目の資本投下を経て大陸諸地域は次々に日本の支配圏に組み込まれていった。
満鉄の事例に見られるように、鉄道は大日本帝国の大陸侵出のための、いわば「斬(き)り込み隊長」的な最初の主要な動線として真っ先に敷設確保され、この鉄道敷設を足がかりにして、なし崩し的に沿線地域一帯の軍事的かつ経済的な包括支配を日本は貫徹していったのである。表向きは「鉄道」事業を手がける南満州鉄道株式会社には、それと共に活動する満鉄調査部や関東軍の存在が常にあった。ここにおいて近代の帝国主義にて鉄道が果たした大きな役割、帝国主義的国家の内実である政府・軍部・財閥と鉄道との癒着(ゆちゃく)の共犯はもはや明白であろう。
岩波新書の青、大島藤太郎「国鉄」(1956年)は全部で4つの章よりなる。特に第2章に当たる前半の「Ⅱ・国鉄の歩いてきた道」で多くの紙数を割(さ)いて、上述のような国鉄成立以前の近代日本の鉄道の国有化の議論と国営への移行経緯の事情を詳細に解説している。本書ではさらに詳しく明治前期の早くから鉄道国有化論を主張した井上勝や、満鉄の初代総裁であった後藤新平らの当時の発言を引用し子細に説明している。
本新書は、発刊時の1950年代の「国鉄」の組織的問題と、この国営鉄道事業が抱える課題解決の先行きを示す内容である。その際に、主に前半で「Ⅱ・国鉄の歩いてきた道」として、近代日本の帝国主義(近代天皇制国家)にて鉄道が果たした大きな役割、前述した大陸での南満州鉄道株式会社(満鉄)の発足と後の活動に集約象徴されるような、帝国主義的国家の内実である政府・軍部・財閥と鉄道との癒着・共犯を批判的に概観する歴史的かつ理論的考察を周到に置いていた。このため、その成果として、国鉄の前身である戦前日本の国有鉄道の天皇制的官僚の実態や組織運営の問題にまで遡(さかのぼ)るかたちで、著者が本書執筆時の戦後の「国鉄」の問題を本質的に抉出(けつしゅつ)できている。そこが近年の国鉄関連書籍にはない、本書の出色(しゅっしょく)であり、まさに読み所であるといえる。
岩波新書「国鉄」は古い書籍ではあるが、単に走る電車が好きで鉄道写真をやたら撮りたがったり、時刻表を無闇に読み込んだり、廃線跡を熱心に探索する鉄道そのものへの即物的な愛好のみを示す幼稚な昨今の「鉄道マニア」「鉄道ファン」たちが執筆の「国鉄」本とは明らかに異なる。
本新書を実際に手に取り読む人は、特に「Ⅱ・国鉄の歩いてきた道」の章の第二節「ゆがめられた国鉄輸送」内での、国鉄の組織的性格を理解するために「天皇制的官僚」「非民主的」「半封建性」「絶対主義的」など、従来の歴史学にて理論的に戦前の近代天皇制国家への分析をなす際に用いられる術語がかなり効果的に使われ、戦後の「国鉄」の問題性指摘の分析に生かされている点に留意し、またこの考察に大いに感心して頂きたい。
より具体的には、岩波新書の青、大島藤太郎「国鉄」の中で挙げられている本書執筆時の1950年代の戦後の国鉄の問題には、例えば以下のようなものがあった。
☆遅延や運休ら日常的なダイヤの乱れ(それら遅延や運休を引き起こす、そもそもの過密ダイヤ作成の問題)。☆脱線や衝突や列車火災など、時に多くの死傷者を出す過酷な鉄道事故の発生。☆国鉄職員の労働条件の劣悪さ(賃金、労働時間、福利厚生制度の不備)。☆国鉄の経営管理、労働強化のあり方(上からの「無事故運動」の強力な働きかけが現場の各職員に与える心的圧力とその弊害。労働組合への不当な圧力)。☆国鉄の官僚的組織(中央のエリート主義や学閥の存在、都市部と地方とでの駅員待遇の格差・不公平など)。☆国鉄の経営改善のあり方(不採算部門の安易な切り捨て、無理な経費削減など強引な経営合理化の問題)。☆鉄道施設(線路、信号、トンネル、橋脚、駅舎、車両ら)の老朽化と日常的な保守不備。☆国営事業の職員であるがゆえの乗客に対する国鉄駅員の役人的横柄さ、サーヴィス不足(「国民のための国鉄」ではない問題)。☆(特に蒸気機関車における)列車運転や保線の技能継承、国鉄内での技術教育のあり方(研修の改善、社内での競技会や表彰制度の活用提言など)。