アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(533)大島堅一「原発のコスト」

原子力発電所を日々稼働させ、かつ国内での新規原発の増設を今後も進めるべきとする原発推進派と、廃炉を進め原発を廃止し続けて将来的には発電の原発依存から完全脱却すべきとする脱原発派との間で昔からある議論に、経済的合理性の観点からの、いわゆる「原発のコスト」というものがある。

「原発のコスト」議論とは、基本単位の発電量に要する金額と、その他、原子力発電所の建設・解体などにかかる総費用とを計算し、それらを合算して1kWH(キロワット時)あたりに換算した発電コストをまず算出する。その上でさらに原子力発電以外の、従来の主要発電方式である火力・水力発電と、さらには次世代の新しい発電方式とされる太陽光・風力発電に関しても、それら単位ごとの発電量の金額と、その他、発電所の建設・解体らに要する費用を計算して同様に1kWHあたり換算の発電コストを割り出し、原子力発電に要する「原発のコスト」と原発以外の諸発電でのコストを比較検討するのである。それらコスト試算の算出数字にて、数値が少ないほど経済的に優れて経済合理性にかなった発電方式ということになり、1kWHあたりに換算の発電コストが安価な発電方式が他の割高なそれよりも優遇され、社会を支える基本の発電方式(ベースロード電源)として電力供給の主軸と見なされるわけである。

ただ今日、発電方式の妥当性は(1)供給安定性、(2)経済合理性、(3)環境負荷度、(4)安全性の4つの観点から総合的に判断されるべきものであり、これら4つの指標の内の1つでしかない経済合理性が優れている(つまりは低コストで発電できる)からといって、そのままその発電方法が一気に拡大され振興されるわけではないのだが。

いわゆる「原発のコスト」は発電原価と社会的費用によりなる。「発電原価」とは発電施設の建設と運用に直接に関わるコストのことで、具体的には施設の建設費、燃料費、運転維持費、また使用済み核燃料を加工して再度燃料として利用する核燃料サイクル費や、規制基準適合のための安全対策費、廃炉措置をとった場合にかかるコストなどを含む。「社会的費用」とは社会全体あるいは第三者が被(こうむ)る損失に伴い負担させられる費用(外部不経済)のことで、賠償費用の事故リスク対応費と原発建設地への地域対策交付金など、原発の運用に間接的に関わるコストのことである。

こうした「原発のコスト」概要を踏まえて、各方式の1kWHあたりに換算した実際の発電コスト試算の一例を以下に挙げてみる。

1・経済産業省による試算(2010年)、原子力5─6円、火力7─8円、水力8─13円、太陽光49円
2・内閣府による試算(2011年)、原子力8.9円、火力(石炭)9.5円、太陽光33.4─38.3円、風力(陸上)9.9─17.3円
3・立命館大学・国際関係学部教授(環境経済学専攻)大島堅一による試算(2010年)、原子力10.68円、火力9.90円、水力(一般水力)3.98円
4・米国エネルギー省による試算(2010年、1ドル=90円で換算)、原子力10.3円、火力(石炭)8.5円、水力7.8円、太陽光19.0円

それぞれが各発電方式の1kWHあたり換算の実際の発電コスト試算を同じようにやっても数字にばらつきがあるのは、発電方式のモデル想定や諸費用数値の見積もりの相違によるものと考えられるが、それら発電コスト試算にて着目すべきは原子力発電が従来主力の火力・水力発電と比較して割高か割安かという点であろう。

「原発のコスト」議論を連続し追跡して見ていると、昔から一貫して国(歴代の自民党保守政府、経済産業省)と電力会社による試算、ないしはそれら国・電力会社の傘下にある組織が割り出した試算では、原子力の発電コストは火力・水力のそれよりも必ず安価で、原子力発電は経済合理性に非常に優れているのである。他方、国と電力会社から独立してある、大学教授や民間のシンクタンク、海外の政府筋の試算では原子力の発電コストは、ほとんどの場合が火力・水力のそれよりもコスト高か、せいぜいよくても火力・水力発電と同等の数字となっている。海外では原子力の発電コストが火力・水力のそれよりも安価である試算は、ほぼ皆無である。上記の試算例で1の「経済産業省による試算」と2の「内閣府による試算」にて、いずれも国による試算でのみ他の発電方式に比べ原子力の発電コストの優位性が示されていることを確認されたい。これには「原子力エネルギー政策」を国策として堅持している歴代自民党の日本政府と原子力発電の事業主である電力会社に原発推進の意向の姿勢がもともと強固にあって、原子力発電振興のために「原子力は発電量当たりの単価が安く、優れた経済性を持つ」の試算結果に故意に誘導されているからだと考えられる。

このように国と電力会社が試算する場合にだけ、「他の発電方式と比較の発電単価にて採算性が高く低コストである」原子力発電であるわけである。国と電力会社による1kWHあたりに換算した「原発のコスト」算出に対し、例えば次のような問題点が従前指摘されてきた。

☆「原発のコスト」の内の「社会的費用」、つまりは賠償費用の事故リスク対応費と、電源三法ら原発建設地への地域対策交付金の原発の運用に間接的に関わるコストが加算されていない。もしくは加算されるとしても極めて低い数字で見積もられている。

(歴代自民党保守政府と経済産業省、各地域の電力会社ともに福島原発の事故発生以前には、「原発施設にて重大な過酷事故は万が一でも起こり得ない」の公式見解の立場が強くあって、そのため原子力発電に伴う事故リスク対応の賠償費用の想定は皆無か、あっても過小の最低限見積もりで済まされてきた。また電源三法ら原発建設地への地域対策交付金についても、原発立地の特定地域に集中的に偏って(時にはバラマキのような露骨なかたちで)多額の補助金投下していることに後ろめたさがあるためか、政府も経済産業省も電源三法ら原発建設地への地域対策交付金の実態には極力触れたがらない、の事情がある)

☆試算モデルの原子力発電所を年間稼働率60─80パーセント、40年─60年という連続的かつ長期間の稼働想定で算出している。原発一基あたりの年間稼働率と稼働年の数値を高設定にすれば分母が増えるのでコスト効率は高くなり、1kWHあたりに換算した原発の発電コストは机上の数値では、なるほど安価になる。

(現実に日本国内で年間稼働60パーセント以上の原子力発電所はそうはない。稼働停止しての設備の定期検査や、原子力規制委員会による新規制基準をクリアするための安全追加対策、立地自治体からの稼働不認可などで実際の原発の年間稼働率はかなり下がる。また老朽化による安全性の点から原発の40年以上の長期稼働は懸念されている。60パーセント以上の年間稼働率、40年以上の長期間の稼働想定で一律に「原発のコスト」試算をすること自体に問題がある)

これら問題指摘を踏まえ、またこれまでの「原発のコスト」議論を概観すると、総じて「原子力は、火力や水力の従来主力の発電方式との比較において採算性が悪くコスト高である」といえそうだ。

岩波新書の赤、大島堅一「原発のコスト」(2011年)は、東日本大震災での福島第一原発の放射能漏れ事故(2011年3月)の約九ヶ月後、「従来と変わらずこのまま全国の原発稼働を続けるのか、それとも各地域の原発を停止して脱原発の方針に将来的に転換するのか」の原子力発電の是非についての国民的議論が高まる中で出版された。本書は、いわゆる「原発のコスト」議論の全体を広く簡略に述べた入門書のような書籍である。ただ著者は「原子力発電は高コストで経済的合理性がなく、ゆえに反原発で脱原発」のかなり強硬な立場にある方なので、これとは逆の「原子力の発電コストは火力や水力ら他の発電方式と比べて安いのだから、今後とも原発推進するべき」主張の国・電力会社による検証報告や、それに準じた内容書籍も同様に読んでおくべきだろう。その上で「原発のコスト」を各人で慎重に判断されたい。

最後に岩波新書、大島堅一「原発のコスト」の概要を載せておく。

「原発の発電コストは他と比べて安いと言われてきたが、本当なのか。立地対策費や使用済み燃料の処分費用、それに事故時の莫大な賠償などを考えると、原子力が経済的に成り立たないのはもはや明らかだ。原発の社会的コストを考察し、節電と再生可能エネルギーの普及によって脱原発を進めることの合理性を説得的に訴える」(表紙カバー裏解説)