アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(371)久保文明 金成隆一「アメリカ大統領選」

岩波新書の赤、久保文明・金成隆一「アメリカ大統領選」(2020年)は、アメリカ合衆国大統領を選出(もしくは再任)するための4年に1度の選挙であるアメリカ大統領選挙について述べた書籍である。本書の出版は2020年10月である。これは来(きた)る2020年11月の第59回アメリカ大統領選挙の現実日程に合わせた著者と岩波新書編集部の意向を汲(く)んだ、誠に時宜を得たものとなっている。

「はじめに」結語に「本書を通して、読者の皆さんがアメリカ大統領選の歴史的な経緯と役割、そして情勢をつかみ、大統領選を少しでも楽しむ契機となれば、大きな喜びである」とあるように、本書を読んで「アメリカ大統領選」についての歴史や仕組み、近年の大統領選の情勢・論点を知った上で近日開催される実際のアメリカの大統領選を見、その経過と選挙結果も踏まえて今日のアメリカの政治や現代における民主主義のあり方を読者諸氏が各自考えるよう本書は促すものだ。

岩波新書「アメリカ大統領選」は全五章よりなる。ここで素人読者の私が下手な要約をするよりも、直に本書執筆の著者に各章の概要を説明してもらおう。

「第1章では、アメリカにおいて大統領の交代、政権の交代、大統領の選挙などがどのような意味を持つのかについて、選挙の実際も含めて解説をした。第2章からは、実際の選挙戦の様子を現場から案内する。筆者2人は2016年の大統領選を一緒に取材して歩いた。当初こそ『泡沫候補』として扱われた共和党トランプが初勝利した東部ニューハンプシャー州の予備選のほか、夏の民主、共和両党の全国党大会などを現地取材した。第2章では、大統領選の『前半戦』にあたる予備選と党員集会を、第3章では『後半戦』にあたる本選挙を扱う。第4章では、さまざまな断層に沿って二極化が進むアメリカ社会において、どのような対立軸があり、何が有権者を動かす争点になっているのかをまとめた。かつてのアメリカでは『白人』『キリスト教徒』が多数派だったが、60年代以降に急速に変化を遂げてきたことなどを見る。国家としての顔つきが変わる中で、自画像を求める対立が激しく繰り返されてきた。この摩擦が大統領選に及ぼす影響にも触れる。本書では、来る2020年11月の大統領選で誰が勝つかについては全く触れていない。それに代えて終章では、100年後のアメリカにおいて、トランプ現象がどのように影響を残しているかについて、日本との関係も含めて大胆に想像してみることにした」(「はじめに」)

著者や編集者らには現今の2020年アメリカ大統領選にて自分達が支持の政党ないしは候補者があるであろうにもかかわらず、それを読者に極力悟られないよう配慮して、できる限りの公正中立な姿勢でアメリカ大統領選の概要解説や現地レポートや今後のアメリカ政治の展望まで書いている。「本書では、来る2020年11月の大統領選で誰が勝つかについては全く触れていない」とあるように、確かに直近の次回大統領選の票読み予想など下世話なことはやっていない。本新書を一読して内容だけでなく、そうした本論の抑制された筆致に私は感心した。

岩波新書「アメリカ大統領選」の内容に関しては、前半の第1章から第3章までは、アメリカ政治の大統領選の仕組み・プロセスやアメリカの人々の政治気質をあまり知らない初学者にも説く読みやすいパートとなっている。他方、後半の第4章と終章は「リベラルと保守に二極化するアメリカ」「排他と分断のアメリカ社会」など、大統領選からみた今日のアメリカ政治の分析をなす、現代アメリカの政治と大統領選についてある程度の知識がある中級から上級者向けの記述といえる。なかでも前半と後半の間の第3章末尾に付されている、ハーバード大学教授・スティーブン・レビツキーへのインタビュー・レポート「アメリカの民主主義と大統領選」は、理念的な民主主義規範の再確認と共にアメリカ大統領選を通して見える現代民主主義の危機が率直に語られており、短いながらも読んで有益なレポートである。

現実のアメリカ大統領選には、民主主義の原理的かつ制度的な問題が顕著に現れている。特に2000年代以降のアメリカ大統領選は本選の最終投票にて僅差の結果での大統領選出となるケースが多い。例えば本選挙での最終投票にて「51対49」の得票率の辛勝で51の得票で新しい大統領が選出決定された場合、その新大統領への反対票たる49は意向を反映されない「死票」となってしまうわけである。辛くも51でギリギリに勝って他方で49の民意を死票として無効にしてしまうのは、「きわどい多数決による数の横暴」であって、果たして民意を的確に反映した大統領選出といえるのか。アメリカ大統領選を前から観察していて一貫して私には疑問である。

確かに出来るだけ的確な民意反映の選挙システムとなるよう、本新書に解説されてあるように、予備選挙にての複数人からの候補者の厳しい絞り込みと、本選挙にての各州地域ごとの一般有権者による、いわゆる「選挙人」を選出した上での、その選ばれた各州の選挙人たちが、事前に予備選を勝ち抜いた二人の最終大統領候補のいずれかに投票するなどの複数段階の選出過程の複雑な選挙システムにアメリカ大統領選はなってはいる。だが、それは最終の本選の決戦投票に至るまでの前提選挙の回数を増やした量的複雑化でしかないのであって、本選最後の決戦投票で民意は2つに割れ、僅差の辛勝の場合には大量の実質的にはほぼ同数の反対票が死票で切り捨てられ排除されることから、この質的問題は克服されていないのではないか。

加えて実際のアメリカ大統領選は、その制度上、二大政党制下での二者択一の「究極の選択」の過酷な勝敗ゲームになってしまっている。対立候補の得票を上回って相手を打ち負かす、政策立案以外での相手陣営へのどぎつい人格攻撃やスキャンダル暴露のメディアを通したネガティブ・キャンペーンまで時にやって、自分達が支持する候補者の勝利を願うような国をあげてのお祭り騒ぎの人気投票の勝敗ゲームの様相である。アメリカ大統領選に関し、一般有権者が「自分が支持する候補者が今回の選挙で勝ってうれしい」とか「負けて悔(くや)しい」などの感慨・発言をもらすこと自体、民主主義にとって極めて危険だ。「自分の応援している候補者や政党が勝つことが民主主義」などと勘違いしてはいけない。

そもそも近代民主政治の国政選挙にての投票行動は、「自分の気に入らない対立候補を打ち負かして自身が支持して推(お)した候補者が勝ったから溜飲(りゅういん)が下がった」とか、逆に「自分の意中の候補者が対立候補に打ち負かされて非常に残念で悔しい」といった人気投票やスポーツ観戦の応援感覚でやってはいけない。選挙による相手を打ち負かしの勝敗の排他ではなくて、政策そのものの是非や民意の的確な反映が真に考慮されなくてはいけない。しかし近年の、特に2000年代以降のアメリカ大統領選挙には、そうした「相手打ち負かし勝敗ゲーム」の憂慮すべき面が大いにあると私には見受けられる。