アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(291)小田実「義務としての旅」

小田実「何でも見てやろう」(1961年)は、小田が若い時分に一枚の帰国用航空券とわずかな持参金で世界一周旅行に出かけ、安価なユースホステルに宿泊しながら世界のあらゆる人達と出会い語らい、まさにタイトル通りの「世界中の何でも見てやろう!」の痛快な旅行記である。本書での小田の貧乏世界放浪は現在のバックパッカーの走りとも言え、本書はベストセラーとなり、小田実の著作を読んでから世界旅行する若者が増えたとされる。以後も同じような若者の海外旅行記として、五木寛之「青年は荒野をめざす」(1967年)や沢木耕太郎「深夜特急」全三巻(1986─92年)があった。

岩波新書の青、小田実「義務としての旅」(1967年)の概要は以下だ。

「本書は、著者が1965年9月から翌年9月まで、ミシガン大学で開かれたベトナム反戦の国際集会に出たのを皮切りに、アメリカ、ソ連、ヨーロッパ、インドなどを回り、各国の反戦運動を担う人々と出会う中で感じた思いや悩み、もどかしさを一冊の書物のかたちで差し出した。一人の作家が、自ら拠って立つ平和思想に基づいて、ベトナム戦争という『汚い戦争』をどのように受けとめかねているか、その苦しみの一つの中間報告である」(表紙カバー裏解説)

通常、旅とは自分が行きたいから行く。旅は決して行かなければならない「義務」ではない。よく中高年の大人で自分が若い頃に無謀で破天荒な世界放浪のような旅をして、それをあたかも手柄話のように自慢げに後々まで方々で語り、若者に「旅をしろ、若いうちに旅に出て世界を見ておけ」云々と説教するうっとうしい大人がいて時々困る(笑)。小田の「義務としての旅」もタイトルだけ見ると、そのような「若いうちに絶対に旅をしておけ!」の大人の説教臭い書籍に思える。しかし、よくよく読んでみると、なかなか優れた旅を介しての世界見聞の話である。

小田実という人は世界中を旅するが、単に旅行をしているのではなく、各地で反戦平和を説き、各地域の紛争や民族・先住民迫害の問題を歴史を絡めて凝視し、各国の人々の貧困の現状と自然破壊の問題とを考えて、世界の人たちと自在に語り合う。現地の同世代の若者らと積極的に交流を持つ。この人は歴史的、社会的かつ政治的に世界を旅している。やはり小田実の若い読者へ向けての「義務としての旅」は、本書も含めて小田の各種の旅行記を読み重ねると「若者が若いうちに旅に出るべき理由には一理あるな」と私は思う。

小田実「義務としての旅」は全6章よりなるが、前評判通り最初の「十三の星の星条旗」の小論が特に良くて印象深い。本論は、アメリカのベトナム戦争遂行に関し、戦禍に巻き込まれるベトナム現地の人々と戦争に動員させられるアメリカ兵士への思いと共に、反戦平和の立場からアメリカ国を痛烈批判するものである。しかしながら、アメリカ国内では自国政府を批判する世論の多様性も確保されており、「帝国主義で海外に覇権を張り軍事行動に出る病(や)んだアメリカ、他方で国内では反戦平和や自国批判の思想言論の自由も保障されている健全なアメリカ」を、十三州よりなる独立戦争時のアメリカ建国の歴史から確認する小田の文章である。

岩波新書の小田実「義務としての旅」は、同じ1960年代の大江健三郎の全エッセイ集「厳粛な綱渡り」(1965年)や「持続する志」(1968年)と読み味が似ている。60年代の左派リベラルの若い知識人らに当時共有されていた時代の空気というか雰囲気が、小田実にも大江健三郎にも彼らの昔の時事エッセイには確かに共通してあるのだ。