アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

文学・芸術

岩波新書の書評(506)大江健三郎「親密な手紙」

岩波新書の赤、大江健三郎「親密な手紙」(2023年)は岩波書店の月刊誌「図書」に2010年から2013年まで連載された、各人についての思い出を語る大江の文章を収録したものである。 「窮境を自分に乗り超えさせてくれる『親密な手紙』を、確かに書物にこそ見出…

岩波新書の書評(496)四方田犬彦「『七人の侍』と現代」

映画人(俳優、監督、プロデューサー、脚本家、カメラマン、美術技師ら)に関する書籍の中で映画監督・黒澤明(1910─98年)についてのものは、他の人に比べ圧倒的に多い。ただ黒澤明の評伝や黒澤作品の映画批評など、監督デビューから晩年までの黒澤の複数作…

岩波新書の書評(494)十重田裕一「川端康成 孤独を駆ける」

岩波新書の赤、十重田裕一(とえだ・ひろかず)「川端康成・孤独を駆ける」(2023年)のタイトルになっている川端康成その人について、念のため確認しておくと、 「川端康成(1899─1972年)は、新感覚派(自然主義的リアリズムに反発し感覚的表現を主張した…

岩波新書の書評(490)廣野由美子「ミステリーの人間学」

岩波新書の赤、廣野由美子「ミステリーの人間学」(2009年)は、副題に「英国古典探偵小説を読む」とある通り、ドイルの「シャーロック・ホームズ」やチェスタトンの「ブラウン神父」シリーズ、クリスティの「アクロイド殺し」「オリエント急行殺人事件」の…

岩波新書の書評(478)佐藤正午「小説の読み書き」

「昨今活躍の人気作家が、自身が昔に読んだ文学作品の名著を岩波書店の月刊誌『図書』にて毎月紹介していく書評連載企画を後にまとめた岩波新書」という点で、岩波新書の赤、佐藤正午「小説の読み書き」(2006年)は一読して、同岩波新書の柳広司「二度読ん…

岩波新書の書評(470)高橋英夫「友情の文学誌」

岩波新書の赤、高橋英夫「友情の文学誌」(2001年)の概要は以下だ。 「文学者へ成長する漱石と子規。鴎外が遺書筆録を託した賀古鶴所。『近さ』からドラマを生んだ芥川たち。志賀直哉ら、師を持たない白樺派の世代。漢詩の世界、ギリシア・ローマ以来の言説…

岩波新書の書評(463)向井和美「読書会という幸福」

岩波新書の赤、向井和美「読書会という幸福」(2022年)は、翻訳家であり学校図書館の司書も務めているという著者が、読書会の良さ(「読書会という幸福」)や読書会が成功する進め方(「読書会を成功させるためのヒント」)らを、自身の経験から読み手に伝…

岩波新書の書評(436)細谷史代「シベリア抑留とは何だったのか 詩人・石原吉郎のみちのり」

私は前からずっとやってみたくて昔、一回だけやったことがある。寿司屋に入り大トロを食べビールを飲みながら、詩人でありシベリア抑留帰還者であった石原吉郎の「望郷と海」(1972年)を読み返してみたかったのだ。誠に不遜(ふそん)で、亡くなった石原本…

岩波新書の書評(434)今野真二「『広辞苑』をよむ」

「広辞苑(こうじえん)」は、日本語国語辞典である。もともとは戦前昭和より言語学者の新村出(しんむら・いずる)が国語辞典の執筆をやっていて、当初は博文館という出版社から「辞苑(じえん)」という書名の辞書を出していたが、戦後に今後の日本語文化…

岩波新書の書評(430)中村邦生「はじめての文学講義」

岩波ジュニア新書の中村邦生「はじめての文学講義」(2015年)は、渋谷教育学園渋谷中学高等学校にて(私は本新書を読むまで知らなかったが、本校は中学受験の世界では「渋渋」と略称され、都内の中高一貫校の中では有数の入学難関校であるという)、作家で…

岩波新書の書評(413)小林秀雄「無常という事」(その3)

前回で要約の要旨をまとめ、一応終わった感のある小林秀雄「無常という事」について、今回は前回に出した「無常という事」の要旨を踏まえ、小林秀雄の「無常という事」が発表された当時の時代状況にて果たしたであろう、あの作品の政治的役割について考えて…

岩波新書の書評(412)小林秀雄「無常という事」(その2)

前回からの続きで、小林秀雄「無常という事」の読み解きをやっている。今回は最終段落を読み切って、いよいよ読解を完成させよう。「上手に思い出す事は非常に難しい。だが、それが、過去から未来に向かって飴の様に延びた時間という蒼ざめた思想(僕にはそ…

岩波新書の書評(411)小林秀雄「無常という事」(その1)

(今回から3回連続で岩波新書ではない、小林秀雄「無常という事」について書いた読み解きの文章を例外的に「岩波新書の書評」ブログに載せます。念のため、小林秀雄「無常という事」は岩波新書には入っていません)小林秀雄「無常という事」(1942年)に関…

岩波新書の書評(402)細⾕博「太宰治」(その3)

太宰治の本名は津島修治である。太宰は⻘森県北津軽郡⾦⽊村の出⾝である。太宰の⽣家は県下有数の⼤地主であった。津島家は「⾦⽊の殿様」と呼ばれていた。⽗は県議会議員も務めた地元の名⼠であり、多額の納税により貴族議員にもなった。津島家は七男四⼥…

岩波新書の書評(401)細⾕博「太宰治」(その2)

「太宰治全集」にて私には⼀時期、太宰と⻑兄で家⻑たる兄・⽂治とのやりとりがある作品箇所だけ、わざと選んで読み返す楽しみの趣向があった。太宰治の本名は津島修治である。太宰は⻘森県北津軽郡⾦⽊村の出⾝である。太宰の⽣家は県下有数の⼤地主であっ…

岩波新書の書評(400)細⾕博「太宰治」(その1)

おそらく現在でも絶版・品切れにはなっていないと思うが、昔からちくま⽂庫で「夏⽬漱石全集」全⼗巻(1994年)と「芥川⿓之介全集」全⼋巻(1994年)と「太宰治全集」全⼗巻(1994年)が出ていて、私は⼀時期この三⼈の⽂庫全集を書棚に⼤事において毎⽇、…

岩波新書の書評(388)鈴木敏夫「仕事道楽 新版 スタジオジブリの現場」

テクノバンドの「YMO」について、以前に元「ピチカート・ファイヴ」(Pizzicato・Five)の小西康陽が「YMOは最高だったけど、でも彼らを取り巻く文化人とかスタッフとか正直言って嫌だったな。ただ理由なく嫌いっていうのは、何かわかんないけど、ゴメン」と…

岩波新書の書評(378)椎名誠「活字のサーカス」(いわゆる「シネマチップス事件」について)

本と読書についてのエッセイである「活字のサーカス」(1987年)を始めとする「活字博物誌」(1998年)と「活字の海に寝ころんで」(2003年)と「活字たんけん隊」(2010年)の岩波新書から出ている椎名誠の「活字四部作」は、何を読んでもだいたい面白い。…

岩波新書の書評(373)赤坂憲雄「武蔵野をよむ」

岩波新書の赤、赤坂憲雄「武蔵野をよむ」(2018年)の表紙カバー裏解説文はこうだ。 「国木田独歩『武蔵野』。二六歳の青年が失恋の果てに綴(つづ)り、一二0年前に発表されたこの短篇(岩波文庫でわずか二八頁)は、当時にして新たな近代の感性に満ち、今…

岩波新書の書評(367)上田篤「橋と日本人」

岩波新書の黄、上田篤「橋と日本人」(1984年)は、日本の橋に関するややマニアックな本で、私は橋の専門家ではないし橋の鑑賞が趣味というわけでもないので、日本の橋への偏愛にあふれる著者の本文記述に時に圧倒されそうにもなるけれど(笑)、一読して非常…

岩波新書の書評(354)姜尚中「姜尚中と読む夏目漱石」(その4)(夏目漱石「こころ」を読み解く3)

(前回からの続き。以下、「夏目漱石『こころ』パーフェクトガイド」ブログでのブログ主様の読み方解釈を明かした「ネタばれ」を含みます。かのブログを未読の方は、これから新たに読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)(3)の「なぜ私は死期が迫っ…

岩波新書の書評(353)姜尚中「姜尚中と読む夏目漱石」(その3)(夏目漱石「こころ」を読み解く2)

(前回からの続き。以下、「夏目漱石『こころ』パーフェクトガイド」ブログでのブログ主様の読み方解釈を明かした「ネタばれ」を含みます。かのブログを未読の方は、これから新たに読む楽しみがなくなりますので、ご注意下さい。)さて、以下では「夏目漱石…

岩波新書の書評(352)姜尚中「姜尚中と読む夏目漱石」(その2)(夏目漱石「こころ」を読み解く1)

前回、岩波ジュニア新書の姜尚中「姜尚中と読む夏目漱石」(2016年)についての書評を書いた。今回と次回と次々回の三回連続で姜尚中の新書から離れて、しかし同じテーマの夏目漱石について「岩波新書の書評」タイトルではあるけれども、例外的に岩波新書云…

岩波新書の書評(351)姜尚中「姜尚中と読む夏目漱石」(その1)

岩波ジュニア新書は10代の少年少女向け読み物(ジュヴナイル)であるから、岩波ジュニア新書の姜尚中(かんさんじゅん)「姜尚中と読む夏目漱石」(2016年)は、夏目漱石の名は知ってはいてもまだ漱石作品を読んだことがない、ないしは漱石の小説は読んだこ…

岩波新書の書評(345)高村薫「作家的覚書」

岩波新書の赤、高村薫「作家的覚書」(2017年)は、2014年から2016年まで岩波書店の月刊誌「図書」に連載した時評を中心に編(あ)んだ作家・高村薫による時評集である。「『図書』誌上での好評連載を中心に編む時評集。一生活者の視点から、ものを言い、日…

岩波新書の書評(333)ねじめ正一「ぼくらの言葉塾」

詩人のねじめ正一のよさは、詩創作でも詩鑑賞でもこの人は、どちらかといえば詩作の内容よりも言葉の肉感の厚みや剥(む)き出しで生(なま)のままの言質の素材感や言葉そのものの強い響きを好んで重んじる、いわば「詩人の格闘系の肉体派」とも称すべき所…

岩波新書の書評(330)竹内啓「偶然とは何か」

詩人のねじめ正一のよさは、詩創作でも詩鑑賞でもこの人は、どちらかといえば詩作の内容よりも言葉の肉感の厚みや剥(む)き出しで生(なま)のままの言質の素材感や言葉そのものの強い響きを好んで重んじる、いわば「詩人の格闘系の肉体派」とも称すべき所…

岩波新書の書評(320)川西政明「小説の終焉」

岩波新書の赤、川西政明「小説の終焉」(2004年)の概要はこうだ。著者の川西政明によれば、二葉亭四迷の「浮雲」(1887年)から始まった日本の近代小説にてテーマとされてきた「私」「家」「性」「神」の問題はほぼ書き尽くされ、いま小説は終焉を迎えよう…

岩波新書の書評(309)近藤譲「ものがたり西洋音楽史」

私は10代の時から洋楽ロックやテクノのダンス・ミュージックや日本の歌謡曲や演歌が好きで継続してよく聴いていたけれど、クラシックだけは若い頃なぜか縁遠くて、そこまで聴き込んでいなかった。後に、だいぶ年取ってある時期をからクラシック音楽の素晴ら…

岩波新書の書評(299)芦田愛菜「まなの本棚」

(今回は、芦田愛菜「まなの本棚」についての書評を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、芦田「まなの本棚」は岩波新書ではありません。) 先日、芦田愛菜「まなの本棚」(2019年)を読んだ。芦田愛菜は女優、タレントである。…