アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(378)椎名誠「活字のサーカス」(いわゆる「シネマチップス事件」について)

本と読書についてのエッセイである「活字のサーカス」(1987年)を始めとする「活字博物誌」(1998年)と「活字の海に寝ころんで」(2003年)と「活字たんけん隊」(2010年)の岩波新書から出ている椎名誠の「活字四部作」は、何を読んでもだいたい面白い。このシリーズを読んでいると、確かに「人にとっての人生の楽しみは『活字』の読書と『探検』の旅にある」と私には思えるほどだ。

椎名誠が執筆の書籍はだいたい面白いのだが、ただ椎名文学の難点として「椎名誠は内輪ノリ」というのが昔からあった。気の合う仲間たちと朝までグダグダとビールを飲んだとか、探検隊でカヌーに乘った、皆でキャンプをしたなど、椎名文学は万人に共感される普遍性を持ち得ず、椎名本人とその友人仲間と椎名個人の会社関係者と、彼らの内輪ノリを許容できる熱心な椎名誠ファンの読者に主に通用するような文学である。それ以外の人には面白くなく、時にワケが分からず置いていかれる。つまるところ「椎名誠は内輪ノリ」なのであった。

ところで椎名誠が一時期、仲間らと映画を何作も熱心に作っていた時期があり、そのうちのモンゴルを舞台にした椎名誠監督「白い馬」(1995年)をめぐって、いわゆる「シネマチップス事件」というのがあった。私は椎名誠の事務所スタッフでも、この案件に関係した在阪テレビ局の毎日放送のそのときの関係者でもない。ただ当時、このやり取りが公的メディアに出ていた表側の動きを一般人としてテレビ視聴していただけだから本当の詳しい事情は分からないし、「これが真実の全貌」とか思われても正直困るし、昔のことだから記憶違いも今では多いと思う。関西拠点の映画ライターかプロの記者のどなたかに、きっちり正式に取材して正確に事の詳細を掘り起こしてもらいたいとも思うけれど、当時に私が知り感じていた椎名誠「白い馬」をめぐる「シネマチップス事件」の概要を以下に書いてみたい。

以前に大阪の毎日放送(MBS)で毎週土曜の深夜3時頃に「シネマチップス」という映画情報番組をやっていた。3時は「おやつの時間」だから、確かシネマ「チップス」という番組名だったような気が(笑)。出演がMBSの水野晶子アナウンサーと三上智恵アナウンサーで毎回、封切り映画を紹介して見所や感想を述べる。そこで椎名誠が監督し椎名の会社「ホネ・フィルム」が制作した、出演者が全員モンゴル人でモンゴルにて全撮影の映画「白い馬」も番組で取り上げた。結構、言いたい放題で「あそこであれはないよね」的な話で水野と三上が盛り上がって「結局、椎名誠はモンゴルのことを何もわかっていない」といった映画評の結論だった。しかし、それは番組の「シネマチップス」的には椎名誠の「白い馬」に対してだけ特に厳しい評価だったわけではなく、毎回、紹介するどの映画に対しても割りと辛口な言いたい放題なのである。プロの有名映画評論家とか配給映画会社の宣伝部の社員みたいに忖度(そんたく)なしで、むしろ彼女らが、いつも言いたい放題の本音の感想を奔放(ほんぽう)自由に言いまくるので面白い映画情報番組になっていて、そこが「シネマチップス」は映画情報番組としてウケていたことも確かだった。

ところが、「シネマチップス」での椎名「白い馬」への番組内の辛口コメントを聞いた椎名誠の関係者が、毎日放送が椎名の「白い馬」の協賛か何かで制作に関わっていたこともあり、後日に毎日放送にクレームを入れる。そして、ここからは非公式なあくまでも当時の噂であるが、毎日放送が椎名側に内々に謝罪し、社長の命で水野と三上の両アナは椎名とホネ・フィルムへの謝罪文を泣く泣く書かされて、打ちきりみたいな不自然な形で突如「シネマチップス」は最終回を迎える。そのあと、すぐに同じ深夜の枠でMBS制作による男性アナ司会の「シネマの王様」という「王様」のくせに(笑)、あまり本音を語らない当たり障(さわ)りのない妙に気遣いのある無難な映画紹介番組が始まったのは言うまでもない。

その後、水野晶子アナウンサー(マギー・チャンに似た人)はMBSに在籍して「証券レーダー・北浜ホットライン」などの番組を担当していたが、もう一人の三上智恵アナウンサーはほどなくして毎日放送(MBS)を退社し、琉球朝日放送(QAB)に移籍した。三上智恵は近年では映像作家となり、ドキュメンタリーや映画も撮っている。当時の毎日放送社長の定例会見では「シネマチップスの番組終了は椎名誠の件と全く関係ありません」の旨を強調していたが、当の椎名誠の方は当時の週刊誌連載で「他ならぬ身内からいきなりコテンパンにヤられてしまったのである」とか書いていた。

1990年代のその時、私は京都に在住の大学生で京都は九条東寺の「みなみ会館」をホームの拠点にして、大阪や京都や神戸の単館シアターと名画座を中心に攻めてほぼ毎日、映画を観ていたのだけれど、もう関西の映画ファンが…ね、この「シネマチップス事件」に対し感情的になって特に一部のコアな映画ファンの心が大揺れに揺れる、揺れる(笑)。当時は京都のみなみ会館を始めとして、関西の単館映画館のロビーには「シネマチップスの番組復活を!」の嘆願署名記入のお願い用紙が置いてあった。

今にして思えば、椎名誠も彼のホネ・フィルムの関係者も深夜の映画情報番組でのコメント扱いに対して、いちいち毎日放送にクレーム(抗議)など入れるべきではなかったと私は思う。「シネマチップス」は土曜の深夜番組で、本番組の映画への紹介コメントや司会のアナウンサーらの感想を参考にして、翌日の日曜の休みに何の映画を観に行くか決める視聴者も確かにいたとは思うけれど、観客動員を減らして椎名誠「白い馬」の興行にダメージを与えるほどの、そこまでのどぎつい中傷批判の感想コメントでは実はなかった。何しろ「シネマチップス」に関しては、水野晶子と三上智恵の両アナの歯に衣着せぬ、忖度や手心なしの直球豪速球の辛口コメントが面白くて私なんか毎週、番組を観ていたから。「あー俺も知り合いと映画を観に行ったら、帰りにお茶したり食事をしながらシネマチップスの水野と三上の両アナのように皆で映画の感想を言いたい放題に話しまくるよなぁ」という親近感が、あの番組にはあった。

椎名誠「白い馬」紹介の回の「シネマチップス」を私は当時リアルタイムで視聴していたけれど、「白い馬」の映画そのものに対して「これは駄作」といったコメントでは全くなく、水野晶子も三上智恵も「椎名誠が監督の映画は、作っている椎名本人とその友人仲間と椎名個人の会社関係者と熱烈な椎名誠ファンだけが楽しくて、それ以外の人はワケが分からず置いていかれる。結局のところ、椎名誠は内輪ノリ」ということを直接的には言っていないけれど、それとなく遠回しに、しかし実に的確に言い当てているような所があった。

椎名誠も椎名の映画関係者も深夜テレビ番組の映画紹介コメントくらいで本来はそこまで怒るほどのことはないのに、実は椎名誠の書籍にも映画にも昔からあって暗に指摘されていた「椎名誠は内輪ノリ」の難点を鋭(するど)く、うまく言い当てて映画「白い馬」評のコメントに何となく漂わせていたので、椎名誠らがそれをこれまた何となく察知して異常に激怒の大爆発。「シネマチップス」の水野晶子と三上智恵は、「椎名誠は内輪ノリ」指摘の「地雷」を不用意に見事に踏んでしまったな、彼女らは運がなかったというような。1990年代の一連の「シネマチップス事件」について、当時より私はそのような感慨を抱いていた。