アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(506)大江健三郎「親密な手紙」

岩波新書の赤、大江健三郎「親密な手紙」(2023年)は岩波書店の月刊誌「図書」に2010年から2013年まで連載された、各人についての思い出を語る大江の文章を収録したものである。

「窮境を自分に乗り超えさせてくれる『親密な手紙』を、確かに書物にこそ見出して来たのだった。渡辺一夫、サイード、武満徹、オーデン、井上ひさしなどを思い出とともに語る魅力的な読書案内。自身の作品とともに日常の様々なできごとを描き、初めて大江作品に出会う人への誘いにもなっている。『図書』好評連載」(表紙カバー裏解説)

本書は、大江健三郎(1935─2023年)が70代半ばの時の執筆連載で大江の晩年に当たる著書である。大江健三郎は70代半ばを越えた2010年代以降は長編、中短編ともに新作小説の執筆発表なく、評論・エッセイの大きな仕事もあまりやらなくなっていた。2010年代に入り、以前に発表した小説に手直しし最終版の決定稿として集成の自選集を編(あ)んだり、自身のこれまでの作家生活を振り返るインタビューに答えるなどの仕事が主要なものになっていた。岩波の月刊誌「図書」に2010年から2013年まで連載の、今般の岩波新書「親密な手紙」を読むにつけ、「これは大江健三郎の絶筆に近いものだ。あーもう大江の新作は読めないのだな」とこみ上げてくる静かな感慨が私にはあった。「親密な手紙」は大江健三郎のほぼ「絶筆」に当たると言ってよい。

岩波新書「親密な手紙」は、印刷の文字ポイントが大きく余白も多くあり、もともと一冊の新書にするには字数が少なく、それでも200ページ弱の一冊の新書にして出したいために岩波新書編集部が工夫し相当に苦労して何とかまとめた感がある。大江健三郎が大学在学中に当時最年少で芥川賞を受賞し学生作家として文壇デビューした若い頃から以後、ほぼ途切れることなく壮年期まで精力的になした大江の書き仕事(小説と評論・エッセイともに)を追跡し、全作品を繰り返し何度も読んでいた私には、「いよいよ大江健三郎の大江文学も終わりの季節か」の完結した思いがあった。

大江健三郎は、いつの時代でもともかく連続性の完結性ある一貫したブレない作家であった。少なくとも一読者の私にはそういった好印象である。この人は、その時々の時代の同時代性を小説モチーフにたくみに取り込んできた。フランスの実存主義哲学の流行、安保闘争、社会党委員長襲撃刺殺の右翼青年のテロ、米ソ冷戦下での核兵器使用危機に関する「想像力」の問題、被爆地・ヒロシマや太平洋戦争時の沖縄戦のこと、日本の天皇制への批判と戦後民主主義の擁護、アジア・太平洋戦争における近隣アジア諸国の人々に対する日本人の戦争責任、第九条を焦点にした憲法改正議論、オウム真理教の問題に絡めた宗教的魂の問題、東日本大震災に伴う福島第一原発の放射能漏(も)れ過酷事故のことなど。

その一方で自身のことも絡めて、自分が生まれ育った四国の山の中の村のこと、はからずも大学在学中に作家デビューしてしまったため自分には作家以外の社会人経験がないという劣等感(コンプレックス)、知的障がいを持って生まれてきた息子のこと、ヤクザに襲撃され、後に突然に亡くなってしまった義兄、伊丹十三のこと、自身の老いのこと、大江が九歳の時に早くに亡くなった父親のことなど、「個人的な体験」を必ず創作の小説に盛り込む作家でもあった。

思えば大江健三郎という人は、自分のことを回避できない、常に自身のことを作品主題に盛り込む「私小説的」な文学者だった。「大江さんも、自身とは全く関係ない完全創作のフィクションや、自分のことは棚に上げて社会の巨悪・不正を告発する社会派小説でも書けばいいのに…。大江さんは真面目で律儀(りちぎ)な人だから自分のことを回避できず誤魔化さずに、いつも自身の『私』が小説に露出してしまうからなぁ」という昔からの大江健三郎ファンの愛読者としての私の思いである。それでこの人は自分自身に悶々(もんもん)と悩んで自然と若い頃から酒量が増えていってしまうのである。しかも好きな酒はアルコール度数が高い、必ずしも健康に良いとはいえないウィスキーを昔から痛飲しているのだった。

大江健三郎「親密な手紙」では、「一章・人間を慰めることこそ」での岳父(妻の父)で映画監督の伊丹万作からの引用、同様に「三章・伊丹十三の声」での義兄(妻の兄)、エッセイストであり映画監督であった伊丹十三についての「親密な手紙」の文章が特に印象に残る。やはり大江健三郎にとって、義兄の伊丹十三は自身に大きな影響を与えた偉大な人物だったのである。大江には、いつも兄的存在の人に慕(した)い憧れる弟気質な所があった。

死後の「伊丹十三(から大江へ)の声」といえば、大江健三郎の小説に「取り替え子(チェンジリング)」(2000年)というのがあった。本作は大江健三郎をモデルとした老作家が、伊丹十三をモデルにした投身自殺を図った映画監督の義兄とカセットテープの音声システムを介して、死後も交信を続ける話である。大江のほぼ「絶筆」に当たると言ってよい、岩波新書の大江健三郎「親密な手紙」を読了の後、本書に続けて大江「取り替え子(チェンジリング)」の小説を読み返したい強い思いに私は駆られていた。