アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(505)源了圓「徳川思想小史」

(今回の「岩波新書の書評」はタイトルとは異なり、中公新書の源了圓「徳川思想小史」について、例外的の載せます。念のため、源了圓「徳川思想小史」は岩波新書ではありません。岩波新書は日本で最初に創刊された新書で全般に優れた名作良著が多いが、後発の中央公論社から出ている中公新書も、岩波書店から出されている岩波新書と同様、本格派で重厚な良質教養の新書を出し続けている。特に中公新書は歴史系の書籍が他社新書よりも充実し優れている)

源了圓「徳川思想小史」(1973年)は昔から知っているが、これはさすがに名作の名著であると思う。本新書は必読である。私は本書に関し学生の20代の時に初読して以来、何度も読み返し日々携帯し出先に持って行ったりして、しかし汚したり紛失したりで何度か同じ本を買い直したりした。源了圓「徳川思想小史」は初版は中公新書から出ていたが(1973年)、後に中公文庫から増補で再発されている(2021年)。このことからも本書は売れ続け、広く長く読者に受け入れられ読まれているに違いない。ないしは中央公論社の出版社側も力を入れて再度、推(お)して広く世に出し問いたい渾身自信のバック・カタログであろうと思われる。

源了圓「徳川思想小史」を手に取り読み返すたびにつくづく実感するのは、適切内容で簡潔な長さの要領を得たよく出来た通史の素晴らしさである。著者の「徳川思想小史」を論ずる際の、その記述の運びに感心させられる。本書は全259ページで、その中に「徳川思想小史」として江戸初期から幕末にかけての主要な思想家と学派を網羅している。ここで本書の目次を挙げておくと、

「序・徳川時代の再検討、第一章・朱子学とその受容、第二章・陽明学とその受容、第三章・古学思想の形成とその展開、第四章・武士の道徳、第五章・町人と商業肯定の思想、第六章・十八世紀の開明思想、第七章・経世家の思想と民衆の思想、第八章・国学運動の人々、第九章・幕末志士の悲願、終章・幕末から明治へ」

わずか259ページの中に、江戸初期の林羅山から幕末の吉田松陰に至るまでの約250年分の徳川時代の思想史が概説されているのである。その際の著者による記述の良さというのは、自身か好みで肩入れしよく知っている思想家や学派には多くの紙面を割(さ)いて詳細に述べるが、他方で自身のあまり好みでなかったり、よく知らない思想家や学派に対し短い字数で事務的に済ますというような著者の主観的濃淡のある書き方ではなくて、どの思想家・学派に関しても同じ程度の量で均等になるよう最初から一定字数を決めて書き出している。そうした形式的な均等構成を遵守した上で、また各人・各学派への論述の中身に際しても、              

(1)その思想家や学派の出自と生涯のプロフィールと、当人の人柄が知れるエピソードの紹介。(2)中核思想のキイワードや主要概念の解説、それを通しての思想の全体像の概説。(3)同時代の東アジア思想(中国と朝鮮)との異同や、後の明治以降の日本の近代思想に徳川思想が与えた影響など歴史的意義についての考察。

の3点を必ず押さえ書き抜いている。こうした恣意的・気分的ムラのない、始めから書く分量と内容を決め、どの思想家にも必ず均一に連続して適用される所の、いっさいブレない概説の仕方の一貫した方針が本新書に対する良い読後感を醸成して読者に供するのだ。だから、源了圓「徳川思想小史」は昔から知っているが、これはさすがに名作の名著なのだと思う。

本書から学ぶべきは、学術的な概説書以外での日常にても人物や物事への評価一般、個別具体的な商談交渉でも、その都度、気分や雰囲気のブレで奔放(ほんぽう)自由に述べすに、押さえるべき論点や話の順序や適切な話の長さの間合いをあらかじめ決めてから、毎回連続し一貫した方法により適切かつ簡潔に話すことの肝要さだ。常にそうしたことを自身の中で意識化して心がける。自分勝手に毎回自由にのびのびと話してはいけない。そうすると話の内容が説得力を持ち良い印象で毎度、相手に間違いなく誠実に伝わる。そうした会話交渉を重ねていくと着実に相手と良い関係が築けて結果、自身にも大いにプラスになる。そういったことである。

さて源了圓「徳川思想小史」に関しては、著者の源了圓が幕末の儒者、横井小楠を集中的に読み、横井小楠研究の著作を多く残している人なので、本書「徳川思想小史」でも「第九章・幕末志士の悲願」の「5・横井小楠の儒教改革」を特に意識して読むとよい。この「横井小楠の儒教改革」の項には心なしか著者の力が込められ他の項よりも幾分、強く書かれているように読める。

2000年代以後の近年ではそうでもないが、それ以前の昔は徳川時代の江戸思想史は、明治以降の近代思想に至るまでの非合理な前近代的思想の封建制イデオロギーとして儒教を始めとする古学や国学や洋学全般は極めて否定的に理解されていた。だが源了圓はそうした否定的な近世思想史研究の風潮の中で、横井小楠を始めとした江戸時代の儒者の理気論や天道の観念の内に合理的な普遍的規範を見出し、それが明治以降の近代の自然科学や自然法(人権)思想に基づく立憲主義らの近代化の効果的摂取と定着につながったとして、江戸時代の思想を例外的に高く評価した数少ない論者であった。そういった旨の著作に源了圓「徳川合理思想の系譜」(1972年、「実学思想の系譜」として1986年に講談社学術文庫より復刊)というのもあった。源了圓「徳川思想小史」に加えて、源「徳川合理思想の系譜」も名作の名著として私は強く推す。