アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

哲学・思想・心理

岩波新書の書評(483)島田虔次「朱子学と陽明学」(儒教を考える その4)

岩波新書の青、島田虔次「朱子学と陽明学」(1967年)のタイトルになっている朱子学、陽明学のそれぞれの概要をまずは確認しておこう。 朱子学─宋の時代に朱熹(しゅき・朱子ともいう)によって大成された儒教で「新儒教」とされ、特に彼の名をとって「朱子…

岩波新書の書評(482)加地伸行「儒教とは何か」(儒教を考える その3)

(今回は、中公新書の加地伸行「儒教とは何か」についての文章を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、加地伸行「儒教とは何か」は岩波新書ではありません。) 今日、儒教とは何かを知りたい人には、そのままのタイトルである中公新…

岩波新書の書評(481)井波律子「論語入門」(儒教を考える その2)

儒教は、古代中国の孔子(前551頃─479年)を祖として、その孔子の教えを継承し発展させた思想・学派の総称である。孔子は、春秋戦国時代末期の魯(ろ)の曲阜(きょくふ・山東省)の人で周の政治を理想とし、魯の国政改革に参加したが失敗して諸国を巡歴した…

岩波新書の書評(480)武内義雄「儒教の精神」(儒教を考える その1)

1938年に創刊され、その初期配本として戦前に刊行された旧赤版の岩波新書の中で、すでに80年近く経た今日の2020年代以降でもいまだ増刷され続け、多くの読者に広く長く読まれている新書がある。例えば、旧赤版の斎藤茂吉「万葉秀歌」上下(1938年)や、同じ…

岩波新書の書評(474)田中美知太郎「古典への案内」

他社の新興新書と比べ、日本で最初の新書形態をとった古参の岩波新書に古代ギリシアの哲学や文学や美術の、いわゆる「古典」に関する新書が多いのは、昔は一般に「古典」と言えば主に古代ギリシア時代のそれであり、「プラトン全集」や「アリストテレス全集…

岩波新書の書評(472)桜井哲夫「〈自己責任〉とは何か」

(今回は、講談社現代新書の桜井哲夫「〈自己責任〉とは何か」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、桜井哲夫「〈自己責任〉とは何か」は岩波新書ではありません。) 先日、講談社現代新書の桜井哲夫「〈自己責任〉…

岩波新書の書評(467)千葉雅也「現代思想入門」

(今回は、講談社現代新書の千葉雅也「現代思想入門」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、千葉雅也「現代思想入門」は岩波新書ではありません。) 昨今、人気で売れているという講談社現代新書の千葉雅也「現代思…

岩波新書の書評(461)青野太潮「パウロ」

岩波新書の赤、青野太潮「パウロ」(2016年)は、初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人であったパウロに関する新書である。パウロその人については、 「パウロ(紀元前後─60年頃)。最も重要な使徒とされる人物。パリサイ派に属し、キリスト教…

岩波新書の書評(452)柳父章「翻訳語成立事情」

外国や他地域から異文化の制度、技術、宗教、学問らを輸入摂取する際に、もともと自国の文化にそれに対応した言葉がないために新しく新語を造語したり、これまでにあった自国の言葉に別の意味・用法を加えて改変する必要が生じる、いわゆる「翻訳問題」とい…

岩波新書の書評(448)多木浩二「戦争論」

今にして思えば、岩波新書の多木浩二「天皇の肖像」(1988年)は、さすがに名著であった。 視覚上位の近代の時代において「見る・見られる」の人的関係に「支配・被支配」の権力支配の構造を見切って、しかもその視覚にまつわる権力現象を、近代日本の天皇制…

岩波新書の書評(446)田中克彦「ことばと国家」

岩波新書の黄、田中克彦「ことばと国家」(1981年)は、歴代の岩波新書の中での名著としてよく推薦され、学生が読むべき必須の課題図書に定番で指定されるような昔から有名な書籍である。本書の概要は以下だ。「だれしも母を選ぶことができないように、生ま…

岩波新書の書評(445)梅本克己「唯物史観と現代」

ある人の生涯最後の上梓や絶筆は、それがどのようなものであっても無心に読まれるべきものがある。その書物には著者の生の存在の全てが、最期に渾身(こんしん)の力の重みをもって賭けられているような気がするからだ。岩波新書の青、梅本克己「唯物史観と…

岩波新書の書評(443)徳永恂「現代思想の断層」

私は一時期、大学進学後も遊びで大学入試問題を解いていたことがあった。そのとき、国立の大阪大学の二次試験問題の日本史や英語は年度によっては東京大学や京都大学のそれらよりもレベルの高い良問・難問で、「ここまでの大学入試問題を作成できるとは、大…

岩波新書の書評(432)田中美知太郎「ソクラテス」

前から私は、岩波新書の田中美知太郎「ソクラテス」(1957年)、同岩波新書の斎藤忍随「プラトン」(1972年)、同岩波新書の山本光雄「アリストテレス」(1977年)の三冊を自室の書棚に並べ折に触れて眺めたり、各新書を日々読み返しては悦(えつ)に入り満…

岩波新書の書評(429)今井むつみ「英語独習法」

岩波新書の赤、今井むつみ「英語独習法」(2020年)だけを読むと気付かないかもしれないが、本新書は今井の旧著、同じ岩波新書の「ことばと思考」(2010年)と「学びとは何か」(2016年)の続編となっている。すなわち、「ことばと思考」と「学びとは何か」…

岩波新書の書評(425)鈴木大拙「禅と日本文化」

岩波新書の赤、鈴木大拙「禅と日本文化」(1940年)は戦中発行の旧赤版の岩波新書で、同時代の斎藤茂吉「万葉秀歌」上下巻(1938年)と共に戦前の岩波新書の中で当時は相当に売れて広く読まれたらしい。鈴木大拙「禅と日本文化」と斎藤茂吉「万葉秀歌」は、…

岩波新書の書評(424)南博「日本的自我」

ある民族や国民について、その人々の集団の最大公約数的な共通性格や一般傾向を指摘して論ずる「××人論」という評論分野が昔からある。例えば「歴史があるイギリスの英国人は礼儀正しく、伝統を重んじて保守的である」とか、「ドイツの人はゲルマン民族の森…

岩波新書の書評(421)マイケル・ローゼン「尊厳」

岩波新書の赤、マイケル・ローゼン「尊厳」(2021年)の表紙カバー裏解説は次のようになっている。「 『尊厳』は⼈権⾔説の中⼼にある哲学的な難問だ。概念分析の導⼊として⻄洋古典の歴史に分け⼊り、カント哲学やカトリック思想などの規範的な考察の中に、…

岩波新書の書評(416)石井公成「東アジア仏教史」

紀元前四世紀から五世紀頃、インドにてガウタマ=シッダルタ(ブッダ、仏陀)が開いた仏教は、後にアショーカ王の保護を受けて発展し、アジアの各地に広がったが、前一世紀から二世紀にかけて中国・朝鮮・日本に伝わった、いわゆる「北伝仏教」は、ガウタマ…

岩波新書の書評(407)三浦俊彦「ラッセルのパラドクス」

岩波新書の赤、三浦俊彦「ラッセルのパラドクス」(2005年)のタイトルになっている「ラッセルのパラドクス」とは、素朴集合論において矛盾を導くパラドックスであり、「自分自身を含まない集合全体を考えると矛盾が生じる」というものだ。これは、ラッセル…

岩波新書の書評(398)山鳥重「『わかる』とはどういうことか」

(今回は、ちくま新書、山鳥重「『わかる』とはどういうことか」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、山鳥重「『わかる』とはどういうことか」は岩波新書ではありません。)物事を「分かる」とはどういうことなの…

岩波新書の書評(389)マルクス・ガブリエル「新実存主義」

近年、メディアで取り上げられる事が多い気鋭の若手の人気哲学者のマルクス・ガブリエルである。氏は1980年生まれであり、岩波新書「新実存主義」(2020年)を執筆時にはまだ30代と若い。マルクス・ガブリエルはテレビや雑誌らマスメディアへの露出が多い。…

岩波新書の書評(383)渡辺照宏「死後の世界」

私達は死の問題について無関心ではいられない。しかし、私達は死に関したはっきりしたことを何も知らない。「死後の世界は存在するのか、そもそも存在しないのか!?」こういう形で問題を提起しても、死後の世界の存在を誰も肯定することも否定することも容易…

岩波新書の書評(379)藤沢令夫「プラトンの哲学」

古代ギリシアの哲学者のプラトンについて、岩波新書では「プラトン三部作」というべきものがあった。斎藤忍随「プラトン」(1972年)と、藤沢令夫「プラトンの哲学」(1998年)と、納富信留「プラトンとの哲学・対話篇をよむ」(2015年)である。一つの新書…

岩波新書の書評(362)田中美知太郎「哲学初歩」

(今回は、岩波全書の田中美知太郎「哲学初歩」についての書評を「岩波新書の書評」ブログではあるが、例外的に載せます。念のため、田中「哲学初歩」は岩波全書であり、岩波新書ではありません。)政治学や法律学や経済学や教育学らとは異なり、哲学にだけ…

岩波新書の書評(356)河合隼雄「子どもの宇宙」

岩波新書の黄、河合隼雄「子どもの宇宙」(1987年)は昔からよく知られた新書だ。本書は「ひとりひとりの子どもの内面に広大な宇宙が存在することを、大人はつい忘れがちである」という趣旨で、子どもには大人や社会から矯正(きょうせい)してしつけられた…

岩波新書の書評(348)藤原保信「自由主義の再検討」

岩波新書の赤、藤原保信「自由主義の再検討」(1993年)は、「自由主義」を資本主義の経済と議会制民主主義の政治とひとまず規定し、それらに功利主義哲学の道徳も加えた上で、タイトル通りその「自由主義」を「再検討」しようとするものである。「資本主義…

岩波新書の書評(344)山之内靖「マックス・ヴェーバー入門」

2020年は、社会科学者であるマックス・ヴェーバー(1864─1920年)の没後百年の節目に当たり、ヴェーバー関連の書籍が多く刊行されている。マックス・ヴェーバーの何よりの学問的業績は「近代」の定義にある。西洋の「近代」を他から区別する根本原理は「合理…

岩波新書の書評(342)末木文美士「日本思想史」

岩波新書の赤、末木文美士(すえき・ふみひこ)「日本思想史」(2020年)は、新書のわずか250ページ余で古代から近現代までの文字通りの「日本思想史」を一気に概観しようとする新書だ。このように限られた紙数の中で全時代の主要項目(主な思想家や思想や学…

岩波新書の書評(340)室伏広治「ゾーンの入り方」

(今回は岩波新書ではない、室伏広治「ゾーンの入り方」に関する文章を例外的に「岩波新書の書評」ブログに載せます。念のため、室伏広治「ゾーンの入り方」は岩波新書ではありません)私は前からスポーツ選手がよく口にする「ゾーン体験」というものに興味…