哲学・思想・心理
2020年は、社会科学者であるマックス・ヴェーバー(1864─1920年)の没後百年の節目に当たり、ヴェーバー関連の書籍が多く刊行されている。 マックス・ヴェーバーの何よりの学問的業績は「近代」の定義にある。西洋の「近代」を他から区別する根本原理は「合…
(今回は、ちくま新書の中野敏男「ヴェーバー入門」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、中野敏男「ヴェーバー入門」は岩波新書ではありません。) 2020年は社会科学者であるマックス・ヴェーバー(1864─1920年)…
2020年は社会科学者であるマックス・ヴェーバー(1864─1920年)の没後百年の節目に当たり、ヴェーバー関連の書籍が数多く刊行された。今回の「岩波新書の書評」で取り上げる新赤版の今野元「マックス・ヴェーバー」(2020年)も、そのうちの一冊である。 「…
(今回は、中公新書の川喜田二郎「発想法」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、川喜田二郎「発想法」は岩波新書ではありません。) 川喜田二郎「発想法」(1967年)は、昔からよく読まれている書籍で有名である。…
(今回の「岩波新書の書評」はタイトルとは異なり、中公新書の源了圓「徳川思想小史」について、例外的の載せます。念のため、源了圓「徳川思想小史」は岩波新書ではありません。岩波新書は日本で最初に創刊された新書で全般に優れた名作良著が多いが、後発…
岩波新書の黄、池上嘉彦「記号論への招待」(1984年)は、まずそのタイトルが私には昔から強く印象に残る。「記号論への招待」で、「招待」である。「記号論入門」とか「記号論概説」ではないのだ。記号論の初歩を初学者にも分かりやすく伝える「入門」や、…
(今回は、講談社現代新書、坂本賢三「『分ける』こと『わかる』こと」 についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、坂本賢三「『分ける』こと『わかる』こと」は岩波新書ではありません。) 私が高校生の時の1980年代の…
2022年より岩波書店から新訳の新たな「スピノザ全集」全六巻が順次刊行・配本されている。岩波新書の赤、國分功一郎「スピノザ・読む人の肖像」(2022年)は、その新版の「スピノザ全集」刊行に合わせた今般、全集を購読して全巻読もうとする人に向けた「ス…
岩波全書の南博「行動理論史」(1976年)のタイトルになっている「行動理論」に関する基本の考え方はこうだ。 まず人間個人を特定の環境・時代状況下にあるブラックボックス(函数)と捉える。彼はブラックボックスであるので、特定の環境や時代状況下にて外…
私が大学進学する前、まだ10代だった頃、日本近代文学を専攻して本格的に学んでいる人が、自分の学生時代には「近代とは何か、西洋の個人主義を本当の意味で理解するには、何よりもキリスト教を学び知っていなければならない」と指導教授に言われ、大学院生…
1938年に創刊の「岩波新書」は全て新作の書き下ろしで、時代社会の状況や世相に対応した話題の分野のトピックも含め、学術専門的な事柄でも初学の初心者にも分かりやすいよう「入門」の体裁で出されるものも多く、時代と共に歩んで一般読者に向け新書形態の…
岩波新書の青、島田虔次「朱子学と陽明学」(1967年)のタイトルになっている朱子学、陽明学のそれぞれの概要をまずは確認しておこう。 朱子学─宋の時代に朱熹(しゅき・朱子ともいう)によって大成された儒教で「新儒教」とされ、特に彼の名をとって「朱子…
(今回は、中公新書の加地伸行「儒教とは何か」についての文章を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、加地伸行「儒教とは何か」は岩波新書ではありません。) 今日、儒教とは何かを知りたい人には、そのままのタイトルである中公新…
儒教は、古代中国の孔子(前551頃─479年)を祖として、その孔子の教えを継承し発展させた思想・学派の総称である。孔子は、春秋戦国時代末期の魯(ろ)の曲阜(きょくふ・山東省)の人で周の政治を理想とし、魯の国政改革に参加したが失敗して諸国を巡歴した…
1938年に創刊され、その初期配本として戦前に刊行された旧赤版の岩波新書の中で、すでに80年近く経た今日の2020年代以降でもいまだ増刷され続け、多くの読者に広く長く読まれている新書がある。例えば、旧赤版の斎藤茂吉「万葉秀歌」上下(1938年)や、同じ…
他社の新興新書と比べ、日本で最初の新書形態をとった古参の岩波新書に古代ギリシアの哲学や文学や美術の、いわゆる「古典」に関する新書が多いのは、昔は一般に「古典」と言えば主に古代ギリシア時代のそれであり、「プラトン全集」や「アリストテレス全集…
(今回は、講談社現代新書の桜井哲夫「〈自己責任〉とは何か」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、桜井哲夫「〈自己責任〉とは何か」は岩波新書ではありません。) 先日、講談社現代新書の桜井哲夫「〈自己責任〉…
(今回は、講談社現代新書の千葉雅也「現代思想入門」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、千葉雅也「現代思想入門」は岩波新書ではありません。) 昨今、人気で売れているという講談社現代新書の千葉雅也「現代思…
岩波新書の赤、青野太潮「パウロ」(2016年)は、初期キリスト教の使徒であり、新約聖書の著者の一人であったパウロに関する新書である。パウロその人については、 「パウロ(紀元前後─60年頃)。最も重要な使徒とされる人物。パリサイ派に属し、キリスト教…
外国や他地域から異文化の制度、技術、宗教、学問らを輸入摂取する際に、もともと自国の文化にそれに対応した言葉がないために新しく新語を造語したり、これまでにあった自国の言葉に別の意味・用法を加えて改変する必要が生じる、いわゆる「翻訳問題」とい…
岩波新書の黄、田中克彦「ことばと国家」(1981年)は、歴代の岩波新書の中での名著としてよく推薦され、学生が読むべき必須の課題図書に定番で指定されるような昔から有名な書籍である。本書の概要は以下だ。「だれしも母を選ぶことができないように、生ま…
ある人の生涯最後の上梓や絶筆は、それがどのようなものであっても無心に読まれるべきものがある。その書物には著者の生の存在の全てが、最期に渾身(こんしん)の力の重みをもって賭けられているような気がするからだ。岩波新書の青、梅本克己「唯物史観と…
私は一時期、大学進学後も遊びで大学入試問題を解いていたことがあった。そのとき、国立の大阪大学の二次試験問題の日本史や英語は年度によっては東京大学や京都大学のそれらよりもレベルの高い良問・難問で、「ここまでの大学入試問題を作成できるとは、大…
前から私は、岩波新書の田中美知太郎「ソクラテス」(1957年)、同岩波新書の斎藤忍随「プラトン」(1972年)、同岩波新書の山本光雄「アリストテレス」(1977年)の三冊を自室の書棚に並べ折に触れて眺めたり、各新書を日々読み返しては悦(えつ)に入り満…
岩波新書の赤、今井むつみ「英語独習法」(2020年)だけを読むと気付かないかもしれないが、本新書は今井の旧著、同じ岩波新書の「ことばと思考」(2010年)と「学びとは何か」(2016年)の続編となっている。すなわち、「ことばと思考」と「学びとは何か」…
岩波新書の赤、鈴木大拙「禅と日本文化」(1940年)は戦中発行の旧赤版の岩波新書で、同時代の斎藤茂吉「万葉秀歌」上下巻(1938年)と共に戦前の岩波新書の中で当時は相当に売れて広く読まれたらしい。鈴木大拙「禅と日本文化」と斎藤茂吉「万葉秀歌」は、…
ある民族や国民について、その人々の集団の最大公約数的な共通性格や一般傾向を指摘して論ずる「××人論」という評論分野が昔からある。例えば「歴史があるイギリスの英国人は礼儀正しく、伝統を重んじて保守的である」とか、「ドイツの人はゲルマン民族の森…
岩波新書の赤、マイケル・ローゼン「尊厳」(2021年)の表紙カバー裏解説は次のようになっている。「 『尊厳』は⼈権⾔説の中⼼にある哲学的な難問だ。概念分析の導⼊として⻄洋古典の歴史に分け⼊り、カント哲学やカトリック思想などの規範的な考察の中に、…
紀元前四世紀から五世紀頃、インドにてガウタマ=シッダルタ(ブッダ、仏陀)が開いた仏教は、後にアショーカ王の保護を受けて発展し、アジアの各地に広がったが、前一世紀から二世紀にかけて中国・朝鮮・日本に伝わった、いわゆる「北伝仏教」は、ガウタマ…
岩波新書の赤、三浦俊彦「ラッセルのパラドクス」(2005年)のタイトルになっている「ラッセルのパラドクス」とは、素朴集合論において矛盾を導くパラドックスであり、「自分自身を含まない集合全体を考えると矛盾が生じる」というものだ。これは、ラッセル…