アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(489)南博「行動理論史」(岩波全書を読む5)

岩波全書の南博「行動理論史」(1976年)のタイトルになっている「行動理論」に関する基本の考え方はこうだ。

まず人間個人を特定の環境・時代状況下にあるブラックボックス(函数)と捉える。彼はブラックボックスであるので、特定の環境や時代状況下にて外部の物事や他者から何らかの刺激の「入力」があると、それに反応して個人の中のボックス内部の回路を経て、自身の内から必ず何らかの判断行動の「出力」があるわけである。その人間個人を函数のブラックボックスに見立てた際に、個人の内部にある恒常的な、ほぼ毎回忠実に原則処理される判断行動基準の内的回路のあり様を見定める理論的考察が「行動理論」であるといってよい。

ある人間主体は、特定の環境や時代状況下にて物事・他者に対応して必ず毎回、それなりの判断行動を起こす。その際の外部からの入力刺激と後の人間主体よりの外部への反応出力たる「行動」とを媒介する個人内部の判断行動基準には様々な次元の相があり、それらは複雑に並立し絡(から)み合って複雑処理の結果、一括統合した出力行動を最後に外に出す。外部よりある刺激が入力で入ってきても、必ずしも単一の単純原則のみで処理され判断行動の出力として、そのまま外に出るわけではない。

そういった複雑に並立し、絡み合っている個人の内部にある判断行動基準の内部回路には、感性具体的から概念抽象的なものまで実に様々ある。個人が意識しない生物学的な無自覚・無意識的な反応行動から、当人の生まれながらの性格資質によるもの。さらに後天的な心理的抑圧や精神的外傷(トラウマ)に由来するもの。それから個人の中で自覚的で学習的な宗教、政治信条に裏打ちされた行動。またその人が現に生きている地域環境や時代状況や経済社会状況に即した合理的行動。さらには当人が所属して生きる共同体に共有され、暗に各人に強いられている慣習・道徳や伝統や常識ら、ある時代環境にいる人々に共通なもの。その他、進化論を起点にしての人間一般に関する生物学的行動の理論や哲学的な人間把握よりの示唆・影響など。それら各要素が複雑に絡み合い、やがて各人の行動になって現れるわけである。

以上のような、人間個人を函数のブラックボックスに見立てた際に、個人の内部にある恒常的な、ほぼ毎回忠実に原則処理される判断行動基準の内部回路のあり様を、心理学を中心に哲学や宗教学や生物行動学、共同体の倫理の社会学ら隣接科学の見解成果も総動員して総合的に見定める理論的考察こそが「行動理論」に他ならない。

思えば、このような内実を有する探求理論学たる「行動理論」とは極めて「近代的な」、まさに近代の発想から来る近代の学問の典型であるといえる。なぜなら「行動理論」における人間を行動する主体として単一で押さえる、つまりは複数の「類」「種」の集合体ではなく、また人的相互の関係性でもなくて、どこまでも人間一般を独立した実体の単一的個人の「個」で捉えて、しかもその単一個人は「必ず何らかの行動を起こす」行為の主体と見なす大前提があって、そこから全ての「行動理論」の考察はなされているからだ。近代思想は、人間一般を社会の中での個別結合可能な原子(アトム)的個人として捉え、個人の権利や所有、そして静態的であるよりは各種の「行動」に象徴されて、活動する動的人間をどこまでも合理的に尊重する思考に支えられていた。

また、かの「行動理論」は人間主体の行動規則への考察を通して、ただ漠然と「人間とは何か」を静的に探求する定義的学問ではない。むしろ「行動理論」を通じての不適切な行動抑止や好ましい人間行動の促進、さらには個人の集団組織における適切行動へと誘導・馴致する操作性を含む社会科学理論でもあった。

「行動理論」の学問は、人間も含めた生物一般が、外部環境への相関にて自身をやがて適応させ行動形成して行くという進化論を柱にした19世紀近代の生物学(ダーウィン)にその端緒を持ち、個人の行動倫理に功利の哲学を絡めたイギリス経験論(ベンサム、ミル)と、人間の判断行動基準の根底に無意識下の機制があることを発見した精神分析の心理学(フロイト、ユング)を経て、それが19世紀後半にはアメリカの実用主義(プラグマティズム)の哲学に橋渡しされた。その上で20世紀初頭のアメリカの古典的行動主義(ワトソン)から、後に新行動主義(トールマン、ハル)へ。その後、行動理論の研究は、アメリカら資本主義社会の発展にての企業組織下での個人の適切な労働者管理に寄与する組織行動学、同様にソビエトら社会主義国における集団指導体制下での個人の組織行動編成の政策科学の理論として、極めて実利的にやがては使われることになる。この意味で、まさに「行動理論」は不適切な行動抑止や好ましい人間行動の促進、さらには個人の集団組織における適切行動へと誘導・馴致する操作性を含む社会科学理論であったのだ。

さて岩波全書の南博「行動理論史」には、以上のような「行動理論」に関する概要をあらかじめ押さえて、本書に当たると良い。南博「行動理論史」は、タイトル通りの「行動理論」の研究についての学説「史」の概論である。本論を読むと、近代の心理学、イギリス経験論からアメリカの行動主義の人間行動学などの、また心理学を土台に哲学や社会学ら様々な隣接学問の見解と成果を以て、人間に関する「行動理論」が形成され確立していく歴史過程が、そしてアメリカ、ヨーロッパ、ソビエトの「行動理論」科学の独自の三つの発展形態までがよく分かる。

著者の南博は社会心理学専攻の研究者で、心理学的アプローチから日本人の精神構造や行動傾向らの、いわゆる「日本人論」の著作を多く著した人である。南博の著書には「日本人の心理」(1953年)、「日本的自我」(1983年)、「日本人論」(1994年)らがある。本書「行動理論史」にあるような歴史的に確立形成された行動理論科学の分析手法や基本概念が、それら南の日本人論にて周到に鮮(あざ)やかに用いられている。

「『行い』『行動』などを人間存在の基底をなす条件として捉え、学問対象として扱う行動理論。この行動理論が、人間と社会に関する諸科学のなかでどのように形成され発展してきたのかを解明した学術的な入門書」(表紙カバー裏解説)