アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(488)杉本栄一「近代経済学史」(岩波全書を読む4)

私は、一応は大学進学はしたけれど経済学部出身ではないし、大学で本格的に経済学を学んだ経験もない。しかし、なぜか杉本栄一「近代経済学史」(1953年)と内田義彦「経済学史講義」(1961年)が過去に自己流で読み散らかした経済学の書籍の中で特に自分の好みというか、この二著には「何となくウマが合う」の相性の良さのようなものが昔からあって、今でも頻繁に読み返すのだった。

経済学に全般に私は暗く、それでも自分を律して話題の経済関係の書籍や絶対に外せない古典の経済学書も一応は努力して日々それなりに読み重ねてはいるけれど、杉本栄一と内田義彦の経済史の各著は、なぜか比較的苦もなく楽に読める。これには経済学史概説の理論史家としての彼らの力量および書籍での考察記述の優れたあり様以外にも、書物を介して感受できる杉本栄一と内田義彦の、言外のものも含めての人柄の人となりに私が惹(ひ)かれていることもあると思う。

今回は「岩波全書を読む」のタイトルにて、杉本栄一の岩波全書「近代経済学史」に関する文章である(内田義彦「経済学史講義」に関してはまた後日、別の機会に)。杉本栄一「近代経済学史」の概要はこうだ。

「想いなかばで急逝した著者の遺作。近代経済学の諸学派がどのように生成・発展・消滅したかを解明し、それぞれの経済理論の論理的意義と価値を判定して、現代経済学の発展への展望を与える名著」(表紙カバー裏解説)

また著者の杉本栄一(1901─52年)については、

「1925年、東京商科大学卒業。1929年から1932年までヨーロッパ留学。1939年より東京商大教授。近代経済学とマルクス経済学の双方に精通し、両者の研鑽(けんさん)を唱えた」

杉本栄一という人はマルクス経済学の専攻で、東京商科大学(後の一橋大学)出身の経済学者である。マルクス経済学専攻のため周囲から天皇制や日本の国体を否定する「共産主義者」の危険人物と見なされ、戦前には研究者として大学にそのまま残れず、一時は苦労したらしい。大学卒業後、同様にマルクス経済学者で、後に治安維持法で検挙され東京商科大学を追放となった大塚金之助(1892─1977年)が所長を務める東京社会科学研究所の研究員となり、大塚の弟子である、後に戦後の一橋大学の社会学部新設に尽力した「一橋社会学派」の高島善哉らと同世代で交友した。

そうして敗戦を迎えて、国家による監視検閲の弾圧もなくなり、思想・学問の自由が保障された戦後の民主化の時代、いよいよマルクスも含めた経済学研究が国家の規制なく自由にできる時代になって、敗戦から間もない時期の1952年に杉本栄一は亡くなってしまう。享年51。

戦時に苦労したマルクス経済学者たる杉本にとって、これからという時に悔やまれる早すぎる死である。岩波全書「近代経済学史」は、杉本の没後に友人たちと関係者らの尽力により出版された。本書を執筆して校正終了の脱稿間際に杉本は病に倒れ、急逝した。ゆえに岩波全書「近代経済学史」は杉本栄一の絶筆となった。

ここで杉本「近代経済学史」の巻頭に付された、杉本の友人で実質的な後見人でもあった大塚金之助による「まえがき」を、少し長くなるが以下に引こう。友人仲間の内で年長の大塚金之助から若き友、杉本栄一へ向けての追悼と供養の意を添えた心の込もった文章である。自身の事にも引きつけて、マルクス経済学をやったため戦前から戦時にかけ、国家による検閲・弾圧を受けて学究生活を不当に妨害され、不遇な「境遇」を共に味わい苦労した大塚金之助による「著者は、あまりめぐまれない境遇のなかにありつつ、そのつきつめた研究意欲と、純真な人格と、うるわしい友情と、忠実なねばり強さにもとづいて…」の部分の文章の重みを感じ取って頂きたい。

「この書物は、杉本栄一君の未完成の絶筆である。
普通の場合には、著者自身が、その著書にまえがきを書き、そのなかで、著者みずから、著書の基底にあるもの、問題への著者のアプローチの仕方、著者の意図するところ、著者の構想、著者がその研究の過程において何かを負うている人々への感謝の言葉その他を述べることになっている。
しかし、この書物の場合は、まれな例外である。著者は、校正刷をまえにしながら、突然発病して急死したため、誰かほかの者がまえがきを書かなければならなくなった。友人たちの意向にしたがって、私がそのまえがきを書くことになったのは、私の教師生活における最もふかいかなしみの一つである。
著者は、あまりめぐまれない境遇のなかにありつつ、そのつきつめた研究意欲と、純真な人格と、うるわしい友情と、忠実なねばり強さにもとづいて、語学力を強化し、研究の視野を拡大・深化し、その取材をup・to・dateとし、戦後日本の学会の革新のためには行動をもって尽力し、また経済学および経済学史をとおして、二十世紀半ばの世界についての認識を深めるのに寄与した。今、突然にこの著者を失ったことは、いろいろな意味で、この国の経済学界の大きな損失である」

杉本栄一「近代経済学史」は序章を冒頭に置き、本論は全四章よりなる。各章にてアダム・スミス、リカード、マルサス(古典派経済学)から、メンガー(オーストリア学派・限界効用理論)とワルラス(ローザンヌ学派・一般均衡理論)とシュムペーター(一般均衡論の動態分析)、それからケインズ(ケンブリッジ学派・ケインズ学派)、そしてマルクス(マルクス学派)までを時系列で概説する内容となっている。

やはり本書での最大の読み所は、著者の杉本が専門としているマルクス経済学の章、最終章に当たる「第四章・マルクス理論の展開」であろう。敗戦直後の時代で、やっとマルクス経済学が自由に学べる環境にあって、当時は戦前よりの反共国策の煽(あお)りを受けてほとんど全くといってよい程にマルクスを学ぶ機会を人々は持てず、マルクス主義を知らなかった多くの同時代の一般読者に、本書でのマルクス経済学に関する概説記述は、それなりの衝撃(インパクト)を与えたであろうことは予測できる。

杉本栄一のその他の著作として、「近代経済学の解明」上下(1950年。後に岩波文庫・1981年に収録)もある。岩波全書「近代経済学史」が「マルクスまで」であったのに対し、杉本「近代経済学の解明」ではマルクス経済学以後の計量経済学にまで触れられている。