アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(503)伊東光晴「ケインズ」

近代の主流派経済学といえば古典派経済学であり、古典派経済学とは「労働価値説」(人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論)を理論的基調とする経済学の総称である。「古典派経済学以外に新古典派経済学の区分も必要ではないか」「例えばケインズは古典派経済学者といえるのか!?」など、古典派経済学の定義や代表的な古典派経済学者については各人異論もあるであろうが、労働価値説を基調とする古典派経済学といえば、

「スミス、マルサス、リカード、ケインズ、マルクス」

の5人の経済学者にひとまずは、まとめることができようか。

アダム・スミスは古典経済学の創始であり、倫理学に裏打ちさせる形で(「道徳感情論」1759年)、人間主体にとっての労働の生産力、資本の利潤、市場の形成ら近代経済学における基礎的概念を整理した(「国富論」1776年)。続くマルサスとリカードは、それら個々の独立した概念の有機的つながりを明らかにし、また現実の各国貿易経済への経済政策にまで落とし込んで、統計学的な「人口論」(1798年)モデルでの商品の供給・需要の全体的仕組みや、保護貿易ではない自由貿易の利点(自由貿易がもたらす利潤蓄積の増大、国富の増進)を明らかにした。

その後、ケインズは不況・失業といったさらなる現実の経済問題に対応すべく、近代国家の統一政府による、より作為的な減税・公共投資らの経済政策を案出し、完全雇用に基づく経済普及の救済策たる「マクロ経済学」(数理理論的なミクロな市場モデル分析ではなくて、個別の経済活動を集計し現実の一国経済全体に着目した経済学)の理論と実践とを提唱した。そうして最後にマルクスは、ケインズに先がけて早くも古典経済学における各人労働の、資本家と労働者との間での搾取の欺瞞(価値領有法則の転回)、また資本主義社会で広範に認めうる人間疎外の現状(資本主義体制下の包括的支配)を指摘し、古典経済学への全面批判である「経済学批判」(1859年)を展開した。このマルクスを以て近代の古典経済学は一周回り、一つのサイクルを経たということが出来る。

以下では、古典経済学の代表的な5人の経済学者のうちのケインズについて述べてみたい。

「ジョン・メイナード・ケインズ(1883─1946年)はイギリスの経済学者。国家の経済への介入を肯定的に捉える修正資本主義を唱え、経済学に大きな変革をもたらした。国家が積極的に介入・統制を行って景気の立て直しをはかるべきとするケインズの経済学は、それまでの資本主義では国家の介入を排除する自由放任(「なすに任せよ」)が基本と考えられていたことから、『修正』という言葉を冠して 『修正資本主義 』とされる。ケインズの修正資本主義は金融政策(利子率の切り下げ)と財政政策(政府による社会資本への投資)とを柱とし、第二次世界大戦開戦前夜のアメリカにて、フランクリン・ローズベルト大統領により『ニューディール政策』(「新規まき返し」の意味)という恐慌克服策として採用され実施された。全国産業復興法(1933年)やテネシー川流域開発公社の設立(1933年)らが、ルーズベルト大統領下でのケインズ主義的な修正資本主義のニューディール政策に該当する」

ケインズといえば、第二次世界大戦開戦前夜のアメリカでニューディール政策の恐慌克服策にケインズ経済学の理論政策が採用されたことから、アメリカの経済学者と勘違いされる向きも多いが、ケインズはケンブリッジ大学出身のいわゆる「ケンブリッジ学派」のイギリスの経済学者であった。ケインズ以前の経済学においては「セイの法則」が素朴に信じられていたが、ケインズはそれに「有効需要の原理」を対置した。有効需要の原理は従来経済学のセイ法則と相対するもので、「供給量が需要量(投資および消費)によって制約される」というものである。有効需要とは総需要と同義であり、消費・投資・政府支出および純輸出の和で定義される。そもそもセイの法則は「供給はそれ自らの需要を生み出す」と要約される理論で、どのような供給規模であっても価格は柔軟に変動するなら必ず需要は一致しすべてが受容される(販路法則)という考え方に立つ。セイの法則の背後にあるのは、経済は突き詰めれば全ては物々交換であり、貨幣はその仲介のために仮の穴埋めをしているに過ぎないという考えである。しかしながら、ケインズは経済全体の有効需要の大きさが国民所得や雇用量など、一国の経済活動の水準をマクロ的に決定するとし、セイの法則には所得のうち消費されなかった残りに当たる貯蓄の一部が投資されない可能性を指摘して、セイの法則を批判した。

これは有効需要によって決まる現実のGDP(国内総生産)は従来経済学が唯一可能とした完全雇用における均衡GDPを下回って均衡する不完全雇用を伴う均衡の可能性を認めたものである。つまりは、有効需要の原理を受け入れると消費性向と投資量が与えられ、そこから国民所得と雇用量がマクロ的に決定されることになり、そこでは完全雇用均衡は極限的なケースに過ぎなくなる。よって有効需要の政策的なコントロールによって完全雇用GDPを達成し、「豊富の中の貧困」という逆説を克服することを目的とした総需要管理政策(ケインズ政策)が発案されることとなる。このことを以て、従来経済学を転回させた画期で「ケインズ革命」といわれている。

セイの法則、有効需要の原理、完全雇用GDPなど何やら細かな難しい話になっているが(笑)、経済学の専門家ではない一般の私達は便宜にとりあえず以下のように大雑把に理解しておいて構わない。すなわち、ケインズは以前の経済学が理論モデルで実際の経済動向を原理的に押さえる際の不備を指摘しながら、現実経済に見合っていない、十分に経済の実態を言い当てていない分析理論不足の従来経済学への批判から、さらに一歩前へ進めて現実の景気循環への対応手段として、金融政策たる減税や財政政策たる公共投資を内実とする国家による公共政策理論を打ち立てた。この点でケインズ提唱の経済学は、まさに「ケインズ革命」と呼ばれる画期であった。従来の経済学では市場システムの自然の成り行き調和に任せること(自由放任主義=「なすに任せよ」)が基本の考え方だったのであり、時の政府が人為でできることといえば、自由放任の自由主義か、関税操作の保護貿易主義の立場を取るかの二択しかなかったのである。そこに国家が積極的に経済介入を行って景気の立て直しを含む市場コントロールをはかるべきとするケインズの登場があり、それまでの資本主義では国家の介入を排除する自由放任が基本と考えられていたことから、「修正」という言葉を冠してケインズ経済学は 「修正資本主義 」の新しい経済学とされる所以(ゆえん)である。

ここで「ケインズの新しい経済学は、今までの経済学の予定調和観の誤りを経済分析の武器を通して指摘し、国家の政策なくしては失業問題の解決も不景気の克服も不可能であることを論証した」の旨でケインズの修正資本主義にての「自由放任主義批判」解説の箇所を、岩波新書の伊東光晴「ケインズ」(1962年)から引こう。

「ケインズの叡智主義は一方では修正資本主義的な階級観を生みだしたと同時に、他方では自由放任主義に対する批判となってあらわれた。自由競争を理想とする考えは、百年以上も前からイギリスでは経済学の正統となっていた。と同時に一九世紀のなかば以来、それはダーウインの進化論の影響も受けて、放っておくならば競争による自然淘汰によって社会は進歩するという考えを色こくしていた。かつて古典派経済学が求めていたものがそれであったし、貧しい村を見ても、自由放任が最上だから、何もできないという人たちの集まりがそれであった。ケインズがこれらを批判したとき、それはこのようなダーウイン主義と結び合わさってしまった自由主義の姿を批判したのであった。知性主義者ケインズには、問題があるのに何もしないことは耐えられないことであった。…一九二六年、かれは『自由放任の終焉』を書いた。…そしてかれは、経済的悪─不安定、危険、富の不平等、失業などをとり除くために、中央銀行や政府が努力すること、海外投資を国内投資に切りかえるために、社会全体の貯蓄・投資を規制すること、さらにはどの程度の人口が妥当であるかによって人口をコントロールすることが必要であると述べている。…こうして人間の叡智による社会の運営というケインズの考えは、…政府による経済のコントロールはついでたんに貨幣制度という金融面での規制から、進んで公共投資・租税政策によるものへと拡大していったのである」(「自由放任主義批判」)

哲学者のヘーゲルの古典的な近代哲学にいまだ心酔している人達のことを蔑称の意で時に「ヘーゲリアン」と呼ぶことがあるが、同様に経済学者のケインズに傾倒しケインズ経済学を信奉している人を悪い意味で「ケインジアン」と呼称することもある。先に引用の岩波新書「ケインズ」の著者の伊東光晴にても、「ケインズの叡智主義」「知性主義者ケインズ」らの語りからそれとなく察せられるように、本新書で伊東はケインズを非常に高く評価し概ね好意的に書いている。だが、「かつての古典経済学は社会的ダーウイン主義とも結びついて自由放任を最上とし、その結果としての経済的悪─不安定、危険、富の不平等、失業らの蔓延と放置への義憤の怒りから、貨幣制度という金融面での規制や公共投資・租税政策といった政府による経済のコントロールの修正資本主義の理論提唱と実行着手にケインズは至った」とする趣旨の解説は、著者の伊東光晴の過剰なケインズへの思い入れと賞賛評価が主で、「やはり伊東もケインジアンなのか…」の少し残念な思いが私はする。

確かにケインズが活動した時代、第二次世界大戦開戦前夜の経済学界では、新たに概念創出したり、理論的モデルを打ち立てて現実の経済の実態を過不足なく事後的に説明できるような静的な観察と分析に基づく経済学であるよりは、現実経済への有効な働きかけをなす動態的で対処法的な政策経済学が切に求められていた。何となれば第二次大戦前夜の世界では大恐慌という時代の深刻問題があり、人々は不況と失業の経済的窮乏に苦しめられていたのである。そうした時代の局面にて、金融政策と財政政策を柱とする国家による公共政策理論を打ち出したケインズ経済学の「ケインズ革命」と賞されるような時代的な画期は、なるほど認めうる。しかしながら、市場の自由放任主義批判で不況や失業らの経済問題を解決しようと修正資本主義的な国家による経済コントロールの作為を理論構築したケインズにおいて、それは「叡智あふれる知性主義者ケインズ」からする「経済的悪─不安定、危険、富の不平等、失業などをとり除くため」の善意の努力の表れという観点からのみ肯定賞賛の論調で単純に述べることは、慎(つつし)まなければならないだろう。ケインズ存命の時代には、近代国家の体制下にて統一的な市場の形成や公的金融制度の確立、それに積極介入して統制しうる一元的で強権的な国家(政府)が既に成立してあったのだ。経済学者・ケインズの個人的な美徳の動機以外での、そういった市場経済コントロールを可能にさせた客観的な外的条件の数々を精密に押さえておくことも必要だ(そもそも、それら客観的な外的条件がそろっていなければ、ケインズは自身の経済学理論を着想したり、実践提唱できたりはしない)。

事実、市場を自由放任に委ねることなく、国家による積極的な経済への介入・統制を肯定的に捉えるケインズ経済学は、不況や失業の改善で人々の貧困格差を是正し救出する、時の政府による人道的な福祉国家政策を呼び込んだが、他方で政府が一国経済に積極介入して完全統制することでの強権的な独裁体制成立の温床にもなり得た。ケインズ存命時の同時代のドイツ、ならびにソ連それぞれにおける、ヒトラーのナチス・ドイツの国家社会主義政策たる統制経済、スターリンのソビエトの共産主義体制下での一党独裁による計画経済は、いずれもケインズ経済学に通ずる国による市場経済への介入・統制の手法に支えられていた。

「隷属への道」(1944年)として国家社会主義も共産主義も「統制経済」や「計画経済」の名で国が市場経済に積極介入することで経済的自由のみならず、やがては様々な分野の自由が制限されることになる、この意味でファシズム(ナチズム)とマルクス主義(スターリニズム)を同一視し、双方を全体主義として徹底批判した古典的自由主義の経済学者であるハイエクは、同世代のケインズと論争し、ケインズ経済学に対し終始否定的であった。ある程度の経済的自由を犠牲にして国家の市場経済への介入を主張する修正資本主義たるケインズの経済理論に、ファシズムやスターリニズムに通ずる全体主義的統制の罠を、自由主義者であるハイエクは確かに見ていたのだ。

その他、金融政策と財政政策を柱とする国家による公共政策理論を打ち出したケインズ経済学においては、「公共事業投資」という名目での政府要人と公的事業を手掛ける業界企業との癒着・汚職の構造的問題や、金融政策と財政政策による長期かつ過度な財政出動に伴う公的財務の逼迫・窮乏の財政不健全化の問題も指摘できる。