アメジローの岩波新書の書評(集成)

アメリカン・ショートヘアのアメジローです。岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(357)大江志乃夫「徴兵制」

日本近現代史専攻の歴史学者であり、なかでも軍事史に優れた業績を残した大江志乃夫(1928─2009年)と私は同郷で、大江志乃夫本人や大江の親族と何ら交流あるわけではないが、「同郷の人間」の一読者として私は昔から勝手に大江その人に親密を抱き、大江志乃夫の著作を愛読してきた。

大江志乃夫と同様、同郷で私の出身高校の卒業生に、小説家であり評論家でもあった林房雄(1903─75年)がいる。高校の図書室に「林房雄双書」のコーナーがあった。高校卒業後、私は林房雄「大東亜戦争肯定論」(1964年)を改めて読んで、そのデタラメさに非常に驚いた。いつか機会があれば林房雄「大東亜戦争肯定論」の書評を書いてみたいが、林の「大東亜戦争肯定論」は、現代風の俗な言葉で言えば「炎上芸」(社会一般で常識的で妥当な事柄に、あえて異議を唱え過激に批判・否定することで皆の耳目を自分に集めたり、その注目を通して売文し安易に金稼ぎすること)の元祖の走りのような書籍である。林房雄が自分の同郷であり、林が同じ高校の先輩であることを密(ひそ)かに苦々しく恥ずかしく私は思っていた。

そうした同郷で母校の先輩である林房雄への恥ずかしい思いもあり、林とのコントラスト(対照)から余計に同様に同郷であった大江志乃夫に愛着の情を勝手に一方的に持ち、一時期、私は大江に傾倒していたのだった。そういったわけで今回から4回連続で私が愛読する大江志乃夫の著作に関連づけて、「徴兵令」と「戒厳令」と「統帥権」と「御前会議」の順番で近代日本の軍事法制史の主要項目について書いてみる。

大江志乃夫の著作には「岩波新書三部作」とも呼ばれるべきものがある。岩波新書の「戒厳令」(1978年)と「徴兵制」(1981年)と「靖国神社」(1984年)である。これら岩波新書の3タイトルを見るだけで明瞭であるが、大江志乃夫という人は軍事史専門であるけれど、「この人は軍事史研究を手がけるに当たり政治というものをよく分かっている。相当にデキる人だ」の感慨を私は昔から持つ。つまりは、軍事史といえば軍内部の派閥抗争や粛清人事、各戦局の個々の戦闘場面にての軍事作戦の計画や遂行の妥当の是非を細かに論じる、ともすれば「軍事マニア」や「ミリタリー・オタク」的な異常に微細で、つまらない実証蘊蓄(うんちく)な好事家趣味の研究になりそうなところを大江志乃夫は、どの著作研究でも上手い具合に回避している。そうして「政治の本質が支配者による被支配者への関係論的働きかけであること」を(おそらくは)見切って、特に日本近現代史の軍事史にて、時の政府や軍部による国民一般の戦時動員や超法規的な権利制限や検閲規制であるところの「軍事の本質」を押さえ、悉(ことごと)く国家と国民との間の軍事支配の関係にテーマを定めている。ここで先の大江志乃夫の「岩波新書三部作」の表題を改めて確認してもらいたい。「戒厳令」は、時の政府や軍部による「緊急事態」を名目にした国民一般への権利の制限の超法規的強行であり検閲その他規制の強化であって、「徴兵制」と「靖国神社」は、時の政府や軍部による国民一般の直接的な強制兵役制度、ないしは国民大衆の戦時動員を効果的に実現させるための宗教施設を絡めたイデオロギー的策術である。

さて、以下では大江の「岩波新書三部作」のうち「徴兵制」について、本新書のスムーズな理解の補助となるよう「徴兵制」に関する基本的な事柄や今日的問題をいくつか挙げて、岩波新書の大江志乃夫「徴兵制」を読むための導入としたい。

徴兵制とは、兵役制度の一種であって、「国家は国民こぞって国家防衛にあたるべきもの」との主義に基づき、国民に兵役に服する義務を負わしめる強制兵役制度のことをいう。この制度において国家は、徴兵検査によって所望の性能を持つ兵員を所要数だけ選択徴募し、兵員訓練の主眼を精兵主義におき、平時編制部隊において、一定の期間教育を施したのち、漸次新陳交代させ、戦時または事変に際し、これらを召集して戦時編制を完成する。

徴兵制の利点は、法制的には国民皆兵主義として合理的であり、財政的には傭兵(金品給付を伴う職業軍人)とは異なり、自国への自発的献身名目の従軍にて比較的少額の経費で足りることである。ただし日本近代の徴兵にて特に顕著であるが、表向きは「国民皆兵」であっても、裏では皇族・華族や政治家や資本家や地方名望家ら子弟の徴兵解除のあからさまな特権的手心は確実にあり、必ずしも公正平等で合理的な「国民皆兵」であるとは言い難い。こうした実情は諸外国にても少なからず同様だ。その反面、徴兵制の欠点は、徴兵対象となり入隊拘束される個々の国民(とその家族)の経済的困窮のみならず、徴兵により労働力を失う国民経済上その負担損失は大である。また軍隊として、志願兵制度に比べ兵士の士気や戦闘技術の習熟において大いに劣る所がある。さらに国家的に見れば、徴兵制は軍部が抱く軍国主義思想を国民一般に普及させるための政治手段として利用されやすく、全体主義的な軍国主義の温床起点になりやすい弊害もある。

徴兵制の眼目は国家による国民への強制兵役制度の「強制」にあるのであって、この「国による強制」という点が何より問題となる。言うまでもなく、徴兵忌避に対する厳しい罰則を伴う強い法的拘束力を持つ国による徴兵は「国家による市民への著しい権利の侵害」となりうる。召集による兵役訓練教育ならびに戦闘実務の名の元での個人の長期身柄拘束と自由の制限と人格の毀損(きそん)、また平時でなく戦時の戦闘地域への動員ともなれば、個人の生命や健康の安全は顕著に脅かされることとなる。

徴兵制や国民の自国への戦争協力を是とする議論にて、「市民の権利を享受するだけでなく、同様に国民としての義務も果たすべき」とか、「自分の国は自国の国民で防衛して当たり前」の強い主張がよくなされる。

前者については、「権利を主張するなら権利の主張だけでなく、それ以前に義務を果たせ」的な、個々の人間に無条件に保障されるべき権利と、所属構成員が共同体や国家へ果たすべき義務とがあたかも等価であり相補的で、権利と義務だけの二元的構成になっている立論の素朴さを、まずは疑ってかかるべきだろう。こうした「権利を主張するなら、それ以前に義務を果たせ!」の短絡議論に簡単に騙(だま)されてはいけない。もともと人間の普遍的な権利と共同体への献身義務とを比べたら、その項目数や内容の実質は政治権力たる国家の侵害抑圧から守られるべき個人の権利(思想・良心の自由、集会・結社・言論活動の自由、不当な逮捕拘束からの自由など)の方が、国家への義務(納税・勤労の義務ら)よりも圧倒的に多くて重い。原理的に言って、市民の権利と国家への義務は決して等価でなく、両者は対等な相補的関係にならない。かつ「権利と義務だけの相補的二元構成」など現実にはありえず、そこには「当然果たすべき国家に対する国民の公的義務」の名目にて、実質的には政治権力にとっての国益確保や特権支配層にのみ利するような利益奉仕への私的誘導たる、時の政治指導者による「徴兵」という「公的」な国民大衆の擬制の動員の契機も当然に入るのだから、「権利の主張以前に国民の当然の義務としての徴兵制」の議論には相当な注意が必要だ。

また後者について、「自分の国は自国の国民で防衛して当たり前」の徴兵制施行の主張は、かつての日本近代史でそうであったように、また日本国の今日的状況にても同様であるが、国家による国民の徴兵動員が必ずしも自国防衛のための大義ある戦闘に供するものとは限らない。むしろ日本近代の歴史を概観すれば、以前の徴兵制の強制的な国民皆兵は、大義ある「自国の防衛」とは程遠い、非合理な他国への侵略戦争や帝国主義下での国策戦争に国民一般は駆り出され強制動員させられたのだし、現代にて徴兵制が復活した場合も、国民大衆は「専守防衛」の自衛戦争であるよりは、他国への報復戦争や、軍事同盟国との戦争協力にて海外紛争地域の前線や後方支援に動員させられる可能性の方が遥かに大きい。ここでも、前述した「『当然果たすべき国家に対する国民の公的義務』の名目にて、実質的には政治権力にとっての国益確保や特権支配層にのみ利するような利益奉仕への私的誘導たる」欺瞞(ぎまん)の、徴兵制にまつわる陥穽(かんせい)はあるのであって、こうした点からも「自分の国は自国の国民で防衛して当たり前」云々の、徴兵制の復活推進の強い主張には注意と熟考を要する。

最後に現代日本における徴兵制復活の見通しについて考えてみたい。今日、左派リベラルや反戦平和論者から、戦前日本への回帰の危惧として「徴兵制復活の懸念」が語られると、右派や保守論者や国家主義者は「今日のようなハイテク装備を有し高度な専門知識と技術を要する現代の軍隊にて、戦前のように国民皆兵の徴兵制を復活させて一般国民に軍隊教育を施しても実戦では全く使い物のならない」旨の反論で否定され、徴兵制復活の可能性は一笑に付されることが多い。しかし、私は左派リベラルや反戦平和論者らによる「徴兵制復活の懸念」は、あながち杞憂(きゆう)ではなく近い将来、現実にありえることだと思う。

すなわち、「国民皆兵主義の徴兵制で召集された兵士は現代の軍隊にて実戦では全く使い物にならない」としても、「国を守る気概」を国民に持たせるための有効な「ショック療法」手段としての徴兵制の魅力(?)の旨(うま)みは国家権力や時の政権担当者に、まだあるのではないか。この点については岩波新書の黄、大江志乃夫「徴兵制」でも1980年代の時点で著者の大江は次のように書いて、軍事的根拠以外での「徴兵制復活への危惧」を露(あらわ)にしている。

「国土防衛戦を想定しての徴兵制の導入という考え方もまったく成立しないわけではない。…国土防衛戦をたたかうための最大のよりどころは、国民の不屈の抵抗意志である。最近、『国を守る気概』を国民に持たせようというたぐいの発言が政財界などに聞かれる。徴兵制論議も、軍事的根拠にもとづく発言というよりもむしろ、国民精神に対する一種のショック療法的な意味で主張されている政治的発言という性格が強い」(「精神的意義としての徴兵制」)

岩波新書の書評(356)河合隼雄「子どもの宇宙」

岩波新書の黄、河合隼雄「子どもの宇宙」(1987年)は、昔からよく知られた新書だ。本書は「ひとりひとりの子どもの内面に広大な宇宙が存在することを、大人はつい忘れがちである」という趣旨で、子どもには大人や社会から矯正(きょうせい)してしつけられたり、指導され教えられることがなくても、子ども自身が生まれながらに先天的に世界や社会や他者や自分のことをよく知っており、大人がそうした子どもの日頃の何気ない予想外の言動に大いに驚き、逆に学ばされるという内容である。しつけや教育必要論で万能論の器(うつわ)の小さい両親や学校教師や育児・教育評論家の思い上がった一部の大人は、本書を読んで一度はガツンとやられるといったところか。

臨床精神医の河合隼雄がいうように、子どもの内面は広大無限な一つの「宇宙」であって、当然に子どもからの応答反応や思考回路や発想法に関し、観察眼の鋭さや普遍的な正義の正論や現実相対化の笑いのユーモアら、大人が予測できない、時に度肝を抜かれるような素晴らしいものが多々あるのである。子どもは「導者」であり、「トリックスター」(神話や昔話で活躍する、いたずら者で変幻自在で破壊と建設の両面をなす者)でもある。この意味で大人よりする子どもへのしつけや教育は誠に残酷なことに無効化され、時に完全否定される。大人が子どもに対し、「しつけ」や「教育」と称して何でも教えるのがよいことはないのである。むしろ大人が無駄に子どもに指導し教えることで子どもをスポイルする(駄目にしてしまう)ことは、よくある。

本新書を読むにつけ、河合隼雄は「子どもの宇宙」という内面に関する臨床心理学の現場実例のネタのストックを多く持っているものだと私は感心する。本書は「子どもと××」の各章よりなる。章タイトル後半の「××」には、例えば「秘密」や「動物」や「時空」や「死」らの各テーマが入る。河合は本書にて「子どもの遊戯療法の例を少し紹介したが、これは、心理療法などというと、人を『分析』したり、『深くさぐりを入れ』たりすることだなどと思っている人がいるので、そのような誤解をとくためもあって述べたのである。治療はあくまでも子どもの宇宙への畏敬の念を基礎として行われる」と書いている。この人は「畏敬の念」をもって接するべき「子どもの宇宙」の世界と力学とをよく分かっている。

岩波新書の黄、河合隼雄「子どもの宇宙」は、冒頭の河合による「はじめに」が何よりも簡潔で無駄がなく本質的で、間違いのない名文であると昔から思う。最後に「はじめに」の書き出しを載せておく。

「この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する『教育』や『指導』や『善意』という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。私はふと、大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。それでは、あまりにもつまらないのではなかろうか」(「子どものなかの宇宙」)

岩波新書の書評(355)福間良明「『勤労青年』の教養文化史」

岩波新書の赤、福間良明「『勤労青年』の教養文化史」(2020年)は、家計困難など諸々の家庭の事情で大学・全日制高校進学を断念して就職した戦後の日本の「勤労青年」たちが、働きながらも夜間の定時制高校や通信教育で積極的に学ぼうとする日本の戦後社会の一断面を歴史的に捉えたものである。しかも、その際に「勤労青年」たちの就学目的は、自身にとっての立身出世や実利のための高卒学歴の資格取得や職業上の専門知識・資格取得といった専門教育ではなくて、「できるだけ教養を高める」という「教養文化」が就学の主な目的なのであった。ゆえに本新書は「『勤労青年』の教養文化史」のタイトルなのである。

「かつて多くの若者たちが『知的なもの』への憧れを抱いた。大学はおろか高校にも進めなかった勤労青年たちが『読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない』と考えていた。そんな価値観が、なぜ広く共有されえたのか。いつ、なぜ消失したのか。地域差やメディアも視野に入れ、複雑な力学を解明する」(表紙カバー裏解説)

本書によれば「勤労青年」である定時制高校生を対象にした1960年に実施の調査にて、「学習内容に対する生徒の希望」の項目で高卒学歴の取得や職業的な実利教育よりも、「仕事のことを離れてもよいから、一般教養(教科を含む)を高めるようなもの」と回答した者が他の回答のそれを上回って多くを占めていた。このことから「彼らのなかでは、…少なくとも学歴取得や職業的な実利とは一線を画する『教養』を求める心性が、そこには透けて見える」という。

本書にてテーマとされる「『勤労青年』の教養文化史」における「教養」ないしは「教養主義」とは、著者によれば「読書を通じた人格陶冶(とうや)」の規範を指す。より具体的にいって「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」という価値意識のもと、「読書や内省、社会批判を主題とし」て「実利を超越した読書・教養」の獲得と涵養(かんよう)である。それは人格陶冶や真実の模索やそれに基づく社会批判という教養主義の内容からして、当然に自身にとっての実利や自分の階級上昇のみを目ざす、今日でいうところの自己啓発的な学問や立身出世主義の実利的なそれとは確実に異なる。むしろ、それら自己啓発や立身出世主義に批判的で厳しい対立をなす、実利を超越した教養文化への当時の若者の知的渇望なのであった。

岩波新書「『勤労青年』の教養文化史」では、戦後日本における主に若者たちによって担(にな)われてきた教養文化主義の「そんな価値観が、なぜ広く共有されえたのか。いつ、なぜ消失したのか」を歴史的に社会学の実証観点から考察している。その際の本書での戦後日本社会の「教養文化史」への接近の道筋は以下の3つよりなる。すなわち「第1章・敗戦と農村の教養共同体」の地域社会と、「第2章・上京と『知的なもの』への憧憬」の都市部と、「第3章・人生雑誌の成立と変容」という雑誌メディアを介しての各人においての学習である。

私が本書を読んだ上でのだいたいの理解はこうだ。「勤労青年」に限らず、大衆教養主義というものが成立するためには、少なくとも次の二つの要素が必要である。それは「人間にとって教養が大切であり、ぜひとも教養を身につけなければいけない」と多くの人に強く思わせて教養研鑽(けんさん)に人々を駆り立る、その時代や社会に共有されてある精神的雰囲気(エートス)と、実際に教養を供するための物質的条件(組織・システムのハードと情報媒体のソフト)である。

前者の人々を内的に教養鍛練(たんれん)へと駆り立てる精神的雰囲気(エートス)については、「知や教養への渇望」である「たとえ学歴はなくとも、人として文化や社会科学に触れなければならない」という意識の大枠の考えがまずあって、そうした教養習得の動機の内実をより詳細に見れば、本書での考察対象である「勤労青年」に関する限り、「上級学校への進学がかなわなかった自分たちは、知識の有無や学歴により生ずる格差や貧困の不条理には屈しない」とする、(1)同年代の高校・大学進学者へ向けての対抗のライバル心があり、さらには(2)「人間にとって本当の知的さとは何か」を追求する、計量的な知識・能力によって人間を階層的に秩序づけ格差に甘んずることや貧困を下層の者に余儀なくさせている現代社会そのものを自分たち「勤労青年」の処遇の問題に引き付けて理解し、現代社会を相対化し批判して、各人が教養共同体の連帯にて乗り越えるような教養主義の二つの立場があった。そうして「第1章・敗戦と農村の教養共同体」の地方では、総じて貧しく各人に貧困格差がなく、また農村に地域の共同体主義的なものが戦前より残り機能していたため、各地域社会の教養主義は(2)の社会批判の連帯に基づく大衆教養主義が主であった。だが「第2章・上京と『知的なもの』への憧憬」の都市部、さらには「第3章・人生雑誌の成立と変容」へと個人での雑誌メディアの購読と自主学習にて、目に見えたあからさまな貧困と格差が縮小され不可視化されると、(2)の社会批判の連帯に基づく大衆教養主義が衰退し、(1)の他者への対抗のライバル心から自分にとっての実利の追求にのみ終始する個人主義的な「成り上がり」の立身出世主義に取って代わられ教養は実利の観点から魅力のない無効なものとされ結果、1960年代には「『勤労青年』の教養文化」は衰退し消失していく。

同様に後者の教養を供するための物質的条件(組織・システムのハードと情報媒体のソフト)についても、「第1章・敗戦と農村の教養共同体」の地方には、農村青年団(青年団が主催の読書会や夜学会ら)という各地域ごとの人的組織のハードと、人文科学の知を主とする必読書籍(「哲学概論」「文学概論」「芸術と生活」など)の共有・貸し借りのソフトがあった。続く「第2章・上京と『知的なもの』への憧憬」でも、地域の農村青年団の教養共同体に代わって、特に地方の青年の多くで都市圏に集団就職した「勤労青年」たちの教養鍛練の受け皿として機能した定時制高校(そのほとんどが昼間は働く若者のための夜間制であった)のハードがあり、夜間学校は教員による対面教授と教科カリキュラムと教科書教材というソフト提供も兼ね備えていた。しかし、戦後社会が移行して日本がさらに豊かになるにつれ、家庭内の経済事情から上級学校への進学を断念して働く「勤労青年」の数が減り、ほとんどの若者が全日制の高校への進学を果たし、また大学進学率も劇的に上昇すると、教養を提供するかつての地域の農村青年団や都市部での定時制高校のハードは次第に機能しなくなっていく。そこで前よりの「第3章・人生雑誌の成立と変容」における教養提供のソフトの面で人生雑誌(「人生手帖」や「葦(あし)」)が一部の「勤労青年」らに継続して読まれていた。だが、1960年代にはそうしたソフトも衰退し、やがて「『勤労青年』の教養文化」は消失してしまう。

本新書が特に優れているのは、「格差と教養」というフレーズが本文に頻繁に出てくることからも明白なように、近代日本において教養主義がともすれば裕福で生活に余裕がある有閑階級のステータスな高踏学問と目され、従来の日本型「教養」が有する没社会性や非実践性への批判をあらかじめ見越して、教養主義の問題にて「勤労青年」という10代の若い働く世代での「読書や勉学を通じての人格陶冶」という教養研鑽にあえて考察視角を定め、若い比較的貧困な階層の家庭の若者が格差の下層にて、だからこそ自己陶冶や社会改革のために主体的に教養を学ぶ姿を描き出していることだ。

人は若い頃に時間をかけて「読書や勉学を通じて真実を模索し、人格を磨かなければならない」という価値意識のもと、「読書や内省、社会批判を主題とし」て「実利を超越した読書・教養」を涵養できれば、間違いなく一生当人にとっての欠けがえのない人生の財産の宝になる。人は若い時に苦労を惜しんで勉学に励む最良に越したことはない。しかし、とかく若い人は青春時代の勉学の教養の苦労よりも、目先の娯楽の安楽に安易に流れてしまいがちである。昼間に働く時間的にも経済的にも余裕がない「勤労青年」ならなおさらだ(本新書にあるように、必ずしも大部分の「勤労青年」が真面目に教養を学んでいたわけではない、不良化や脱落する若者も当時は多くいた)。そして、ある年齢を経て大人になってから人格陶冶で学び直そうとしても、もう自分の基本の物の考え方や知的世界が固まり確立されていて、また若い頃のようにやる気も根気も持続できず、教養修練にはすでに遅いということも実はある。岩波新書「『勤労青年』の教養文化史」というような、若い10代の「勤労青年」に焦点を定めた「教養文化史」という著者によるテーマ設定は私には絶妙に思える。

また現在では、教養主義は反知性主義の対抗(カウンター)として語られることが多い。ここで今日、社会現象となり問題とされている「反知性主義」を取り急ぎ定義すれば、(1)時間の収縮化(今だけの瞬間、刹那の享受)、(2)事柄の断片化(文脈や歴史や他者の不在、無視。すなわち(1)と(2)を通しての人間や物事全般に関する時間的・場所的理解がインスタントで薄っぺらいこと)、(3)他者への不寛容と攻撃性(自分が他者より優越したり、相手を論破したり言いくるめたりすることへの異常な執着。そのために自身の知識がフルに稼働される)。こうした今日の反知性主義へのカウンターとして本来あるべき教養、「教養とは何か」についても、同様に取り急ぎ簡略に定義するとすれば以下のようになろうか。

「教養とは、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識や常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す」

岩波新書の赤、福間良明「『勤労青年』の教養文化史」は、そうした今日の薄っぺらい反知性主義に対抗しうる本物の教養主義の再建・復興のヒントを与えてくれているように読める。つまりは「教養文化」を成り立たせるためには、(1)人々を内的に教養鍛練へと駆り立てる精神的雰囲気(エートス)と、(2)教養を供するための物質的条件(組織・システムのハードと情報媒体のソフト)の2つの条件を整備して満たせばよいことに一応、原理的にはなる。それぞれに各人による様々な問題解決アプローチが考えられるが、(1)については特に今の10代や20代の若い人に対し、即効性ある手早く楽に金銭利益がもたらされたり、すぐに成果や満足が実感できる目先の損得勘定にこだわる実利的な学問ではなくて、「人間にとって教養が大切であり、ぜひとも教養を身につけなければいけない。読書や勉学を通じて真実を模索し、私は苦労と修練を日々重ね長い時間をかけて自分の人格を磨いていかなければならない。と同時に自分のことだけでなく、現在貧困や格差に抑圧され疲弊して苦しんでいる人々のことも考え、それを彼らの自己責任として安易に処理せずに、私は社会の共通善の増進に努めなければいけない」とするような知や教養への渇望と、それに基づく実践を各人の心の中に強く思わせる相互了解の社会的な精神的雰囲気(エートス)の醸成をいかにしてなすべきか。それが一つの大きな今日的課題といえる。

(2)に関しては、ハードとソフトの両面を同時に大量提供できるがゆえに「教養文化」形成の面で、公的な学校教育の役割は昔から絶大であり、今日、特に高等教育機関の大学にて資格取得のメリットや就職率の高さの実利を謳(うた)い看板にするのではなくて、特に人文科学の知(哲学や文学や歴史や宗教や芸術ら)の教養研鑽に傾注する本来あるべき最高学府としての大学の再建が緊急であり最重要であるように思う。また現代のインターネット環境の整備やソーシャルメディアの普及を受けて、個人が学んだ教養科目についてブログや掲示板らに上げて皆で認識・議論を共有したり質疑討論したりする、かつての農村青年団での読書会や夜学会のような、私的であるが半ば公的なネット上でのハード作りの方策も有効であるように思う。

このブログ全体のための最初のノート

今回から新しく始める「アメジローの岩波新書の書評」(※これまでに書き溜めてきた書評記事の厳選集成であり、以前に別の場所でやっていたブログをそのまま移動しているため全く同じ文章があります。しかし、それは赤の他人の第三者によるコピーとか盗作・剽窃(ひょうせつ)ではありません。当ブログを書いているのは前のブログ主と同一人物です)

本ブログ「岩波新書の書評」は全7カテゴリーよりなります。「政治・法律」「経済・社会」「哲学・思想・心理」「世界史・日本史」「文学・芸術」「記録・随筆」「理・医・科学」です。

お探しの記事やお目当ての新書・著者は、本ブログ内の検索にて入力でサーチをかけて頂くと出てきます。

最後に。大江健三郎による1960年代の最初の全エッセイ集「厳粛な綱渡り」(1965年)初版の単行本は二段組で全500ページほど。大江の1960年代の思想と文学と行動と生活がこの一冊にびっしり細かに丁寧に書き込まれている。評論・書評・ルポルタージュ、講演・インタビュー、広告文・コラム、日記・雑記…内容は多彩である。「何でもあり」なバラエティブックの様相である。書籍自体も辞書のようで非常に厚くて重い。私は本書を日々携帯し繰り返しよく読んでいたのだが、本書の書き出しは「この本全体のための最初のノート」であった。全六部を経ての巻末は、もちろん「この本全体のための最後のノート」である。大江健三郎「厳粛な綱渡り」全エッセイ集は私にとって昔から非常に感じのよい、もはや手離すことの出来ない極上書籍で愛読の内の一冊だ。大江健三郎には全くもって及ばないが、私も「このブログ全体のための最後のノート」記事をいつの日か書くだろうか。岩波新書に愛を込めて。(2021・4・1)

いちばんはじめの書評をめぐるコラム

私は若い頃から「図書新聞」をよく購読し、昔から書評やブックレビューの読みものを楽しんで読んでいた。私は自分で書評ブログを始める際、これまで他人の書評を日常的に読み、かつ研究した結果、自身に課したことがいくつかあった。

(1)自分の身辺雑記や個人情報は書き込まず、最初から書籍の話題にすぐに入り、できるだけ書籍のことについてだけ書く。(2)後々まで読まれることを想定して、時事的な最新のニュースや昨今の流行風俗の事柄は、なるべく書き入れないようにする。(3)書籍の目次を最初に示して、各章ごとに記述内容を要約紹介していく、「本を読んでもいないのに書評を一読しただけで一冊すべてを実際に読んだ気にさせる」ような、横着な読者に便宜を供する都合のよい「書評もどき」の記事は書かない。(4)書評にて必ずしも書籍に対し明確な評価を下す必要はなく、時に表面的な印象批評で終わってもよい。点数をつけて採点したり、毎回、必ず評価を確定させなくてもよい。ただし良い本と誉(ほ)めると決めた場合には「具体的にどこの何が良いのか」、同様に感心しない本とする場合は「どこの何が悪くて、なぜそのような残念な書籍になってしまったのか」掘り下げて説明するようにする。

(1)に関しては、最近はインターネット環境の普及で皆が「書評ブログ」をよく書くようになったが、書き出しから書評本と自身の出会いのエピソード紹介(「本当はその分野の本には全く興味がなかったのに学生時代、恩師に薦められてつい」)とか、その書物をどういう状況で読んだか(「帰宅途中の電車で読んでいたら面白すぎて没頭してしまい、降りる駅をやり過ごして終点駅まで行ってしまった」)だとかの身辺雑記や個人情報を「枕の文章」として最初に熱心に長々と語る人がいるけれど、そうして「自分語り」だけ熱くやって書物のことにあまり触れないで、そのまま終わる「自分大好き」な困った人が時にいるけれども(笑)、そういうのは必要のない余計な情報だ。

普遍的な人生の真理として、「私が自分の生活や人生に関心があり大切に思っているほどには、実は他人は私の生活や人生に関心や興味はない。皆が自分のことだけ大事で案外、他人のことには無関心でどうでもよいと思っている」。だから、世間の皆がその人の私的なことまで知りたいと思っている芸能人や著名人ら余程の人気者とか有名人でない限り、一般の人は自身の身辺雑記や個人情報は語らずに最初から「即(すぐ)」でスムーズに書籍の内容記述に入って、書評の内容だけで終わらせるのがよい。

(2)については、例えば1990年代当時に「オウム真理教」の話題が世間を騒がせ人々の耳目を集めたが、時事論やニュース解説の文章でない場合に、あえて例えの説明に「オウム事件」云々を書き入れてしまうと、当時は時宜を得て(タイムリーで)新鮮でよいけれど、後に時間が経って2020年代に読むと、その書籍にはいかにも古く色褪(あ)せた「今さらな感じ」が、そこはかとなく漂う。だから、自分の文章が後々まで長く読まれることを望むなら、書き手は執筆の際には時事的な最新のニュースや昨今の流行風俗の事柄は、なるべく書き入れないようにした方がよい。

(3)の、書籍の目次を最初に示して各章ごとに記述内容を要約紹介していく「書評」は今日、ネット上で確かに人気がある。おそらく、そうした方が確実にアクセス数も増えるに違いない。しかし、それは「本を読んでもいないのに書評を一読しただけで一冊すべてを実際に読んだ気にさせる」ような(昨今は、こうしたことを期待する怠け者の横柄な人が本当に多い)横着な読者に便宜を供する都合のよい記事で、読み手を甘やかす堕落の「書評もどき」なので私は感心しない。

(4)のように、書評にて必ずしも書籍に対し明確な評価を下す必要はなく、時に表面的な印象批評で終わってもよいけれど、ただし良い本と誉(ほ)めると決めた場合には「具体的にどこの何が良いのか」、同様に感心しない本とする場合は「どこの何が悪くて、なぜそのような残念な書籍になってしまったのか」を掘り下げて説明するようにしたほうがよい。ただ単に「これは絶対に読むべき名著だ」と激賞したり、逆に「この本は読むだけ時間の無駄」と酷評して採点するだけの、そのまま言いたい放題の放り投げで終わる短文書評を特に「アマゾン(Amazon)」のブックレビューでよく見かけるが、毎度読んで「あれは良くない」の悪印象が私には残る。

岩波新書の書評(454)立石博高「スペイン史10講」

一国の歴史を古代から近現代まで新書の一冊で全10講の内に一気に書き抜こうとする岩波新書の「××史10講」シリーズである。もともと本企画は、坂井榮八郎「ドイツ史10講」(2003年)と柴田三千雄「フランス史10講」(2006年)と近藤和彦「イギリス史10講」(2013年)の三新書から始まった。後に各国史が多く続く。

立石博高「スペイン史10講」(2021年)も「××史10講」シリーズのラインナップである。本書はスペインに出張や駐在の折に、またスペイン旅行の前後や旅の最中にスペインの歴史文化の概要をコンパクトな新書一冊で手早く知れて誠に有用である。

スペイン史については、スペインの歴史そのものを限定して知ること以前に、世界史全体に与えたスペイン由来の歴史的画期の重要な分岐がいくつかあったと私には思える。その内の一つ、最たるものといえば、「近世のスペイン継承戦争を経てのヨーロッパ史におけるイギリスとフランスの明暗の対照」である。

この「近世のスペイン継承戦争を経てのヨーロッパ史におけるイギリスとフランスの明暗の対照」事例を通し、昔から世界史を学習していて私が一貫して強く思うのは、特にヨーロッパ史はイギリスとフランスの二つの大国の対照を基本の重要線として押さえながら、知識を増やし理解を深めていくことが基本であり重要であるということだ。

西洋史の近世、絶対主義時代に起きたスペイン継承戦争(1701─13年)は、旧来のスペインのハプスブルグ家の断絶に乗じて、ブルボン家のフランス王、ルイ14世が仕掛けた対外戦争である。ルイ14世は孫のフィリップのスペイン王位継承を主張し、フィリップのスペイン王即位を目して、ブルボン家のフランスと、スペイン王の継承権をフランスのブルボン家に渡したくないハプスブルグ家のオーストリア、それに反ブルボン朝のイギリスとオランダらを加えた「ブルボン家'vsハプスブルグ家」の対立構図の絶対主義体制下での対外戦争であった。絶対主義下の近世ヨーロッパにおいて、国家は各家が代々所有し継承統治する家産であり、ゆえに当時の諸外国間の戦争も各国王朝が自家の国家統治たる家産の相続継承を取り合う、文字通りの「継承」戦争であったのだ。

スペイン継承戦争の結果、フランスが勝利しスペイン統治を旧来のハプスブルグ家から新たにブルボン家に移行させ、フランス王はスペイン統治を望み通り「継承」できた。この戦争講和であるユトレヒト条約(1713年)にて、フランス劣勢の内に終結したが名目的に「勝利」を収めたフランスは、スペインとフランスの統合は禁じられたものの、スペイン王位継承権を得てスペイン国内統治の家産はルイ14世の望み通り、従来のスペインのハプスブルグ家から新たにフランスのブルボン家に移ったのであった。その代わり対外の領土問題にてフランスは、特にスペイン継承戦争での敵対国のイギリスに北アメリカのハドソン湾地方、アカディア、ニューファンドランドらの譲渡を迫られ英国に割譲し、さらにイギリスはスペインからも「アシエント」(スペイン領アメリカへ黒人奴隷を供給できる特権)を得た。

スペイン継承戦争の講和たるユトレヒト条約によるユトレヒト体制下にて、イギリスは大西洋と北アメリカ地域への覇権伸長を確実にし、またアシエントの特権を獲得したイギリスは大西洋地域の奴隷貿易をほぼ独占して、奴隷貿易を中心に大西洋にて三角貿易(イギリス本国─アフリカ─アメリカ)を実施し莫大な利益を得た。この莫大な利益が後のイギリスの産業革命に向けての最大の資本蓄積の国富となり、後に世界の各地域に海外雄飛する覇権国家たる大英帝国の繁栄をもたらすのである。こうしたイギリスとは対照的にフランスはスペイン継承戦争後のユトレヒト体制を経て、スペイン国内統治の王位継承権をブルボン家が得たのみで、フランスは大西洋・北米地域の海外覇権の足場を大きく失った。

フランスは家産政治の絶対主義体制の王権が英国ら諸外国と比べ極めて強力であったがゆえに、ルイ14世の意向によりブルボン家のための家産相続継承にてスペイン統治の特権を得たが、その代わりに帝国覇権のための海外諸地域を手放し、自らの対外進出の機会(チャンス)を逸してしまった。いうなれば、スペイン継承戦争を通して、フランスはヨーロッパ内のスペイン王朝の家産相続に固執し、そのために大西洋・北米地域の海外世界への進出の足場を決定的に失ってしまったわけである。他方、イギリスはフランスとは見事に対照して、このスペイン継承戦争を契機に非ヨーロッパ地域への海外進出の足場を地道に固め、覇権国家として世界各地に勢力を伸長して後の大英帝国の繁栄に着実に繋(つな)げていくのであった。こうしたスペイン継承戦争を実質的な起点にしての、英仏の海外進出志向の有無の対照相違の明暗は決定的である。というのも、まもなく世界史は近代に移行するにつれて、従来の各家の家産相続の名目的「継承戦争」から、各地域に領土拡大をはかり軍事や貿易や資源争奪の面で世界覇権を競う、より実利的な「国際覇権の戦争」に時代の潮目は変わっていくからだ。スペイン継承戦争後のユトレヒト体制において、時代の先を読む先見の明はフランスよりも明らかにイギリスの方にあった。

スペイン継承戦争後の講和に基づくユトレヒト体制を経ての、英仏の海外進出志向の有無の対照相違は実のところ、同時代の市民革命にて、イギリスの「自由」を基調とする王権存続の穏健な名誉革命(1688─89年)と、フランスの「平等」を激しく希求する王権廃止の過激なフランス革命(1789─95年)の両国相違にも遠くから強く影響を与えていた。絶対主義時代のスペイン継承戦争前後、市民革命の時代にはすでに多くの海外植民地を持っていたイギリスは、その潤沢な国富のために海外覇権地域から英国本国に流入する莫大な富に支えられ、ブルジョアジーの新興市民はある程度の経済的成長を果たし開明的で、議会政治の健全な発展が期待できた。そのため人間の「自由」を第一義とする漸次改良的で「国王は君臨すれども統治せず」の絶対主義時代からの英国王権を形式的に温存した形での立憲君主制の穏健な名誉革命に着地できた。

他方、前の時代から絶対主義体制の王権が強く、海外覇権を積極伸長していなかった革命前夜のフランスでは、旧来の国王・貴族の私的浪費もあって国家財政は逼迫(ひっぱく)し、国内人民は過酷な封建貢租(地代)の収奪に疲弊して、絶対主義体制下の封建支配が過酷であった。フランス国内にて新興のブルジョアジーの経済的成長や議会政治の健全な発展は何ら展望できず(英国と異なり、伝統的に王権が強力なフランスでは身分制議会は継続して開催されることはなかった)、人民が人間の「平等」を激しく希求する王権打破で反体制の過激で暴力的なフランス革命、つまりは国王処刑の王権廃止、ついにはラディカル(急進的)な共和制に至った。

以上のような、ヨーロッパ近世のスペイン継承戦争を実質的背景とする近代の市民革命の時代の名誉革命とフランス革命の内容相違の事例など、ヨーロッパ史を貫くイギリスとフランスの二つの大国の対照相違の基本線の中での数ある事象の内のほんの一例でしかない。しかしながら、この英仏の対照相違の大きな一つの節目をなすスペイン継承戦争は、世界史全体に与えたスペイン由来の歴史的画期の重要な分岐の内の一つ、その最たるものと私には強く思える。

岩波新書の赤、立石博高「スペイン史10講」では、スペイン継承戦争については「第6講・カトリック的啓蒙から旧体制の危機へ」の章に書かれている。よって本新書にていくつかある内の一つの読み所は、この第6講のスペイン継承戦争に関する講義の記述部分であると私は思う。古代から近現代までの「スペイン史10講」の中で、この18世紀のスペイン継承戦争の歴史部分の講義解説に是非とも注目して読んで頂きたい。もっとも本新書でのスペイン継承戦争に関する記述は、著者が「スペイン史という一国史の克服」を本論中でたびたび述べながらも、やはりスペイン史の枠内にとどまる一国史的解説であるのだが。

「キリスト教勢力とイスラーム勢力とが対峙・共存した中世、『太陽の沈まぬ帝国』を築きあげた近世─ヨーロッパとアフリカ、地中海と大西洋という四つの世界が出会う場として、独特な歩みを刻してきたスペイン。芸術・文化・宗教や、多様な地域性に由来する複合的国家形成にも着目して、個性あふれるその通史を描く」(表紙カバー裏解説)

岩波新書の書評(453)永六輔「大往生」

既刊の古典を中心とした「岩波文庫」に対し、書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価で提供することを目的として1938年に創刊された「岩波新書」である。こうした日本で最初の新書形態となった長い歴史を持つ伝統ある岩波新書の中で、歴代で最高発行部数の新書、俗な言い方をすれば「これまでで、もっとも売れた岩波新書」は何だろうか。これについては、以前に「岩波書店調べによる発行部数ランキング」(2008年5月時点)が出されていた。それによると、

1位・永六輔「大往生」(1994年)239万部、2位・大野晋「日本語練習帳」(1999年)192万部、3位・清水幾太郎「論文の書き方」(1959年)145万部、4位・梅棹忠夫「知的生産の技術」(1969年)132万部、5位・井上清「日本の歴史・上」(1963年)114万部

歴代の岩波新書の中で発行部数の最多の1位は、永六輔「大往生」であり、2位以下を大きく突き放して200万部以上の断トツである。突出しての独走である。あまり人のこない過疎ブログであるが(苦笑)、「岩波新書の書評」など細々とやっている身としては、書籍の内容評価以前に歴代発行部数1位の本書を看過してやりすごすことなどできない。到底、本新書に触れないわけにはいかないのである。そういったわけで今回の「岩波新書の書評」では、これまでの岩波新書の中で最多発行部数を誇り最も売れた永六輔「大往生」を取り上げる。

岩波新書の赤、永六輔「大往生」について、「書籍の内容評価以前に歴代発行部数1位の本新書に触れないわけにはいかない」旨を先に述べたが、実際のところ本書に関して何かを語りたいほどの触手も伸びず、本新書に対する私の評価は全く高くない。正直読んで「かったるい」の思いがする。同時に「世間一般にウケがよい、人気でよく売れている本が、必ずしも内容的に優れた良書であり名著であるとは限らない」の冷めた思いも私は強く持つ。

「人はみな必ず死ぬ。死なないわけにはいかない。それなら、人間らしい死を迎えるために、深刻ぶらずに、もっと気楽に『老い』『病い』、そして『死』を語りあおう。本書は、全国津々浦々を旅するなかで聞いた、心にしみる庶民のホンネや寸言をちりばめつつ、自在に書き綴(つづ)られた人生の知恵。死への確かなまなざしが、生の尊さを照らし出す」(表紙カバー裏解説)

また岩波新書「大往生」の著者である永六輔(えい・ろくすけ)については、「1933年、東京浅草に生まれる。本名は永孝雄。早稲田大学文学部在学中より、ラジオ番組や始まったばかりのテレビ番組の構成に関わる。放送作家、作詞家、司会者、語り手、歌手などとして多方面に活躍。2016年に83歳没」

こういう言い方をすると、岩波新書「大往生」の著者の永六輔とその関係者、本新書担当の岩波新書編集部員、本書を愛読書にしている永六輔ファンの方々にお叱(しか)りを受けてしまうかもしれないが、本書はいうなれば「タレント本」である。字数が少なく余白も多い。著者の永六輔は実際にほとんど新たに執筆していない。永六輔による漫談風の発言・会話の書き起こしを集めたもの、あとは以前の新聞コラムや対談の再掲で本書は主に構成されている。

本書は、「現代人の現代的教養を目的」(巻末文「岩波新書を刊行するに際して」岩波茂雄)とするような従来の学術教養路線の硬派な岩波新書ではない。これは、わざわざ岩波新書から出す必要はない。本書は特に岩波新書でなくてもよい。やはり永六輔「大往生」は内容がスカスカで薄い。著者のファンだけが喜んで手に取り読んで満足するような「即席にわかづくりのタレント本」の悪印象が、私には拭(ぬぐ)えない。

本書は全部で5つの章よりなる。「Ⅰ・老い」では、「人間、今が一番若いんだよ」といった本文にての永六輔の語りに「自身の衰えや老いを認めたくない年寄りの冷水」と軽く半畳を入れてみたり、「Ⅱ・病い」では年を取ってからの完治はあり得ない病気との根気の付き合い方や医者との日々の接し方を読んで自分のことに引き付けて考えたりして、「医師や看護師も完全善意のボランティアではなく半分は商売でやっているのだから、医師と患者の双方にそれぞれの言い分の立場はあるわな」と思うし、「Ⅲ・死」では「生まれてきたように死んでいきたい」などと、永六輔から分かったような訳の分からないようなことを聞かされ、またまた軽く苦笑ということになる。「Ⅳ・仲間」では、私はまだ同年代の人たちが老いの死を迎える年齢に達していないのでよく分からないが、「将来、私もいよいよ老いて死を間近に意識する年齢になれば、同世代の親しい仲間や知り合いが亡くなる感慨とはこういうものなのか」と漠然と予測し思う。そうして「Ⅴ・父」では、「この本は、亡き父、永忠順(えい・ちゅうじゅん)に捧げる」とする本書刊行の意図を顧みて、「確かに人が未だ経験できない自身の死を考えるのに最も参考になるのは、他ならぬ自分の父母の死を見送った、その経験知見による。人は自分の両親の死から自身の死を事前に学ぶのだ」と私は深く納得する次第である。

本書タイトルである「大往生」は、著者・永六輔の友人であり仕事仲間であった作曲家、ジャズピアニストの中村八大と永との最後の共作仕事の歌詞に由来している。永六輔にとっての「大往生」、彼が望む自身の理想的な死とは以下のようなものであった。

「世の中が平和でも 戦争がなくても 人は死にます 必ず死にます その時に 生まれてきてよかった 生きてきてよかったと思いながら 死ぬことができるでしょうか そう思って死ぬことを 大往生といいます」(「永六輔と中村八大の最後の共作の詞」より)

「長寿を全うし長く生きた上で死ぬ」とか、「臨終間際に苦しむことなく安楽のうちに眠るように死ぬ」などではない。死の瞬間に「生まれてきてよかった、生きてきてよかったと思いながら死ぬ」ことこそ、永六輔にとっての「大往生」であったのだ。

岩波新書の赤、永六輔「大往生」は特に優れた内容の書籍でもなく、本書が岩波新書から出されるべき理由も特に見当たらない。むしろ「大往生」は、「現代人の現代的教養を目的」とするような、これまでの学術教養路線の正統硬派な岩波新書からは大きく外れた異質の岩波新書である。しかし、そうした本来の岩波新書カラーではない「異質の岩波新書」たる永六輔「大往生」が、歴代の岩波新書の中で発行部数最多の1位となり、200万部以上の大ヒットで売れに売れてしまうのだから世の中は誠に皮肉なものである。

事実、岩波新書「大往生」には「人間にとって死とは何か」などの実存的な鋭い哲学的問いや精密な宗教学的考察は皆無で、単に著者の永六輔による自身と近親の者や友人仲間の老いや病気や死についての、取り留めもない砕(くだ)けた与太っぽい俗な話と引用が長々と続くだけの内容てある。よくお年寄りが集まると「俺はこういうふうに死にたい」とか、「この前あった、かかりつけ医師との面倒」などを与太話めいて皆がさかんに繰り出したりするけれども、その話芸の話術を傍で長く聞かされている感触に本書の読み味は似ている。

岩波新書「大往生」のベストセラーの要因背景には、本書出版時の1990年代の時点で、すでに相当数のお年寄りがいて急速に高齢化社会が広がりつつある日本社会の中で、自身の老いや病気、そして自分や同世代の仲間の死に向き合うことを余儀なくされ考えざるを得ない、多くの人々の時代の社会の空気に上手い具合に乗った所に、歴代の岩波新書の中で発行部数最多の1位となり、200万部以上の人気爆発で異常に跳(は)ねた、永六輔「大往生」大ヒットの光景があるように私には思えた。

殊更(ことさら)に書籍そのものの内容が優れた良書の名著ではなくても、その本のテーマや書籍が持つ漠然とした雰囲気が、時代の社会の多くの人々の心持ちと何とはなしに一致していたり同じ方向を向いていたりしていることで予想外の異常人気で、その書籍が跳ねて大ヒットのベストセラーになってしまうことは、いつの時代にもあり得る。おそらく、岩波新書の永六輔「大往生」は、普段あまり読書習慣はないし岩波新書など読まないが、老いや病気や死を意識しだした多くの高齢者が購読し結果、その購買行動が伝播し増幅して売れに売れて大ヒットになったに違いない。そうした私の見立てである。

岩波新書の書評(452)柳父章「翻訳語成立事情」

外国や他地域から異文化の制度、技術、宗教、学問らを輸入摂取する際に、もともと自国の文化にそれに対応した言葉がないために新しく新語を造語したり、これまでにあった自国の言葉に別の意味・用法を加えて改変する必要が生じる、いわゆる「翻訳問題」というのが昔からあった。

しかし、この「翻訳問題」は実のところ、そうした言葉対応の翻訳の次元の問題にのみ、とどまるものではない。もともと翻訳語に対応する言語がないのだから、異文化を摂取する側の人々は、その精神や概念まで本当の意味で正しく理解できているかは果てしなく怪(あや)しい。異文化受容の際に、もともとある受容主体側の文化により、輸入の異国文化に対する理解の誤解や変容をきたす「思想受容の際の変容の問題」もあった。このことから翻訳輸入の言語次元の「翻訳問題」は、異文化理解次元の「思想受容の際の変容の問題」と密接につながっている。ゆえに「翻訳問題」を論ずる際には、「思想受容の際の変容の問題」にまで本質的に掘り下げて論及しなければ不十分といえる。

こういった「翻訳問題」および「思想受容の際の変容の問題」は、日本の歴史において昔から頻繁に現れる現象問題であった。例えば古代日本の仏教受容、近世日本での儒学の発展、近代日本にての近代化や立憲主義の思想の摂取ら、中国や西洋からの日本国内への宗教、学問、思想制度の輸入摂取に際し「翻訳問題」および「思想受容の際の変容の問題」は常にあったのだ。それぞれについて、古代日本が受容し当時の日本の人々が理解した仏教と、日本に伝来する以前のインド・中国の仏教との相違を精査してみるとよい。確かに、古代の日本に伝来して以後長く日本に根付いた仏教は、伝来受容の過程でもともとの日本の文化や日本の風土や慣習らにより大きく変容せられて、元の大陸のインド・中国の仏教とは明らかに似て非なる「日本の仏教」になってしまっているのであった。同様に、古代と宋代の中国・朝鮮の儒教と、日本の近世の江戸時代に様々な学派に分岐し発展した「日本の儒教」、朱子学を始めとする各学派の儒教理解とその教義の展開を比較考察してみれば、儒教も中国・朝鮮の大陸から日本に伝わる過程で日本人の思考の型に合うように大きく改変され理解されていることが分かる。

はたまた明治維新前後の近代化や立憲主義の各種のヨーロッパの近代思想も、日本に輸入後には「近代化」の意味解釈や「立憲主義とは何か」の制度理解は、いかにもな日本的理解の日本人的把握であって、元の西洋の伝統的な近代とは明らかに異なっているのである。「日本の近代化」の過程にて、西洋の近代思想は日本的偏向(バイアス)の変容を受けて確実にその内容は変わっていた。これら事例からも日本の歴史において異文化の制度、技術、宗教、学問らの輸入摂取に伴う「翻訳問題」および「思想受容の際の変容の問題」が頻繁にあったことを私達は容易に理解しうる。

柳父章(やなぶ・あきら)は翻訳家であり、比較文化の研究者である。柳父は前から異文化の制度、技術、宗教、学問らを輸入摂取する際に不可避的に生じる「翻訳問題」を取り上げ論じてきた人であった。柳父章の場合、翻訳の問題は、日本の近代、明治維新前後に西洋の近代思想を輸入摂取する際の問題として主に考察され記述された。例えば、西洋近代の人権思想である「ライト」や「ソサイエティ」や「ナチュラル」や「リバティ」ないしは「フリー」に該当する言葉やそもそもの思想概念が明治以前の日本にはなかった。そのため幕末から維新期にかけて当時の日本の啓蒙思想家や学者や政治家らが、それに対応する新たな日本語を造語するわけである。それぞれに「ライト」は「権利」、「ソサイエティ」は「社会」、「ナチュラル」は「自然」、「リバティ」ないしは「フリー」は「自由」と翻訳し、以後日本語表記するというように。

それら近代日本の「翻訳問題」をテーマにした一連の書籍を柳父章は前からよく出していた。「翻訳の思想・自然とnature」(1977年)や「ゴッドと上帝」(1986年、後に「ゴッドは神か上帝か」2001年にタイトル変更して復刊)などである。

岩波新書の黄、柳父章「翻訳語成立事情」(1982年)も、そうした日本の近代化に伴う明治維新前後の翻訳語の決定経緯と裏事情、まさに「翻訳語成立(の)事情」について、各言葉ごとにそれぞれ詳しく紹介している。本新書で取り上げられている翻訳語は「社会、個人、近代、美、恋愛、存在、自然、権利、自由、彼・彼女」の全10語である。

これらの中でも「自由」と「社会」の翻訳語が特に重要だと私には思える。

国家ら政治権力の圧力に抗して人民の権利保障を唱える個人の自由の権利概念は、もともと日本の歴史文化になかった。その個人の自由の権利概念を翻訳して輸入する際に、幕末維新期の近代日本では、ヨーロッパ思想の正当な自由の権利は、放埒(ほうらつ・「気ままに振るまうこと」)や放縦(ほうじゅう・「規律や節度がなく、わがままなこと」)の意味で従来、主に使われていた「自由」の日本語に翻訳変換され、内容まで「自由とはやりたい放題やること、勝手気ままに振るまうこと」の負の意味で当初の日本の人々に「思想受容の際の変容の問題」を介して主に理解されたのであった。この点について、明治期の自由民権運動にて、民権運動を進める運動主体側の、例えば板垣退助や中江兆民や植木枝盛、逆に民権運動を抑える明治政府側の伊藤博文や大久保利通ら、彼らが自由民権運動における「自由」とはどういった意味と認識理解していたか、各人ごとに追跡し調べまとめてみるとよい。そこには確かに近代日本の「思想受容の際の変容の問題」の深刻さがあるのである。

同様に「社会」に関しても、もともと日本の歴史文化には、国家(政治権力)とは異なり、時に政治権力の圧政の暴走を外部から押さえる成熟した市民社会はなかった。日本の歴史において市民社会は皆無であった。いつの時代でも政治権力の国家だけであった。ゆえにイギリスの名誉革命やフランス革命のような市民革命の歴史は日本史にはなかった。従来、歴史家が「日本には国家はあるが社会はない」と苦々しく指摘する所以(ゆえん)である。確かに明治維新前後の日本には、西洋のソサイエティに該当する市民社会など何ら成立していなかったのだ。そこで市民社会のソサイエティは「社会」と後に翻訳され日本語になったが、現実の日本にあったのは、国家(政治権力)と異なって時に政治権力の圧政の暴走を外部から押さえる成熟した市民社会であるよりは、国家に親和的であり政治権力支配の末端として、日常の生活場面の隅々に至るまで各人が皆を自発的に相互監視し集団主義の同調圧力で個人を国家に縛りつける「世間」であった。「世間様に顔向けができない」「非国民」といった言い回しや言葉が古くから根強くある日本文化の歴史の問題として、以上のことの実感的理解は容易だ。ここにも翻訳摂取の際に、ヨーロッパ近代の市民社会の概念である「社会」がともすれば大勢にて伝統日本的な「世間」に変容され理解されしまう、近代日本における「思想受容の際の変容の問題」の深さがあった。

私たちは、この「翻訳問題」ならびに「思想受容の際の変容の問題」の日本の歴史を問題史的に見つめ厳しく再考すべきであろう。

岩波新書の書評(451)天畑大輔「〈弱さ〉を〈強み〉に」

岩波新書の赤、天畑大輔「〈弱さ〉を〈強み〉に」(2021年)の表紙カバー裏解説は以下だ。

「四肢マヒ、発話・視覚・嚥下(えんげ)障がい、発話困難。中学の時、突然重度障がい者となった著者は独自のコミュニケーション法を創り、二四時間介助による一人暮らし、大学進学、会社設立、大学院での当事者研究、各地の障がい当事者との繋(つな)がりを、介助者とともに一歩一歩実現。絶望の日々から今までを描き、関連の制度についても述べる」

また著者である天畑大輔(てんばた・だいすけ)については、本書奥付(おくづけ)に次のようにある。

「1981年広島県生まれ。96年若年性急性糖尿病で救急搬送された病院での処置が悪く、心停止を起こす。約3週間の昏睡状態後、後遺症として四肢マヒ、発話障がい、嚥下障がいが残る。2008年ルーテル学院大学総合人間学部社会福祉学科卒業。17年指定障害福祉サービス事業所『(株)Dai−job・high』設立。19年立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程修了。博士号(学術)習得。同年より日本学術振興会特別研究員(PD)として,中央大学にて研究。20年 『一般社団法人わをん』設立。代表理事就任。世界でもっとも障がいの重い研究者のひとり。専門は、社会福祉学、当事者研究」

本新書のサブタイトルは「突然複数の障がいをもった僕ができること」である。本書は全八章よりなる。冒頭に「この本では僕の中学生のときからの軌跡をまずお伝えしたいと思います」とあって、著者が中学生の時に海外留学よりの帰国後、異常な体重減少と体調悪化から意識朦朧(もうろう)となり、若年性急性糖尿病での緊急入院と手術治療を経て、後に主治医から「残念ながら、今の医学ではあなたを治療する方法はありません」との完治は不可能の説明を受けて、障がい者になってから今日までの自身の軌跡を述べている。その間の退院後のリハビリ施設への入所と在宅生活への移行、養護学校と福祉学科のある大学への進学、大学院進学と博士論文の執筆、介助者との日々のやり取りの日常(主にその葛藤や問題)、自身が介助者派遣サーヴィス事業所を設立起業する現在までが、「1章・『障がい者』になる」から「7章・当事者事業所の設立」の全七章のうちに記述されている。その上で最終章たる「8章・〈弱さ〉と向き合い、当事者になる」にて自身の考えを総括し、まとめる構成になっている。

私が岩波新書「〈弱さ〉を〈強み〉に」を読んで印象に残ったのは例えば、

最初に原因不明で意識朦朧となり、後に若年性急性糖尿病と診断されたが、搬送先の病院での処置が適切でなく、その不適切処置のため後に後遺症の障がいが残ったとして、本人と両親が病院に対し医療裁判を起こしているらしいこと。☆発話困難の著者のために拡大代替コミュニケーションの内の聴覚走査法である「あかさたな話法」(介助者が本人の腕を取り「あ、か、さ、た、な…」と行頭の文字を順番に読みあげ、その声のタイミングに合わせて介助者の腕を引くことで文字選択して単語や文章を相手に伝えていく話法)を日々使用し、意思表示や会話や執筆をしていること。☆大学生活にて、介助ボランティアでは善意の任意参加でシフトが組めず、また善意のボランティアの場合は介助される側の「私」が「可哀想な存在」であることで、ボランティアからの「助けてあげよう」の善意を獲得し初めて自分が介助者を得られる関係であることから、自分にはボランティアに気遣う気苦労が絶えなかったこと。そして、このボランティアの限界や公的介助制度利用上での問題が、後に著者が在宅生活や親元を離れての一人暮らしの際、家族以外で365日24時間付き添い見守る介助者の必要が生じた時に、介助者派遣事業を立ち上げ、介助者と雇用契約を結んで著者みずからが事業所運営の乗り出すことに後々つながっていく点。☆著者は自分の「親亡き後」のことも考え、特に母親と元恋人に対し自分の「依存」が重すぎたことを非常に強く反省的に感じている記述の下り

などである。本書を読んで、「書籍を読むことは、読むことを通して著者が置かれた状況やその背後にある現代社会の問題、そして何よりも書籍を書いた著者その人をそのまま知ることだ」の読書にまつわる一つの真理を改めて痛感する次第である。

本書の読み味は、私が昔に読んだ、例えば乙武洋匡「五体不満足」(1998年)や、春山満「僕にできないこと。僕にしかできないこと」(2000年)に似ている。本新書の著者・天畠大輔は、乙武洋匡(先天性四肢欠損。東京都教育委員などを歴任。タレント活動も行う)、春山満(24歳より進行性ジストロフィーを発症し、首から下の運動機能を全廃。全国初の福祉のデパートを開業し、介護・医療のオリジナル商品の開発・販売を行う)を思わせる。天畠も乙武も春山も身体に何らかの不自由の困難を抱えながら、精神は強い。精神的にタフで容易にへこたれず、自身の自立に加え積極的な社会参加を果たし、他者や社会全体への働きかけの影響力も相当にある。

ただ私が岩波新書の天畠大輔「〈弱さ〉を〈強み〉に」を手に取り読んでいて終始疑問であったのは、「著者において一体どこの何が弱さであるのか!?」ということだ。本書の最終章「〈弱さ〉と向き合い、当事者になる」を読むと、どうやら天畑大輔は「身体が自由に動かず、話せず、よく見えず、残された 『考える』ことしか自分を活かす道がない」ことに加え、日々の生活から、研究者を志した自分にとって研究者として不可欠な文章作成に至るまで「介助者の能力に 『依存』していること」が自分の「弱さ」だと感じ考えているようである(203・204ページ)。その上で、この自身の「介助者の能力に 『依存』していること」という「〈弱い〉主体としてのあり方も受け入れる」ことを通して、「〈弱さ〉を〈強み〉に」と天畠はいうのであった。こうした自身における「弱さ」から「強さ」への価値転回の主張は、書き出しから結語まで連続して貫かれる本書での基調の議論である。

だが、例えば「日々の生活にて絶えず介助者の能力に 『依存』していること」は、本当に人間の「弱さ」なのだろうか。そうした介助者に「依存」のあり様は、果たして「弱さ」といえるのか。仮に私が歩行不能で車椅子を使っていたり寝たきりであったり発話困難だったり知的障がいがあって、一人で生活できず他人の介助の助けを借りる「依存」の状態であったとしても、そのことをもって「自分は弱い」「これが私の弱さだ」と思うことはない。自身の身体・精神の障がいに関し、「不便であり、他の人に比べて自分は面倒なことが多く困難を余計に抱えている」と思うだけだ。そういった、特に身体にまつわる不自由の障がい、そしてそのことにより周りの人々の助けを借り「依存」しなければならないことを、私は人間の「弱さ」とは決して考えない。

なるほど、著者の天畠大輔は能力主義に異常にとらわれすぎている。現代社会の病理である所の能力信仰に心酔している。ここでいう「能力主義」とは、本書にて著者の天畠が述べているように、「その人の能力でその人の価値が決まる考え方」(193ページ)程度の意味であり、事実、天畠は、

「大学院への進学を経て、介助者との協働によって博士論文を書く際に、介助者をリクルートする時点で、ある程度文章作成能力にすぐれた人材を意識的に集めていくようになりました。能力主義に翻弄(ほんろう)されながら、僕は能力主義から逃れられないことも同時に知りました。僕は障がいの社会モデルを持っている一方で、能力面においては、個人モデルとして評価されたい自分の欲求も強く自覚することとなったのです」(「『能力』という個人モデルを捨てきれず」193・194ページ)

と書いている。それどころか、「そもそも僕の大学院進学の動機は『もっと誰かに称賛されたい』『もっと目立ちたい』という思いでした」(192ページ)といい、この能力主義を支える、他者に対抗する能力的優越感確保の欲求や社会一般の人々から自身に寄せられる称賛獲得の承認願望が自分の中にあることを正直に認め告白し、「大学院進学と博論(博士論文)執筆の動機は自分の承認願望を満たすにはうってつけのものでした」(192ページ)とさえ、あからさまに本書にて述べるのであった。そうして、この「他者から自分に寄せられる称賛を求めたり、自身の承認願望を満たしたり、能力主義を捨てきれない私」に関し、果たしてこのままでよいのか、 何ら再考や反省や修正を受けずに以前と変わらず私はこの能力主義に傾倒し邁進し続けてよいのか、の議論はない。本論にて皆無である。著者による能力主義への信仰告白は、最終章の「〈弱さ〉と向き合い、当事者になる」にて主に述べられているが、この自身の能力主義への傾倒を認める話題が出た後、能力主義の問題それ自体に対する批判的考察は何ら深められずに、話は著者における自分の「生きづらさ」についての内容にいつの間にか流れてしまう。

ここだけの内緒の小さな声で言えば、「著者は能力主義に傾倒し能力信仰にとらわれ過ぎているために、自身の身体的な不自由の障がいを自分の『弱さ』だと考えてしまっている。しかも、複数の障がいを有する『社会的弱者』の自分が日常的に自身の介助者と接したり、事実、介助者派遣サーヴィス事業を立ち上げる際にも、「事業所をつくって、あなた自身でよい介助者を育てればいいのよ」という障がい当事者先輩のアドバイスを聞いて「自分が有能な介助者を育成する」意図で着手しており(158ページ)、ゆえに例えば博士論文執筆の際の代筆での介助者における文章作成能力の力量や社会常識・一般教養の知識の総量ら、介助者が「介助をやる人」になる以前にもともと備えている人間の各種の卓越能力を集め、その他、有能な介助者適性の見極めのために、介助に伴う動作技能の高低や障がい者への気付きの深さや早さの機転配慮の能力具合ら、天畠は時に相手に分からないよう密(ひそ)かに反応動作を試したりの結果、介助者に暗に厳しく能力要求し精査して、能力が足りない人を安易に否定し切り捨てるようなことに、この人は結局なるのでは!?」の不安の危惧が私の中で拭(ぬぐ)えない。

実はこの種の障がい者が、自身の身体的障がいを「弱点」や「難点」と強く否定的にとらえるため、その不自由な身体的「弱点」を他の能力要素で早急に代替回復しようとし(「〈弱さ〉を〈強み〉に」とか「五体不満足でも何ら不幸ではない、むしろ毎日が幸せ」とか「僕にできないこと。僕にしかできないこと」など)、能力信仰にハマって身体以外の精神面で、他者に厳しく能力要求して、時に能力が足りない人を安易に否定したり切り捨てたりする問題は、書籍を読んでいて、岩波新書「〈弱さ〉を〈強み〉に」を出した天畠大輔と性格的・精神的・思想的に類似していると私には思われる、先に挙げた乙武洋匡と春山満にも共通するものだ。

乙武も春山も身体に何らかの不自由の困難を抱えながら、精神的にタフで強く自身の自立に加え積極的な社会参加を果たし、他者や社会全体への働きかけの影響力が相当にあったが、その反面、不倫を重ね妻に暴言のモラハラを振るったり、裏で介助者に高圧態度で接していたり(乙武洋匡)、福祉事業を利益追求ベースの「福祉介護ビジネス」にのみ乗せるため、高所得で富裕な障がい者とその家族しか眼中になく富裕層に対してだけ熱心に商売する、経済力がない貧困で苦しむ障がい者と家族には無関心で結局は切り捨てている(春山満)など、話題の著書出版や自身が派手に露出するメディア出演の裏側で、彼らは周囲の人々に時に非情で高圧的・権力的に振る舞う問題が指摘された人たちでもあった。

身体的な障がいを「弱さ」と、なぜか負の価値で認識してしまうことで、その心身面の不自由さの「弱さ」は直(ただ)ちに克服され「強さ」へ価値転回されるべきとする強迫的な思考が働く。そうして、そもそも身体的・精神的障がいを「弱さ」と価値づけてしまう背景には、その人の中に能力主義(「能力の有無や優劣で人間の価値は判断される」とする考え)に基づく価値意識の人間観が強固にあって、身体や精神の障がいは能力の不足や欠如のマイナスだと理解されるから、それら障がいが他者や社会に「依存」している「私という人間の弱さ」になってしまうのであった。だから、また余計に自分の中で思われている、不自由で能力の不足・欠如である「弱さ」を、他者よりも優越した有能な別の所での能力発揮の「強み」に変えるべきとする能力主義に余計にのめり込み、自身や特に周囲の人達に対して能力信仰から厳しい能力遂行の過酷要求をしたり、能力が低いと自分が思う相手に対し時に高圧的・権力的に振る舞う羽目になってしまう。

今さら改めて言うまでもないことだが、身体・精神の障がいがあって不自由で何かを出来ないことの能力の不足や欠如、そしてそのことにより周りの人々の助けを借りて「依存」しなければならないことは、何ら人間の「弱さ」ではない。ぞもそも人間は製品や商品の物とは異なり、機能の能力が仮に欠落し劣っていたとしても、そのことを「弱さ」と指摘され責められて排除されたり、他者と社会から軽蔑され人格否定されたりするような軽い存在ではい。具備して発揮できる個人の能力の如何にかかわりなく、人間であるだけで全ての人は平等に尊厳性をもって他者と社会から丁寧に接せられねばならないからだ。

製品・商品の物とは違い、物の性能に当たる当人の能力で判断される能力主義の能力信仰を超えた所に人間はある。ゆえに、自分の身体的な不自由の障がいを「弱さ」と認識して、早急に「〈弱さ〉を〈強み〉に」変えるような価値転回の強迫的な必要性などない。仮に私に何らかの身体的な障がいがあって、一人で生活できず他人の介助の助けを借りる「依存」状態であったとしても、そのことをもって「自分は弱い」「これが私の弱さだ」と思うことはない。自身の身体・精神の障がいに関し、「不便であり、他の人に比べて自分は面倒なことが多く困難を余計に抱えている」と単に思うだけだ。そういった身体や精神にまつわる不自由の障がいを人間の「弱さ」だと安直に考えてはいけない。