アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(485)家永三郎「日本道徳思想史」(岩波全書を読む1)

1938年に創刊の「岩波新書」は全て新作の書き下ろしで、時代社会の状況や世相に対応した話題の分野のトピックも含め、学術専門的な事柄でも初学の初心者にも分かりやすいよう「入門」の体裁で出されるものも多く、時代と共に歩んで一般読者に向け新書形態の書籍を廉価(れんか)で提供し、幅広く人々の知的啓蒙に寄与するといった創刊趣旨があった。他方、「岩波全書」は「もっとも信頼すべき基礎的学術書」を目指し1933年に創刊され、これまでに438点が刊行された。各分野にて専門的学びを志し、ある程度の基礎知識を持っている読者へ向けて、時代の流行に左右されず後々まで残るような記述に信頼・定評のあるスタンダードな基礎的学術書を供することに岩波全書は創刊意図の重きを置いていた。

ゆえに岩波全書は、岩波新書とは違い、特に初期のものは箱入りで価格もなかなか高いのである。やがて箱入りをやめたが、ほぼ全時代に渡り砂色のツートンカラーの表紙カバーで統一された岩波全書も、書籍の装丁にセンスがあって洗練されたデザインで私には非常に好みであった。また岩波全書は前述のように、初学の人に向けた啓蒙入門的な岩波新書とは異なり、各分野を専門的に学ぼうとし、ある程度の基礎知識を持っている読者に向けて流行に左右されず記述に信頼あるスタンダードな基礎的学術書を供することにその創刊意図があったのであるから、総じて岩波全書には「概説」「概観」「原論」ら基本の考察書物が多いのである。特に数学と科学(物理や化学)、その他、語学分野の概説書が充実している。そのため一冊で各学問分野の総論ないしは基礎的考察をなす密度の高い、その分野では定番の古典の名著とされるものを岩波全書はラインナップに多く含んでいた。

私は岩波新書も好きだが、同様に岩波全書も好みで日々携帯して毎日の出先や旅の間の移動時にも持参して、よく読んでいた。何よりも岩波全書は「概説」「概観」「原論」の学術専門的な定番書籍が主であり、一冊で総論ないしは基礎的考察の、その分野では古典の名著とされるものが多くあるので、あれこれ多数の書物を抱え移動しなくても場合によっては岩波全書のこれ一冊さえあれば当面は読む本に弾切れなく、何度でも繰り返し掘り下げて読める「量より質」の反復の読みの楽しみが岩波全書にはあった。

というわけで「岩波新書の書評」ブログではあるが、今回から数回連続で「岩波全書を読む」として、私が昔から気に入って日々愛読している岩波全書について書いてみたい。

「岩波全書を読む」初回の今回に取り上げるのは、家永三郎「日本道徳思想史」(1954年)である。本書の概要はこうだ。

「道徳思想を中心に日本人の思想的な歩みをまとめた通史。道徳思想とはひからびた仁義忠孝の概念に限らない。我々の祖先の道徳思想がいかに豊富多彩であったか、それがどのように発展してきたかを、鮮明に照射する」(表紙カバー裏解説)

著者の家永三郎が原始古代から近代までの日本の道徳思想の通史を論じるに当たり、「道徳思想とはひからびた仁義忠孝の概念に限らない。我々の祖先の道徳思想がいかに豊富多彩であったか、それがどのように発展してきたかを明らかにする」旨からわざわざ書き出すのは、本書を執筆の1950年代がまさに敗戦(1945年)直後の時代で、その敗戦に伴う大日本帝国崩壊以前の戦前にて、近代日本では大日本帝国憲法と教育勅語を通して、あるべき正しい「道徳倫理」として天皇および国体へ向けての仁義忠孝の「道徳」精神の天皇制国家よりの上からの教育注入が国民一般に幅広く強力に行われていた実情があったからに他ならない。家永三郎は、そうした日本的忠孝仁義の国家の上からの抑圧的「道徳」注入を直(じか)に身を以て体験した同時代の日本人なのであった。だから今般の「日本道徳思想史」の執筆に際して、「本書で概観する日本道徳思想史は、ひからびた仁義忠孝の概念に限らない。我々の祖先の道徳思想がいかに豊富多彩であり、それがどのように発展してきたか」を明らかにする旨の執筆意図を家永は殊更(ことさら)に強調するのであった。

事実、冒頭の「序章・日本道徳思想史とは何か」の中で家永は、「道徳思想とは、抽象的な机上の観念的思索からなる従来の倫理学説とは明確に異なる。またその時代の政治権力から暗に奨励ないしは時に露骨に強制されて結果、社会一般に広く共有されている『人間としての正しい行為の仕方』とも相違する」ことを力説する。その上で「本書で取り扱い展開させる『日本道徳思想史』は、抽象的な観念形態のそれではなく、家族関係や階級意識や職業倫理や人間の死についての来世認識の宗教意識らを広範に含んだ人々の日常の生活に、より密着した現実具体的な生活思想に基づくもの」とする。そして、この新たな道徳思想を、以前の戦前からの大日本帝国下で奨励・強制された旧式の「道徳倫理」に対置し対抗させようとする、「日本道徳思想史」を概説するに当たっての著者の家永三郎の並々ならぬ覚悟の本意である。もちろん、それは直近の日本の敗戦に伴い崩壊した大日本帝国たる以前の近代天皇制国家に対する戦争責任問題の厳しい追及を内実とした、戦後の家永自身の切実な問題意識に支えられていた。

家永三郎「日本道徳思想史」は現行のものは全九章よりなる。初版にあった「第十章・市民の道徳思想」と「第十一章・勤労民衆の道徳思想の誕生」の近現代の時代の章を後の改版時に削除したため、本書は原始・古代から近世の江戸時代までの「日本道徳思想史」となる。各章で時代順に主に階層別(貴族、僧侶、武士、町人ら)の職業倫理や道徳思想一般を適時史料を引用紹介しながら概観する構成となっている。その中で「家族道徳思想」「生活目標」「人生観」の見出しの節が繰り返しよく出てくる。この辺りが「本書で取り扱い展開させる道徳思想とは、抽象的な机上の観念的思索ではなくて、家族関係や階級意識や職業倫理や人間の死についての来世認識の宗教意識らを広範に含んだ人々の日常の生活に、より密着した現実具体的な生活思想に基づくもの」という考察姿勢を裏打ちしたものとして、なるほど了解できる構成なのである。

本書の何よりの読み所は、「序章・日本道徳思想史とは何か」で、家永三郎が和辻哲郎の以前の日本倫理思想史研究を痛烈に批判しているところであろう。家永は必ずしも直接に和辻の名前は書かず、「支配階級が人民を制御するために案出された『賢い』策略としての倫理思想」「御用倫理学者が勿体ぶって案出した『正しい行為の仕方』としての倫理思想史」などど終始ボカシして書いてはいるけれども、あれは読む人には誰にでも分かる、間違えなく家永三郎からする和辻哲郎に対しての容赦のない厳しい批判である。和辻哲郎という人は戦前から活躍した著名な倫理学者で、尊王論ら日本の伝統的な倫理思想を昭和天皇に進講し、特に戦時にて西洋の個人主義的倫理観を批判して、近代天皇制国家へ死を以てする献身の倫理を「日本人の美徳」とし奨励するような京都学派の哲学者に近い立場にいた和辻は、家永が本書執筆の敗戦時には戦中よりの「知識人の戦争責任」を追及される問題ある倫理学者なのであった。

和辻哲郎の著作「人間の学としての倫理学」(1934年)が戦時に岩波全書から出ている。後の戦後の岩波全書の家永「日本道徳思想史」と同じく日本人の倫理思想(道徳思想)を扱っているのに、戦前の岩波全書の和辻「人間の学としての倫理学」と戦後の同じ岩波全書の家永「日本道徳思想史」は内容が相当に異なるのだった。この辺り、和辻哲郎と家永三郎の著作を読み比べてみると両者の「倫理思想」と「道徳思想」への考え方が大きく相違して非常に味わい深い。よって岩波全書の家永三郎「日本道徳思想史」を読む前後で、同岩波全書の和辻哲郎「人間の学としての倫理学」を連続して読むことをお勧めする。