アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(290)家永三郎「日本文化史」

岩波新書の黄、家永三郎「日本文化史」(1982年)は、原始・古代から近世の時代にかけての日本文化の歴史の概観である。以下のような「Ⅰ・原始社会の文化」の章での著者の家永三郎による書き出しを読むにつけ、「いかん、この人は従来型の国家の歴史を中心とする日本文化史を全否定する気だ。この人はどこまでも本気だ。国の歴史と刺し違えるつもりなのだ」と思えてくる。

「昔は国家のはじまりを歴史とする考え方が支配的であった。国家の大きな権威の前に国民をひれ伏させてきた時世では、…国家のない時代があったという事実を教えるのは、国家が人類の生活に必ずしもなくてはならないものでないことを教える結果となり、ひいては、将来ふたたび国家のない時代のくることを希望する『危険な』思想をみちびきだすおそれがあったからであろう。戦前の小学校や中等学校の教科書で原始社会の歴史が全然書かれていなかったのは、…根本的には、右のような深慮遠謀によるものであったにちがいない」(「Ⅰ・原始社会の文化」)

「国家の大きな権威の前に国民をひれ伏させてきた時世」の「国家のはじまりを歴史とする考え方が支配的であった」戦前の小学校や中等学校の歴史教科書に対決させる形で著者の家永三郎は、本書「日本文化史」にて原始の時代に関し国家の神話記述は完全忌避して、まだ国家の成立していない社会の歴史を非常にしつこく挑発的にわざと長く書く(笑)。その上で「国家の成立」は、水田耕作が始まる弥生文化にて生産力の増大により余剰物質の蓄積が可能になり、階級身分ができて、そうした物質的条件を基盤にした階級関係の政治支配維持のために階級的搾取関係たる国家が出現したとする。家永三郎は他著の記述からして、この人は本当はマルクス主義者ではないはずだが、岩波新書「日本文化史」の「Ⅱ・古代社会初期の文化」の章では、なかなかのマルクス主義の史的唯物論的な、時代の物質的生産様式に依拠した政治機構や社会関係成立の家永による解説となっている。

古代社会での国家の成立に関して、物質的な経済条件を基盤とする階級関係の政治的支配維持のために階級的搾取関係たる国家が出現したとするマルクスの史的唯物論的な国家権力の説明以外にも、例えば死者の共同祭祀の遂行や集団生活の文化継承の観点から国家が成立する側面もあると正直、私は思うのだが。とりあえず家永三郎は「従来型の国家の歴史を中心とする日本史を全否定して、どこまでも国の歴史と刺し違えるつもり」であるので、「国家=政治支配維持のための階級的搾取関係の装置」と本新書では性急に規定したがるのであった。

また「Ⅱ・古代社会初期の文化」の章から家永は、「古代日本の宗教を農耕儀礼を主とした呪術的な民族宗教であり、政治権力の神性化に貢献する権威調達の宗教」としてやたら否定的な低評価で一貫して執拗に書き重ねているけれど、それは後の中世社会における、世俗権力を「否定の論理」で相対化し批判し尽くす、ゆえに念仏弾圧で国家(幕府と朝廷)から排斥される世界宗教たる親鸞の真宗(仏教)への肯定の高評価の意識が暗に強烈にあるからに他ならない。家永三郎の日本仏教史研究、特に中世鎌倉仏教の家永の親鸞論を知っている者には、そのことは「日本文化史」を読み始めの時からだいたい予想がついて分かる(笑)。

事実、本書にて家永は「Ⅴ・封建社会成長期の文化」の章で「法然から親鸞への発展は、これまで呪術的な現世信仰に停滞してきた日本仏教が、はじめて精神的な救済に高められたことを意味する…あたらしい信仰の理論的基礎付けとして現実の生命を獲得するにいたった」と書いて親鸞の仏教理解を、「これまで呪術的な現世信仰に停滞してきた」日本の旧来の民族宗教(神道や日本的仏教)と対置させる形で非常に高く評価するのであった。

家永三郎という人は、もともと大変に貴重な「ユーティリティプレイヤー」とも称されるべき、どの時代の人物もテーマも何についてでも書ける万能な歴史学者であって、古代の聖徳太子から近代の津田左右吉まで、あらゆる時代の日本史研究の著作が家永三郎にはある。だから、全時代の日本史概説や日本史教科書は通常、複数の各時代の専門家が分筆し共同で一冊上梓する所を、この人は原始・古代から近現代までの歴史を全て独りで書き上げる。しかも家永は戦前の天皇と国家中心の翼賛歴史教科書に対する痛烈な批判と反省とを有して、実証的な戦後の歴史教科書「くにのあゆみ」(1946年)に執筆参加し、また高校日本史教科書「新日本史」(1947年)も後に単独執筆している。ところが、後の家永執筆の歴史教科書に文部省から「検定不合格」が付き、それを受けて家永三郎は「国による教科書検定制度は不当な検閲に当たる」として国を訴え長期に渡る「家永教科書裁判」(1965─97年)を起こす。

当時、検定不合格となった家永が執筆の歴史教科書が「検定不合格日本史」(1974年)のタイトルにて後に一般書籍で販売されている。その教科書を読んで「確かにこの内容の日本史教科書なら、まぁ検定不合格にはなるわな。国はこれを教科書として絶対に認めたくないだろうし、事実認めないだろう」の感想を率直に私は持った。岩波新書の家永三郎「日本文化史」は、同じ家永の「検定不合格日本史」の内容とよく似ている。

公教育はあくまでも国が主宰の教育だから、あまりにも露骨に日本の国の歴史を悪く書いた歴史教科書は、その記述が歴史的事実であり学術的に妥当なものであったとしても、国は「公的正当な歴史教科書」として認めないだろう。だいたい「修正意見」の指導か「検定不合格」の判定になる。それは一般企業で社史編纂(へんさん)をするとして、会社にとっての不名誉な事柄や歴代社長や社員の不祥事の社会的問題があったとしても、それらは事実として明確に否定も隠蔽(いんぺい)も本当は出来ないが、「あえて社史には記載するな。記載する場合でも最低限の少量記述ですませて、ごまかせ」の論理と同一である。自分(たち)にとって都合の悪いことは記載しない。残念ながらそれが大人の社会というものだ。

私は家永三郎の歴史記述の立場も内容も学術的に妥当だと思うし、彼の政治的立ち位置も理解し共感できる。家永が教科書裁判で主張するように、「教科書検定制度は実質は検閲制度であり、国家による不当な教育への干渉」だと私も思う。またそこには、国による義務教育を個人が学ぶ権利を保障する教育の権利の確立観点からではなくて、むしろ国家が国民から国への政治的忠誠心を涵養(かんよう)し効果的に最大限に引き出すために、公教育を徹底的に利用し尽くす(「教育勅語」の渙発や学校現場への「御真影」(天皇の肖像写真)の配布と儀礼的神的扱いの強要からして、そのことは明白だ!)近代日本教育史の問題の核心をつく優れた問題提起があった。家永教科書裁判の社会的かつ歴史的意義は実はこの点にある。今日ほとんどの人に、国家忠誠注入の「教化」としての近代日本の公教育の弊害側面は強く意識されないのであるが。

岩波新書の黄、家永三郎「日本文化史」以外にも、家永の書籍として彼による一連の親鸞研究、例えば「日本思想史に於ける否定の論理の発達」(1935年)が私は昔から好きで愛読している。あれは日本仏教史の中での親鸞の仏教理解の画期性について非常によく書けている。歴史研究書以外では、家永の自伝「一歴史学者の歩み」(1977年)が戦前から戦中を経て戦後までの家永の波瀾万丈な学者人生をあからさまに書いていて、読んでとても面白い。