アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(289)吉川幸次郎「漢の武帝」

漢の武帝(前159─87年)は、前漢第7代皇帝である。前漢は武帝時代に事実上の中央集権化が達成され、武帝は匈奴を始め周辺民族を従属させて儒学の官学化ををはかり、漢の全盛期を形成した。

岩波新書の青、吉川幸次郎「漢の武帝」(1949年)は、そうした漢の武帝についての評伝である。吉川幸次郎は京都大学教授の中国文学者であり、本新書を読んだだけでも吉川の中国文学や中国史や中国の思想への造詣の深さ、教養の奥行きの高踏さが感じられる。この人は、いろいろなことを広く深くよく知っている。岩波新書「漢の武帝」は武帝に関する評伝であり、幼少期から青年期、壮年期、晩年まで時系列で武帝の生涯を書き抜いている。いわば「非常に取れ高のある」実に読みごたえがあり、読んで得る所が多い新書だ。

例えば、武帝が数ある兄弟のライバルを押し退けて父・景帝の後継者となった事情に即し、皇后や内親王ら武帝をめぐる女たちの暗躍、古代の宮廷政治における女性の政治力の凄さを本書を介して知ることができる。その他、四方に遠征軍を出した武帝による外征の数々。北方と西域(内陸アジア)の匈奴や大月氏や鳥孫や大宛、南方の南越、東方の衛氏朝鮮、彼らとの度重なる戦闘と和平。それらを漢の武帝の時代に働いた衛青、霍去病、張騫ら元帥・外交官の活躍と共に古代の大陸アジアでの遥かなるスケールの壮大な景色が想像され、いささか感傷的(センチメンタル)ではあるが中国古代史は私にはいつも感慨深い。

さらに国内政治において武帝は儒学を官学化した。漢の武帝の以前、秦の始皇帝は厳しい思想・言論統制を強行して儒学は激しく弾圧された。儒学の書物は焼かれ(焚書)儒者たちは穴埋めにされ殺害されて(坑儒)、儒学は無用のものとされたのであった。その後に漢の武帝は、儒学者の董仲舒の建言を受け五経博士をおき、儒教の正統教学化を進めた。事後、儒学の学問の教養あるものが官吏に登用されるようになった。儒学の教養ある人材を各地方より推薦させ、皇帝自身で試験する制度が恒例的なものとなったは前漢の武帝の時代からである。ここに後世にまで長く続く科挙試験の制度は萌芽する。漢の武帝の治世以後、長い中国の歴史を貫く理念でもあり実践でもあった大きな一つの事柄、「政治は教養ある人間によって執(と)られねばならず、その教養は儒学でなければならない」とされたのである。

この点の「漢の武帝」による儒学の官学化を通しての、理想主義、知識主義、芸術主義から総じて文化主義的であり、ゆえに人間中心主義であり合理主義であった儒学についての吉川幸次郎の本書での名文解説を引こう。

「現代の日本人は、儒学という言葉から、陳腐なもの窮屈なものを、想像するであろう。しかし漢の時代における儒学は、最も文化的な思想であった。それはまず、人間の生活には理想的な法則がなければならぬと主張する点では、理想主義であった。またそうした法則は、過去の事例から引き出されることを主張し、つまり倫理は歴史から引き出されることを主張し、したがって読書を尊重する点では、知識主義であった。またそうした理想的な生活には、均整の取れた美しい形式がなければならぬとして、『礼楽』の必要を主張する点では、文化主義であり、芸術主義であった。またそうした理想的な生活が可能である原因を、人間の善意に求め、超自然的なものへの信仰に反発した点は、人間中心主義であり、合理主義であった。それは武帝に先だつこと四百年、孔子によって集成された学説である」(14ページ)

その他、武帝は若年を過ぎて40代の壮年期を迎えると神秘的なものへの傾斜が進み、完全な独裁者として振る舞うようになる。武帝は次第に孤独になっていく。帝の神秘に対する興味ののめり込みは最高潮に達し、祭祀に熱を上げるようになる。神々への崇敬と関連して大規模な巡幸と壮大な建造物の営建を武帝は繰り返した。この辺り、武帝の生涯を概観して、一人の男の人生として多くの人にも共通してあるであろう、壮年期に時に急に孤独になる人生の陥穽(かんせい・「落とし穴」「罠」の意味)の暗さ危うさも読んで私には非常に味わい深い。

そうして岩波新書の青、吉川幸次郎「漢の武帝」の最終章「むすび」の総括が素晴らしい。ここも著者の吉川幸次郎の名文を直接に引こう。

「それにしても、武帝が独裁君主としてもつ権力は、はなはだしく超越的であり、西洋の歴史になれた頭脳には理解しがたい、その権力のよって来るところはどこにあるであろうか…この疑問に対して、私は次のごとく答えたい。それは、一人の強力な天子によって全人類が統治されることこそ、人類の秩序を保つ方法であるという信念が、武帝の時代には最高潮に達し、また武帝はよくその期待に答えたということである。武帝の権力、というよりもむしろ権威は、そうした信念によって支えられていたと考えるのである」(219ページ)

漢の武帝の時代、古代中国には「天下は『一王』によって統治されるべしという信念」が人民の間に幅広く共有されてあったという。武帝個人が皇帝として単に優秀であったというよりは、そうした「一人の強力な天子によって全人類が統治されることこそ、人類の秩序を保つ方法である」という人々の時代の気運に支えられ、漢の武帝は当時の人々と時代の期待に見事に応えたので、その強大な権力を前漢の時代にて独り保持し、かつ周辺諸国にまで誇示することができたのであった。単なる「漢の武帝の個人礼賛」に止(とど)まらない、古代中国史の時代の気風をも押さえた吉川幸次郎の「漢の武帝」に関する総括の「むすび」の考察は実に見事だという他ない。

「武帝の時代は中国史上最も輝かしい時代として伝えられている。武帝が十六歳の若さで帝位についた西紀前一四一年には、漢国は隆盛を誇り、国力は上昇の一途にあった。独裁君主として権力を握った武帝の闊達(かったつ)で積極的な性格を生きいきと描きながら、政治的文化的に偉大な足跡を中国各所に残した時代の空気を興味あふれる筆致で描く」(表紙カバー裏解説)