アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(486)波多野精一「原始キリスト教」(岩波全書を読む2)

私が大学進学する前、まだ10代だった頃、日本近代文学を専攻して本格的に学んでいる人が、自分の学生時代には「近代とは何か、西洋の個人主義を本当の意味で理解するには、何よりもキリスト教を学び知っていなければならない」と指導教授に言われ、大学院生の時から毎週日曜日にキリスト教会に通わされていた、洗礼など強要されキリスト者になることを強制すると個人の「信教の自由」侵害の人権問題になるから、さすがに洗礼や入信の働きかけはなかったけれど、「とにかく近代文学をやるならキリスト教を知っておくべき」と言われ学ばされた、という話を聞いて衝撃を受けた。

それで私も大学入学後にキリスト教を学ぼうと思って、「キリスト教とは何か」のキリスト教理解に一時期、奮闘していたことがある。私は、特にキリスト教系の大学や神学部や宗教学専攻の学科に進学したわけではなかったし、家族・親族にもキリスト教信仰を持っている人は皆無であったけれども。10代から20代の早い時期にキリスト教について集中して学べたのは後々、振り返ってみて自分の「人生の宝」というか、自身にとっての「大きな収穫」であったと思う。

確かに世界史の中のヨーロッパ史を表層だけでなく本質的に深く知るには、キリスト教についての知識が必須なのである。また西洋哲学史において、例えばドイツ観念論のカントを読む際、カントはかなりのゴリゴリの敬虔なキリスト者で彼の哲学はキリストの神への信仰に相当な根拠を持っているのであるから、キリスト教を知らなければカントは読めないし、本当の意味でカントの哲学は理解できないのであった。さらに近代日本の教養主義の系譜は(ここでは「教養とは何か」を明らかにしようとすると長くなるので述べないが)「内村鑑三─ 矢内原忠雄・南原繁─ 丸山眞男・福田歓一」の東京大学の知識人の師弟関係に求められ、丸山眞男の例外を除いて内村鑑三から福田歓一まで、ことごとく皆がキリスト教信仰を有するキリスト者なのであった。そうして彼らの聖書研究や政治学研究、その時々の時代の政治的発言と行動は、自身の内にあるキリスト教信仰から来るある種の普遍感覚のようなものに確実に支えられていた。そのことを私はキリスト教研究にての聖書知識と教団の歴史とを学び、同時に内村鑑三から矢内原忠雄と南原繁、南原から丸山眞男と福田歓一の各人の研究著作を読んで痛感したのである。

よって、特に日々教会に足を運び洗礼を受けたキリスト教における神への信仰を何ら持っていなくとも、また神学部や宗教学専攻の学科に進学して聖書学を専攻していなくても、キリスト教について学び、ある程度の概要を教養として知っておくことは有益なことであると思う。

岩波全書の波多野精一「原始キリスト教」(1950年)は、大学生になってから割合早い時期に読んだ。本書を初読の時、私は少し感動した。「なるほど」の読んで腑(ふ)に落ちる納得の手応えの感が確かにあった。

「原始キリスト教」は、「基督教の起源」(1908年)に続く波多野精一のキリスト教講義の著作である。最初の「基督教の起源」は明治39(1907)年の京都大学での「宗教学特別講義」の講義録に基づいた書籍で、他方、後の「原始キリスト教」は大正の終わり頃に同様に京都大学にてなされた宗教学講義の原稿である。波多野精一逝去の1950年に、生前に未発表であった講義ノートの原稿が、新たに発掘の形で波多野への追悼の意を込めて岩波全書から出されたのであった。大学講義では、語る内容の大枠だけ前もって大まかに決めておき当日に割とフリーハンドで自由に語る人もいれば、講義前日までに厳密な講義ノートを作成しておいて当日教壇上にて、あたかもアナウンサーがニュース原稿を読むように、そのまま読み上げる人もいる。波多野精一はどうやら後者のタイプの人だったらしく、講義当日までに講義録のノートを相当に細かく前もって作成し準備する方であったらしい。その講義ノートが波多野逝去の節目にあたり発掘され、今般の岩波全書「原始キリスト教」として刊行の運びとなるわけである。同じ講義録なら、明治の昔の時代のものよりも後の大正の同じコマの内容講義の方がより習熟して改善もされ洗練された詰めた内容になっているはずだから、波多野精一のキリスト教講義の講義録をあえて一冊選ぶとすれば、以前の「基督教の起源」(本書は後に岩波文庫から復刊・再発されている)よりも、後の岩波全書「原始キリスト教」を選択して読み込むほうが良いと思われる。

波多野精一「原始キリスト教」は、「ユダヤ教」と「イエス」と「パウロ」の三つの論考よりなる。この三つは全く無関係に独立してあるわけではなく、二番目の「イエス」は一番目の「ユダヤ教」からの信仰形態の継承と批判的乗り越えを含み、同様に三番目の「パウロ」は二番目の「イエス」からの信仰の継承と発展をなす、それぞれの連結内容を明らかにすることで、「ユダヤ教」「イエス」「パウロ」の時系列に整序された三項の内実をその都度押さえることを通して、最終的に「原始キリスト教」の全体を総体的に明らかにしようとするものである。しかも最初の「ユダヤ教」は、同時代のギリシア神学との対立相違を明らかにすることで、「ユダヤ教」の特質を明確にする手法を波多野は取っている。例えば本書の「ユダヤ教」の章にある

「今ギリシア人の神観と比較するに当って、最も際立って吾々の眼に映ずるユダヤ教の特徴は、ヤーヴェが己の自由なる意志をもって凡てを、そして特に民族の歴史を、支配する活きたる人格的神であったこと、次にこれと密に関連して、彼の本質が道徳的価値に存したことである」

の文章をはじめて読んだ初読の際のことを、もう何十年も昔のことになるけれどまるで昨日のことのように私はよく覚えていて、「なるほど、そういうことか!」と昔は痛く感動したけどな(笑)。

波多野精一はキリスト者で洗礼を受けていて、この人は、内村鑑三らと共に明治にプロテスタント派の教会形成を日本でなし、近代日本にキリスト教を根付かせた植村正久の弟子筋にあたる人で、波多野のキリスト教理解には確かな揺るぎのない信頼できるものがあるけれど、同時にドイツ留学もしてスピノザやカントらの西洋哲学にも造詣が深い方であって、20代前半で早くも「西洋哲学史要」(1901年)を書き上げ公刊した誠に早熟で優秀な人であった。そうした以前に「西洋哲学史要」を書き上げた際の、西洋哲学史における哲学者各人の歴史時代ごとの哲学的思索の批判的継承と発展深化の論じ方の手際(てぎわ)の良さが、「原始キリスト教」の歴史を総体的に考察し論じる際の波多野の著書にもよく表れている。その辺りが波多野精一「原始キリスト教」全体を貫く論理の何よりの読み所であると私は思う。

「キリスト教入門」とか「聖書解説」など、世の中には「私はキリスト教のことをよく知っているし、聖書も広く深く読めている」と自称し自負する人が大層多くいて、そうした人が執筆のキリスト教書籍は数多くあるけれど、だいたいそれら書籍は主観的で独我的な聖書の読み方のキリスト教理解にて、何だか怪しく説教臭いのである(苦笑)。そういった意味でも、西洋哲学史の論じ方の客観手法に支えられた学術的な波多野精一の「原始キリスト教」を始めとする著作を、波多野の「西洋哲学史要」らの哲学史の仕事も併(あわ)せて読まれると良いのではないか。

確かに、波多野精一(1877─1950年)は明治・大正から昭和の終戦直後の時を生きたキリスト者であり、昔の時代の宗教哲学の研究者である。特に荒井献(1930年─)や八木誠一(1932年─)や田川建三(1935年─)ら後の世代の新約聖書学者の著作の研究仕事を読むにつけ、波多野精一のキリスト教研究は読みの精密さ、史料批判のあり方、時代状況との読み重ねにて修正再考を促される点も実はある。しかし明治・大正の昔の時代のキリスト教研究の宗教学講義といっても、波多野による考察内容はそこまで的外れで現在では全くの無効というわけでもなく、近代日本の宗教学の古典として今でも無心に読まれるべきものは十分にある。

岩波全書からはキリスト教関連書籍として、石原謙「基督教史」(1948年)、前田護郎「新約聖書概説」(1956年)らも出ているが、それら書物への評価も同様だ。昔の古い時代のキリスト教研究として忘れ去られ埋もれさせるには余りにも惜(お)しい輝ける古典のキリスト教関連著作が、岩波全書には波多野精一「原始キリスト教」を始めとして数多くあることも事実である。