アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(520)今野元「マックス・ヴェーバー」

2020年は社会科学者であるマックス・ヴェーバー(1864─1920年)の没後百年の節目に当たり、ヴェーバー関連の書籍が数多く刊行された。今回の「岩波新書の書評」で取り上げる新赤版の今野元「マックス・ヴェーバー」(2020年)も、そのうちの一冊である。

「『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をはじめ、今も読み継がれる名著を数多く残した知の巨人マックス・ヴェーバー(一八六四─一九二0)。その作品たちはどのようにして生み出されてきたのか。百花繚乱たるヴェーバー研究に新たな地平を拓く『伝記論的転回』をふまえた、決定版となる評伝がここに誕生」(表紙カバー裏解説)

これまでのマックス・ヴェーバー研究では、彼の主要著作を任意に挙げその都度、読み方解釈が解説なされてきた。例えばヴェーバーの代表作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1904年)、「職業としての学問」(1917年)、「経済と社会」(1921年)らに関し、その言わんとする内容を適切に読み取り、それをマックス・ヴェーバーの業績の高評価につなげ、さらにこのヴェーバー著作から読み取れる所を現代社会や特に近代日本の歴史に落とし込んで、現代社会の問題指摘や日本の近代化批判に活かすような研究操作が一般的であった。そして、このような手法を取る従前のマックス・ヴェーバー研究の蓄積は膨大な数に上(のぼ)る。まさに「百花繚乱たるヴェーバー研究」の様相であるのだ。

今般の今野元「マックス・ヴェーバー」は、それら先行研究とはヴェーバーへの近接方法が少し異なっている。つまりは従来のようにヴェーバーの著作を任意に挙げて、読み方の解釈を自由に論じるのではなく、彼の生誕から逝去まで、同時代のドイツの歴史を随時参照しながら時系列の年単位で厳密に人生の行く筋を追跡することにより、マックス・ヴェーバーの生涯とその思想的営みの内実を見極めようとする「評伝」記述の手法を一貫して取っているのである。著者は本新書冒頭にていう、

「本書は、マックス・ヴェーバーの『人格形成物語』を描く試みである。その狙いは、個別作品の鑑賞ではなく、それを生み出した文脈、つまりヴェーバーの生涯およびそれを取り巻く歴史的文脈の解明にある。こうした手法的転換を、本書では『伝記論的転回』と読んでいる」(「はじめに」)

また本書巻末にても、

「私はヴェーバー研究の『伝記論的展開』を提唱している。…作品解釈に没頭する従来の研究手法を転倒させ、書簡などを用いて作品の背後にあるヴェーバーの生涯を整理することにした。というのも、思想とは結局のところ、状況に応じた対機説法にほかならないからである。それはちょうど、映画をそのメイキング映像と合わせて鑑賞するようなものである。思想研究と歴史研究との融合と言ってもよい」(「おわりに」)

なるほど、マックス・ヴェーバーにおける個別作品の解釈ではなく、「伝記」を押さえ理解することの「手法的転換」を通してなされる、本書はヴェーバーその人についての「人格形成物語」である。確かに、本書は著者みずからが言う通り「伝記研究」なのである。没後百年の節目で手に取り読んだ幾つかのヴェーバー関連書籍のうち、岩波新書の今野元「マックス・ヴェーバー」は、私には強く印象に残った。読んで新鮮に感じた。というのも、これまで主に私か読んできたマックス・ヴェーバー研究は、任意の著作を主に挙げて読みの解釈を自由に論じる方法、著者がいう所の「作品解釈に没頭する従来の研究手法」に依拠するものがほとんどで、そこまで時系列の評伝記述にこだわったヴェーバー研究を意識的に読んだことがなかったので。

私は、これまでマックス・ヴェーバーについては経済史学者の大塚久雄(1907─96年)のものを中心に愛読してきた。2000年代以降の現在ではそうでもないが、日本の戦後(1945年)から大塚が存命中の1990年代くらいまでは、大塚久雄は日本におけるマックス・ヴェーバー研究の第一人者であり大家であって、ゆえに影響力があった。何よりもヴェーバーの代表作である「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を本格的に日本語全訳(1955年、岩波文庫)したのは大塚久雄であったし、大塚は十五年戦争時の戦中から1945年の敗戦を経ての戦後民主主義の時代に至るまで、いつの時でもヴェーバーに言及し続けた人だった。

大塚はマックス・ヴェーバーを通して、戦時の天皇制ファシズムの神権性・非合理への傾斜の前近代的なものを合理的な近代主義の立場から後に明確に批判できたし(「魔術からの解放」1946年)、他方で「精神なき専門人、心情なき享楽人」といった近代人の疎外状況や近代社会における画一的個の強制、官僚主義のセクショナリズムの問題指摘(「生活の貧しさと心の貧しさ」1978年)の反近代主義の論説も同時に展開できた。大塚久雄はヴェーバーに絡(から)めていつの時代でも近代化論の是非議論にて自在であった。そうした大塚久雄から主にマックス・ヴェーバーを学び知った私には、その都度、大塚が提示するヴェーバー像の読み解きに夢中で各論の断片がバラバラにあった。そのため今回、改めて今野元「マックス・ヴェーバー」を手に取り、ヴェーバーの生涯を時系列で評伝的に追跡し読めて、それが新鮮で新たな感慨であったのだった。

本新書を読んで、ヴェーバーの学問を志(こころざ)す学生時代から論文・著作執筆にて世に知られ大成する成年期、さらには精神的不調に悩まされる壮年期、晩年とその生涯の評伝記述を読むにつけ、マックス・ヴェーバーその人への理解が深まる。本書巻末の「マックス・ヴェーバー略年譜」を見るにつけても、ヴェーバーの学歴と職歴、公演録と論文・著作の発表、病歴や海外渡航の履歴まで西暦年だけでなく詳細な日付まで記述してあるのは、本文ともどもに読んで大変に参考になる。この点で本書は有益である。本新書を一読して「人に歴史あり」の率直な感慨を私は持つ。

1860年代から1920年までのヴェーバーが存命した時代の母国ドイツは、普仏戦争(1871年)でのフランスに対する勝利を経て、宰相のビスマルク、そして皇帝のヴィルヘルム2世の親政により大きく発展しドイツ帝国は世界各地に覇権を広げ英仏と激しく対立する帝国主義的世界政策を推進して、しかし第一次世界大戦の勃発(1914年)にてドイツは敗北を喫し、ついで戦時の国内反乱にてのドイツ革命でドイツ帝国が崩壊し皇帝は亡命してドイツ共和国の成立(1918年)を見るというドイツ国民にとっては激動の時代であった。そのような時代に生きて、マックス・ヴェーバーが若い時代に当時の「最新」流行であった社会ダーウイニズムへの傾倒にて優勝劣敗で自然淘汰の社会思想に基づき、自身のドイツ国民でゲルマン民族である強者の立場から社会的弱者であるポーランド労働者排斥を唱えた。また第一次世界大戦の開戦時、ヴェーバーはすでに50歳で健康に優れなかったが、予備役招集に応じ自ら戦地に行っている。戦時の彼はドイツ人同胞の精神的高揚に感激し、まさに愛国的であった。ヴェーバーが第一次大戦時にドイツの参戦に高揚しドイツの勝利を心底願って、ある種の排外的民族主義やナショナリズムにのめり込んでしまうのも致し方ないことであった。

かのマックス・ヴェーバーといえども学問的真理や正しい倫理思想に常にたどり着けた誤謬(ごびゅう)なき超人などでは決してなく、彼も時代と共に生きてその時々の歴史の風潮や社会の大勢に影響を受け左右される「時代の子」であったのだ。

今野元「マックス・ヴェーバー」では、ヴェーバー評伝の最後に「マックス・ヴェーバーとアドルフ・ヒトラー」の終章を置き、ヴェーバーとヒトラーの共通部分を挙げて本論記述を結んでいる。

「二人(註─ヴェーバーとヒトラー)の共通部分の背景にある共通基盤とは何なのか─それはやはり主体性の希求を通じた『闘争』の志向だろう。従来は、主体性(近代的自我)とは抑圧と侵略とに抗する砦(とりで)であり、その涵養(かんよう)が戦後(=第二次世界大戦後)日独の政治課題である。…主体的な人間は他者との対決を厭(いと)わず、また自分が帰属意識を有する集団にも主体性を求めることがあって、それが行き着けば排除にも戦争にもなる」(「マックス・ヴェーバーとアドルフ・ヒトラー」)

ヴェーバーが没した1920年にヒトラーはドイツの政治の表舞台にまだ登場していない。1920年のヒトラーといえば、第一次世界大戦でドイツ帝国の義勇兵として戦場に赴くも、マスタードガスによる一時失明とヒステリーにより病院に収監。入院中に第一次大戦が終結して、この後、ドイツ労働者党の活動に入り軍を除隊。ヴェーバーが56歳で没した1920年にヒトラーは31歳で、ヒトラーがナチ党で最初の国政選挙に臨み国会議席獲得を果たして、いよいよ政治の表舞台に大々的に登場し人々に注目されるのは、この8年後のヒトラーが39歳の1928年であり、時間的に大きな隔(へだ)たりがある。ヴェーバー評伝の最後にヒトラーを連結するのは、いかにも唐突である。

当然、ヴェーバーとヒトラーとの間に直接の交流はない。にもかかわらず、「二人の共通部分の背景にある共通基盤とは何なのか─それはやはり主体性の希求を通じた『闘争』の志向だろう。…主体的な人間は他者との対決を厭わず、また自分が帰属意識を有する集団にも主体性を求めることがあって、それが行き着けば排除にも戦争にもなる」とまで述べて、ヴェーバーにおける近代人の主体性の強調が、そのまま後の時代のドイツのヒトラーにおける排他的民族意識や軍事的侵略主義の社会国家主義のファシズムに直結して、あたかもヴェーバーが後のヒトラーの思想的階梯(かいてい)の前段階をあらかじめ用意したような書きぶりになっている。その上でヴェーバーにもヒトラーにも両者に共通するのは「近代的自我による主体性の希求を通じた『闘争』の志向」の「悲劇」であり、それゆえマックス・ヴェーバーの生涯の評伝記述の見出しのラベルは「主体的人間の悲劇」になるのである。確かに、岩波新書の今野元「マックス・ヴェーバー」のサブタイトルは「主体的人間の悲喜劇」なのであった。

この辺り、マックス・ヴェーバーも時代と共に生きてその時々の歴史の風潮や社会の大勢に影響を受け左右される「時代の子」であったので、第一次世界大戦前後のドイツの民族主義やナショナリズムに傾倒するのも仕方のない気がする。たとえヴェーバーが一時的に当時の「最新」流行であった社会ダーウイニズムへの傾倒にて優勝劣敗の自然淘汰の社会思想に基づき、(後のヒトラーによるナチス・ドイツのユダヤ人排斥やファシズムの侵略主義を連想させるような)自身のドイツ国民でゲルマン民族である強者の立場から社会的弱者であるポーランド労働者排斥を唱えたり、第一次大戦時にドイツの参戦に高揚しドイツの勝利を心より願って自国の勝利に熱心であったとしても、それら評伝記述の状況歴史的な言動以外の所で、ヴェーバーの学問的業績の価値や意義が損なわれることなない。思えば、ヘーゲルは同時代のフランス革命時のナポレオンに一時は心酔していたし、ハイデッガーも第二次世界大戦時の母国ドイツのヒトラーに共感を寄せ支持していた。だが、それら状況歴史的な実際の言動と彼らの哲学思想の業績はやはり別物である。

またマックス・ヴェーバーの生涯をして、「近代的自我による主体性の希求を通じた『闘争』の志向」=「主体的人間の悲喜劇」などと後の時代のヒトラーと同一視して論じまとめているが、そもそも近代という時代は、状況や対象に対し人間個人の自我が積極主体的に働きかけて認識し思考し発言して行動する「主体性の希求」発露の時代なのであって、その人間個の主体性の発露をヒトラーの自伝「わが闘争」(1926年)に暗に引きつけて「人間の主体性の希求」=「闘争の志向」などと大げさに言う必要もない。確かにマックス・ヴェーバーは近代ドイツに生きた人なので、彼に「近代的自我による主体性の希求」はあったが、それはヴェーバーのみならず、同様に近代の時代に生きたヒトラーにも、また現在この文章を書いている私にも、そしてこの文章を読んでいるあなたにも、つまりは近代の時代に生きる人には誰でも普通にあるものだ。近代の時代に生きる人には誰にでも、おおよそ「近代的自我による主体性の希求」といったものはある。

マックス・ヴェーバー評伝にて、「近代的自我による主体性の希求を通じた『闘争』の志向」、それはすなわち「主体的人間の悲喜劇」などと大げさに呼び、ヴェーバーを後の時代のヒトラーと一括し同一視して乱暴にまとめてしまうのは、本書を最後まで読んで正直、馬鹿らしい思いもする。岩波新書の赤、今野元「マックス・ヴェーバー」を手に取り、ヴェーバーの生涯を時系列で評伝的に追跡し読んで、それが従来のヴェーバー研究の近接方法とは異なり新鮮で新たな感慨を引き起こす良評価の側面があったとはいえ、少し残念な結語の読み味である。