岩波新書の赤、富永茂樹「トクヴィル」(2010年)には私が尊敬する好きな人物が二人いる。一人は本書のタイトルになっているトクヴィルであり、もう一人は本書の著者である富永茂樹である。
まずトクヴィルについて。アレクシス・ド・トクヴィル(1805─59年)はフランスの政治思想家・政治家。裁判官よりキャリアをスタートさせ、国会議員から外務大臣まで務め、三つの国権(司法・行政・立法)全てに携わった。トクヴィルはノルマンディー地方の貴族であり、生家は大地主という由緒ある家柄だったものの、フランス革命の際に親戚が多数処刑されたことから、リベラル思想についての研究を行っていた。その後ジャクソン大統領時代のアメリカに渡り、アメリカの諸地方を見聞しては自由・平等を追求する新たな価値観のもとに生きる人々の様子を克明に記述した。それは後に「アメリカのデモクラシー」(1835年)としてまとめられている。
30歳の時、家族の反対を押し切り、英国人でフランスに移民した平民階級の女性のメアリー・モトレーと結婚。1848年の二月革命の際には革命政府の議員となり、更に翌年にはバロー内閣の外相として対外問題の解決に尽力した。トクヴィルの政治手腕はなかなか鮮やかなものがあったが、1851年のルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)のクーデターに巻き込まれて、逮捕され政界を退くことになる。その後は著述および研究に没頭する日々を送り、二月革命期を描いた「回顧録」(1893年)と「旧体制と大革命」(1856年)を残し、1859年に母国フランスで肺結核のため54歳の生涯を終えた。
次に富永茂樹について。富永茂樹(1950─2021年)は日本の社会学者。京都大学人文科学研究所教授を経て、同大名誉教授。知識社会学専攻。著書に「都市の憂鬱・感情の社会学のために」(1996年)、「理性の使用・ひとはいかにして市民となるのか」(2005年)などがある。富永の著作は意外に少ない。富永茂樹は書籍をやたら量産・連発しないところがよいと思う。富永の控えめで高踏余裕なところが昔から私は好きだ。富永茂樹は悪目立ちでやたら大きな声で言いふらしたり無駄に書き散らかしたりしない慎(つつし)みの深さが書籍を介して、この人は人として信用できる。実績自慢の自己宣伝が過ぎる外張りの人よりも、人間は人知れず真面目で堅実な人が一番えらい。
私は、富永茂樹「都市の憂鬱・感情の社会学のために」を大切に所有して昔から折に触れ愛読してきた。今では富永「都市の憂鬱」は希少で古書価格が高騰しているようである。以前に大学入試センター試験の国語の現代文(2001年度)で富永「都市の憂鬱」が問題文に採用されているのを見た時、昔から富永茂樹を読んで知っている身として少しだけ感動した。こんな所で思いもかけず富永の文章を読めるとは、の驚きがあった。
ここで岩波新書「トクヴィル」の目次を見よう。本書は冒頭と末尾に序章と終章とを置いて、全六章よりなる。
「序章・深さの肖像。第1章・憂鬱という震源─デモクラシーへの問い、自己への問い。第2章・運動と停滞─平等の力学の帰結。第3章・切断と連続─アンシャン・レジームとフランス革命。第4章・部分の消失─分離する個と全体。第5章・群れの登場─新しい社会と政治の姿。第6章・形式の追求─人間の条件に向けて。終章・トクヴィルと『われわれ』」
トクヴィルの主著「アメリカのデモクラシー」「回顧録」「旧体制と大革命」には、いずれも新世界・アメリカと母国・フランスの民主政(デモクラシー)に関し、それらが市民革命を経て達成された近代の自由と平等の成果であるにもかかわらず、民主主義礼賛の肯定面だけでなく、早くもその限界の批判的考察まである。ゆえに富永茂樹がトクヴィルを読み論じる際にも、デモクラシーの議論に「深さの肖像」や「憂鬱という震源」の陰鬱のトーンが絶えず入り混じる。富永によれば、かのトクヴィルは「深さを湛(たた)えたトクヴィル」に他ならないのであった。
「深淵」や「憂鬱」など、これらは物事の見かけの表層に惑わされず、人間と社会をその奥底まで冷静に観察し物事の本質・原理まで見透かして初めて獲得できる人間の感情認知である。物事の変化の表層に気を取られ自身にとっての損得勘定に振り回されて一喜一憂する軽薄な者は、そもそも物事への観察の深さである「憂鬱」の感情認知に達することなどできない。本書にて「深さを湛えたトクヴィル」と述べる富永茂樹は、トクヴィルと共にそうした人間と社会をその奥底まで冷静に観察し物事の本質・原理まで見透かして、確かに「憂鬱」に到達できる優れた社会学者であった。岩波新書「トクヴィル」に加えて、富永の旧著「都市の憂鬱・感情の社会学のために」タイトル中に「憂鬱の感情」なる言葉があることを改めて確認されたい。富永茂樹の知識社会学にはいつも「憂鬱」の感情が中心にあった。思えば富永茂樹という人はトクヴィルと共に、トクヴィルのみならず、カントでも夏目漱石でもジラールでも決まって「憂鬱」の点から論じる考察の「深さ」がウリで、そこに富永の知識社会学の骨頂があった。
富永茂樹「トクヴィル」には少なくとも三つの読み味があるように思う。前半の三つの章での、主に「アメリカのデモクラシー」にて人々は権利保障の「法の下の平等」を確保した途端に、他者に対する自己の優越や嫉妬の感情が各人の間に早くも湧き上がってきて抑えきれなくなる「デモクラシー下での平等の憂鬱、自己への問い」の考察は、ジラール「欲望の現象学」(1961年)を介して近代文学の文芸批評を主にやった同じ知識社会学の作田啓一の論考を思い起こさせる。後半の三つの章にて、主に「アンシャンレジームとフランス革命」を通して民衆は「自身がエゴイズムや虚栄心にとらわれ物質的な享楽への熱望」に浮かれて「中産階級の卑小な安楽」追求に終始する「分離する個と全体、新しい時代の群衆の登場」をトクヴィルないしは富永が批判的に論ずる様は、ガゼット「大衆の反逆」(1929年)での平等主義的な組織大衆への批判の後の議論を早くも思い起こさせる。そして最終章の「トクヴィルと『われわれ』」にての、トクヴィルの日本での受容、近代日本におけるトクヴィルの読まれ方に関し、福沢諭吉、徳富蘇峰、夏目漱石、丸山眞男らを取り上げる論じ方は、そのまま丸山眞男ないしは丸山の弟子である、いわゆる丸山学派の人が書いたトクヴィル論のようでもある。
トクヴィルは、アメリカ独立革命やフランス革命を通して近代の民主政治を一応は肯定しながらも、しかしその民主主義を「多数派による専制政治」と断じて、経済と世論の腐敗が近代民主政には付きものであり、多数派世論に扇動される民衆の、今日の安易な大衆人気取りのポピュリズム(衆愚政治)といった民主政治批判にも通じる、現代民主主義の危機をフランス革命時の19世紀の時代に早くも指摘できていた。その指摘は、トクヴィルその人がフランス革命の同時代に生きて、貴族の出自という由緒ある家柄だったことから革命の際に彼の親戚は高揚した平民の革命勢力から多数処刑され、しかしトクヴィルは自身の優れた政治手腕により革命政府側の議員となって外相ら重責を歴任するも、後にナポレオン3世の国民人気の「民主的な」革命専制のクーデターに再び巻き込まれ逮捕され政界を退いて、最後は著述および研究に没頭する日々を送ることを余儀なくされた自身の苦い人生経験に確かに裏打ちされたものであった。トクヴィルは自分の実生活の生涯をして、近代民主主義のもと多くの人々が扇動され時に高揚して非合理な政治的言動に容易に流される「多数派による専制政治」の危険を誰よりも身にしみて深く感じ知っていたのである。
近代の民主政治下における、分断され形式的に「平等」化された個人が必ずしも政治的・倫理的に正しい民主的な選択をするとは限らない。「多数派の専制」という「民主的ではあるが自由主義的ではない」事態は往々にしてあり得る。そうした民主主義下における「多数派の専制」=「民主的ではあるが自由主義的ではない」問題は、本書には明記されていないが、例えば第一次世界大戦後のドイツの「ワイマールの悲劇」(当時最も民主的で世界史的な画期と評されたワイマール憲法下にて、ドイツ国民の自由で「民主的な」政治選択により、立法議会の否定や外国人排斥を訴えるヒトラーのナチスが支持され、その台頭を許した結果、民主的なワイマール共和国体制が、わずか十数年でナチスの独裁政権に合法的に取って代わられた悲劇的事案)を思い起こしてもらいたい。こうしたトクヴィルの鋭い指摘は本書にて第5章の「群れの登場」での「民主的な専制」の節で、より具体的には「精神にまで及ぶ権力」と「行政の中央集権化」の問題として詳しく述べられている。この箇所が岩波新書の赤、富永茂樹「トクヴィル」の最大の読み所である。
「『アメリカのデモクラシー』『アンシァン・レジームとフランス革命』で知られるフランスの思想家アレクシス・ド・トクヴィル(一八0五─五九)。デモクラシーのもとで生じる政治と社会の変容に透徹したまなざしを向ける彼は、人間の未来をどう考えていたのか。生涯いだいていた憂鬱な感情を手がかりにして、今に生きるその思想を読み解く」(表紙カバー裏解説)