アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(55)熊野純彦「和辻哲郎」

熊野純彦に関して良くも悪くも、いつも気になるのは彼の感傷的(ロマンティック)過ぎる甘い語り口だ。これは語り口の問題だから著述内容の正誤や妥当性、考察の深さに直接に関わりなく、確かに外的で形式的な読み手に与える印象の問題であるだけなのかもしれない。語り口の問題は熊野純彦の人間的資質から来るもので、この人が普通に語らずにロマンティックに甘く語ってしまうのは、いつも本人がそのように語って書きたいからでどうしようもない。しかしながら、彼の著作を読むたびによくよく考えてみると熊野の感傷的な甘い語りが論述内容そのものに案外、影響を及ぼしているのではの感慨も私は持つ。

近年の岩波新書「マルクス・資本論の哲学」(2018年)表紙カバー裏解説や本論「まえがき」にての、「資本制が圧しつぶしてゆくちいさな者たちへの視線も、できるだけ汲みあげてゆきたい」の記述は、いかにも熊野純彦らしい。「資本制が圧しつぶしてゆくちいさな者たち」というような甘い言葉の解説は、現前の政治や経済を文学的な感傷的観念にて語らず、ゆえに誤魔化さずに厳密な社会科学の分析を通して政治や経済そのものを「批判」し乗り越える冷徹さを真摯(しんし)に志向したマルクスとエンゲルスの「資本論」構想執筆の思いを汲(く)んでいない気がする。「資本制が圧しつぶしてゆくちいさな者たち」などと言うのはロマンティックで甘い、いかにもな「熊野節」だ。そうした語り記述でなくとも現実には、ただ単に「資本制が幅を利かせて跋扈(ばっこ)する近代社会にて人間疎外にさらされて抑圧される大勢の人達」がいただけのことだからである。

熊野純彦「西洋哲学史」全二冊(2006年)が良かったのは、哲学史概説の伝統ジャンルに熊野が果敢(かかん)に挑み古代から近現代までの西洋哲学の歴史を一人で書き抜いて、その都度、触れなければ前に進めない哲学史記述の雑事(哲学者の生涯の概観、著作の概要、中核思想の解説)に熊野が追われていたため、いつもながらの熊野純彦の感傷的な甘い語りを書き入れる余裕の隙(すき)が他著と比べて少なかったことによる。その代わりに本論の哲学史論述以外の箇所「あとがき」での、例の「むかしから花火が好きでした。…花火大会が終わったあとの、なんともいえない淋しさ、やがては燃えつきる線香花火の儚(はかな)さ」云々にて、最後の最後に相変わらずの熊野の甘い感傷語りを読者は、やはり味わわされる羽目になるのだが。

熊野純彦「戦後思想の一断面・哲学者廣松渉の軌跡」(2004年)も感傷的で甘すぎた。廣松渉は熊野純彦の師であるが、師匠の廣松に対する弟子の熊野の記述が感傷的過ぎて私は熊野「戦後思想の一断面」を読むのが辛かった。恩師・廣松渉に対する熊野純彦の思い入れが強すぎて、しかもそれが隠されることなく直に熊野の感傷語りに乗せられ露出し(少なくとも私は)読んでいて苦しいのだ。

岩波新書の赤、熊野純彦「和辻哲郎・文人哲学者の軌跡」(2009年)も感傷的な「熊野節」の書き出しである。冒頭の「まえがき」にての「北鎌倉駅をおりて、改札を抜けると、やがて東慶寺である」の和辻の墓参り、それに続く「序章・絶筆」での「ひとつの生涯の本質的なありようは…」云々の「生のはじまり、生のおわり」の人間実存を熊野が説く、どうしようもなく甘い記述が連続する。しかしながら熊野「和辻哲郎」が、いつもの様に熊野純彦の和辻哲郎に対する感傷的語りが過剰であるにもかかわらず、「全体として苦もなく読め、結果的によい読後感に落ち着く」のは、廣松に接するのとは勝手が異なる熊野純彦の和辻に対する適度な人的距離感と、本新書が思想紹介や解説批判の和辻の思想を対象とした社会科学の研究書ではなくて、和辻哲郎という人間そのものを描き出す人物評伝のジャンルに属する書籍であるからに相違ない。

岩波新書「和辻哲郎」は、2007年に岩波文庫に入った和辻「倫理学」全4冊に付した熊野の巻末解説をまとめて再構成したものである。全四章からなり、各章は3つの節から構成され、さらに各節は3つの項より成る。章・節・項の長さが各々均質で各タイトルも簡潔で統一感があり整然と並べられていて、和辻哲郎の生涯の軌跡を幼年から晩年まで時系列で一気に書き抜いている。

和辻が東京大学教授を停年退官したのが1949年であり、1960年に和辻哲郎は逝去している。そして熊野は1958年の生まれだから、同じ東京大学在籍の経歴がありながら熊野は和辻を直接に知ってはいない。「学生・院生時代をすごした研究室では、和辻哲郎を『和辻先生』あるいは『和辻さん』と呼ぶのがならわし」であり、まだ自身が「駆け出しの研究者」であったころ、主任教授から「和辻をどう思うか」と訊かれ、「そのころは、和辻の作品をそれほど読みこんではいなかった」ため「ことばに詰まった」旨を熊野は本書「あとがき」に書いている。 直接に指導を仰いだ恩師の廣松渉と違い、熊野純彦が和辻哲郎と直に面識がなかったために和辻に関する熊野の語りが過剰な感傷の深みにはまらない「幸運」が本新書には確かにあった。

「『古寺巡礼』『風土』等、流麗な文体により、かつて青年の熱狂をかきたてたことで知られる和辻哲郎。彼は同時に、日本近代が生んだ最大の体系的哲学書、『倫理学』の著者でもある。日露戦争前夜に生まれ第二次大戦後におよんだその生と思考の軌跡は、いかなる可能性と限界とをはらむものだったのか。同時代の思想状況を参照しつつ辿る」(表紙カバー裏解説)

私達が和辻哲郎に関し読むべき点は、およそ以下である。和辻の「流麗な文体」、熊野は和辻哲郎を「文人哲学者」と規定しているが、「文人」とは「学問を修め文章をよくする人」の意である。確かに和辻の文章は「流麗」で美しく格調高い。和辻の著作を読む者は、彼の文体ならびにその美意識の源泉を味わうべきだ。和辻哲郎は「日本近代が生んだ最大の体系的哲学書『倫理学』の著者」であった。和辻の「倫理学」(1937─49年)ないしは「日本倫理思想史」(1952年)の体系的完結性の美しさも感受するべきだ。さらには「日露戦争から第二次大戦後」にまで至る時代状況を押さえた上で同時代の思想状況も勘案しつつ、「和辻倫理学」の「可能性と限界」を見定めるべきだ。最後の「和辻倫理学の可能性と限界」については、本書では「第Ⅱ章・回帰する倫理」で詳しく述べられている。「日本古代」「原始仏教」、ドイツ留学を経ての「風土論」の展開、「カント解釈」「マルクス理解」の和辻の思想構築の要素を彼の生涯に沿って時系列で本書は押さえていく。「和辻倫理学の可能性」とは、和辻の倫理=人間関係の間柄から実体論ではない関係性の哲学を、また形而上学ではない身体論の哲学を引き出し、現代思想の文脈に重ね合わせ「和辻倫理学の可能性」として今日的に読み直して評価することが出来る。他方「和辻倫理学の限界」は、日露戦争から第二次大戦での和辻の戦争協力の「知識人の戦争責任」、さらには戦後の象徴天皇制の主張を証左に同時代の西田哲学や京都学派のそれと同様、和辻倫理学が「人間関係の高度化」に伴う「人倫組織」の最たるものとしての「国家」、より具体的には現存の日本の近代天皇制国家への献身に倫理価値が最終的に悉(ことごと)く回収されてしまう所が彼の倫理学の「限界」と言える。

しかし、こうした「和辻倫理学の可能性や限界」の読み込み指摘は倫理学や思想史研究の社会科学にて昔から盛んにやられてきた。時代状況と思想原理とがあって、前者の時代状況に重きを置いて和辻倫理学が時代の中で果たした実質的役割を見極めたい人達からは、戦前・戦後に人々を国家への動員に促した理論的支柱として「日本近代哲学の限界」や「知識人の戦争責任」を和辻倫理学に見出し問題にして、全体に和辻哲郎に対する評価は否定的で厳しくなる。かたや時代状況を捨象して和辻の思想的営みそのものを評価したり、和辻哲郎その人の名誉を回復させたい人、ならびに同時代の西田幾多郎を始めとする京都学派の哲学を擁護したい人達は、和辻倫理学のなかに関係性の哲学や身体論や絶対無へ昇華の「近代の超克」を確認し、現代的意義に結びづけて肯定的に再評価する。

岩波新書の赤、熊野純彦「和辻哲郎・文人哲学者の軌跡」は、和辻研究の参考文献が巻末に多く掲載されていることからも分かるように、そうした倫理学や思想史研究の社会科学の成果も加味しながら、しかし、それら先行研究を超えて、さらに和辻哲郎の人となりの奥底にまで論及している所がよいと思う。なぜなら本書は和辻から出された倫理学思想を対象にして考察する思想史研究の社会科学ではなくて、和辻哲郎というその人について述べる人物評伝であるからだ。そして著者の熊野純彦が執筆に当たり、「本書が社会科学の和辻研究ではなく、和辻哲郎の人物評伝であること」に一貫して自覚的であるからだ。

「和辻がほとんどその最晩年にいたるまで保ちつづけていた、知への愛は、…歴史的な時間を遥かにたどり、さかのぼって、人類の幼年期にまで到達している。和辻にあって哲学的な思考はなによりもまず、問題となることがらの始原と原型を探りあてることを動機としていた、あかしのひとつにほかならない」(「黄道」)

「和辻哲郎の若々しい哲学的思考にふれておくため、一箇所だけテクストを引く。…和辻はここでたしかに自己について語っているだろう。ニーチェの思考をわがものとして、みずからの思考をも語りだしていることだろう。語られているのは、他方、創造者たりえないじぶんであり、和辻にとって、やがて一箇の断念となるものである」(「和辻の資質について」)

「右に引いた一文には、和辻の思考の資質とでも呼ぶべきものが、かなり明確にあらわれている。…『倫理学』の思考の背後には、和辻そのひとの、特定の死生観が隠されている。あいだがら論とむすびあった、竹内整一のいう『おのずから』なる死生というとらえかたが控えていたことだろう。…草木のひとつひとつの生育と枯死を超えて、庭園が生きてゆくように、ひとの死を超えて、ひととひとのあいだがらはつづいてゆく。和辻倫理学にはこの私の死は存在しない」(「和辻の資質・再考」)

これら和辻の「人間的資質」を挙げて論じている箇所が本書には、いくつかある。それは本新書が「和辻哲郎・文人哲学者の軌跡」であり、和辻哲郎という人間そのものを論じているからに他ならない。和辻から出された思想には可能性や限界はあるが、和辻哲郎という人間それ自体、その人の生にはもともと可能性もなければ限界もない。

和辻に限らず一般に、人の生は一度は生きてみなければ分からない。どんな人の生にも可能性や限界などという総括評価を付けることはできない。本人にとってのみ後に自身の生涯を振り返って、「自分としてはここまでやれた」と「自分としてはこれだけしか出来なかった」の相混じる不統一な感慨が残るだけだ。「××研究」と称しながら、その人の思想を問題にし、その可能性や限界を議論する思想史研究の社会科学が時に幼稚でつまらなく思える。それとは対照的に、超越的立場から他者の生涯を裁断せず安易に総括評価を下さない、人間その人を論じてどこまでもその人の生に寄り添い肯定する人物評伝が時に奥深く味わい深く感じるのは、このことに由来する。