アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(219)山本光雄「アリストテレス」

西洋哲学史にてプラトンとアリストテレスは、哲学思考の原型をなす二大潮流と言える。

プラトンは万物の多様な表層を捨象して原理を見透かし、あぶり出す抽出能力の世界の単純原理化に卓越した哲学者であった。かたやアリストテレスは万物の表層を保持し物事の多様や変化の過程を確保して、そのまま分類区分し体系化して理論づけるような世界の多様性理解に秀(ひい)でた哲学者だった。

プラトンは、現象の仮象世界の背後にある本当の実在たるイデアからして初めて諸物の原因が認識できるというが、アリストテレスは現象の世界にはイデアの原理的構成以外に、生成発展という事態があることも加味した。アリストテレスにおいて経験的な認識の構成原理には、もはやイデアのみではなり得ないのである。アリストテレスにおいて事物の根本的な要素、現象の原因として質量と形相だけでなく始動と目的が新たに加えられた。質量と形相、始動と目的、以上の四つの原因から世界は説明づけられるのである。

プラトンの認識モデルは形而上学的な価値源泉のイデアという着想からも明白なように数学、なかでも幾何学であった。プラトンは、とりあえず抽象原理から現実世界を斬る。プラトンが創設した学園アカデメイアの門前には「幾何学を知らざるもの、この門を入るべからず」と書かれてあったという。かたやアリストテレスの場合、彼の残した著作から見ても分かるように、ある生き物が誕生し成長して、やがては死を迎えて消滅するサイクルを観察し見届けるような生物学が認識のモデルになっている。アリストテレスは物事の現実を宥和的に見つめる。アリストテレスという人は現実世界に即した物事の生成消滅とか発展変化という考えに異常に興味を示して執心する人であった。

こうしたプラトンとアリストテレスの相違は、各人の持ち前の嗜好や資質と共に、彼らが生きた古代ギリシアのポリスの時代的趨勢(すうせい)に見事なまでに対応していた。ギリシア文化の中心であるアテネの名門に生まれたプラトンの時代には、ペロポネソス戦争が始まっており、スパルタに敗北したアテネはすでに衰退期を迎えていた。アリストテレスはプラトンの弟子であるがプラトンより40歳ほど若い。アリストテレスが哲学者として活動した時期にはさらにアテネのポリスは斜陽で衰退が進行し、ギリシア北部の新興のマケドニアやアレクサンドロス王のヘレニズム世界に圧倒されつつあった。従前のプラトンの時世のようなアテネのポリス内世界のみの原理的安定よりも、ポリス外部の世界の森羅万象の広がりや物事の変化を加味せずに哲学的思索を重ねることはアリストテレスの時代には、もはや出来なくなっていたのだ。プラトンのイデア哲学の観照的で無時間でただただ超越的な単純さに、アリストテレスの時代の哲学は耐えられなくなっていた。

ここで、改めてアリストテレスその人の概要を確認しておくことは無駄ではあるまい。

「アリストテレス(前384─322年)はギリシアの哲学者。アカデメイアでプラトンに学び、マケドニアのフィリッポス2世に招かれて王子のアレクサンドロスの教育係を務めた。のちアテネに学園リュケイオンを開設した。現実主義、経験論的立場から師であるプラトンのイデア論を克服した。哲学だけでなく諸学を集大成したことから『万学の祖』と呼ばれ、のちのイスラーム哲学や中世ヨーロッパの哲学・神学に大きな影響を与えた」

アリストテレスは圧巻だ。この人の著作には論理学、実践哲学(倫理学、道徳学、政治学、弁論術、詩学など)、自然学(天体論、気象学、霊魂論、動物誌など)、形而上学の様々な分野がある。哲学だけでなく諸学を集大成したことから「万学の祖」と呼ばれた。まさに古代哲学最大の体系家・アリストテレスなのであった。

岩波新書の黄、山本光雄「アリストテレス」(1977年)は、アリストテレスの自然学と政治学(倫理学を含む)についての概説である。付章として弁論術もある。本新書に限らず、アリストテレスに関する書籍は誰が書いた何を読んでもだいたい面白い。その面白さは、アリストテレスを解説する書き手であるよりは、ひとえにアリストテレスその人の圧倒的な現実世界の理論体系化の熱意に由来している。

「ギリシア文明の豊かな成果を背景に、哲学と科学との総合によって万学の祖とされたアリストテレスは、ヨーロッパ文化にはかり知れない影響を与えた。この巨大な哲学者の思想体系から、変化し生成消滅する必然の世界の学としての自然学、および最善の国制を追求する政治学をとりあげて、アリストテレスの広大な世界に案内する」(表紙カバー裏解説)