アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(467)千葉雅也「現代思想入門」

(今回は、講談社現代新書の千葉雅也「現代思想入門」についての書評を「岩波新書の書評」ブログですが、例外的に載せます。念のため、千葉雅也「現代思想入門」は岩波新書ではありません。)

昨今、人気で売れているという講談社現代新書の千葉雅也「現代思想入門」(2022年)を先日、私も読んでみた。本新書の帯表面には「人生が変わる哲学。現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした『入門書』の決定版」とあって、また帯裏面には次のようにある。

「デリダ、ドゥルーズ、フーコ、ラカン、メイヤスー…複雑な世界の現実を高解像度で捉え、人生をハックする、『現代思想』のパースペクティブ ○物事を二項対立で捉えない○人生のリアリティはグレーゾーンに宿る○秩序の強化を警戒し、逸脱する人間の多様性を泳がせておく○権力は『下』からやってくる○搾取されている自分の力を、より自律的に用いる方法を考える○人間は過剰なエネルギーの解放と有限化の二重のドラマを生きている○無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組む○大きな謎に悩むよりも、人生の世俗的な深さを生きる 『「現代思想」は、秩序を強化する動きへの警戒心を持ち、秩序からズレるもの、すなわち「差異」に注目する。それが今、人生の多様性を守るために必要だと思うのです。』─『はじめに 今なぜ現代思想か』より」

一般に「××入門」のタイトル書籍は評価が難しい。もともと「××入門」は、本当は個別の時代や人物や思想・理論や学派らに対する厳密で詳細な研究蓄積があるものを、あくまでも初学者に向けて便宜的に、本来の精密で難解な内容から詳細を外して単純化したり、あえて無理矢理に図示・公式化し易化して誰にでも「易しく分かりやすく」解説しているからだ。よって「××入門」書籍に関し、「内容が正確ではない。考察の中途が相当に省略されており簡略化され過ぎている。事の細かなニュアンスを伝えきれていない」などと本気で激怒して批評するのは、もともと初学者に向けて易しく、ある意味「手抜き」で書かれている入門書に対し「無粋で野暮で大人気(おとなげ)ない」と思えるし、逆に「誰にでも分かりやすい記述で素晴らしい。まさに名著だ」と初学者向けにわざとそのように易しく、ある意味「手抜き」して書かれてある「××入門」を安易に激賞したり、それに素朴に感動したりするのも、これまた「無邪気で能天気で幼稚」だと思えてしまう。だから「××入門」書籍はどこまでも入り口で、その一冊で絶対に終わらせず、読者はより専門的な概説書や個別研究に順次当たるべきだろう。「××入門」といった書籍は、あくまでも初学者に向けて便宜的に、本来は精密で難解な内容から詳細を外し単純化して、あえて無理矢理に図示・公式化し易化して誰にでも「易しく分かりやすく」解説している初歩の入り口でしかないのである。

さて講談社現代新書、千葉雅也「現代思想入門」である。一般に難解で取り組みにくく、専門家ではない素人の読者が手を出して読んでもワケが分からず、すぐに挫折してしまうとされる現代思想に関する「××入門」の書籍は前からあった。本書内で千葉雅也が触れていて、著者の千葉が昔に「拾い読みをして、…いつかここにあるようなカッコいい概念を使えるようになったらなあ…と憧れていた」という今村仁司「現代思想を読む辞典」(1988年)を始めとして、この手の「現代思想入門」の類書は昔からよく出ていた。私なども10代の高校生の頃の1980年代に、その手の「現代思想の本」はよく読んだ。今村仁司「現代思想のキイ・ワード」(1985年)や、小阪修平「わかりたいあなたのための現代思想・入門」(1984年)などである。1980年代には、いわゆる「ニュー・アカデミズム」のブームがあって、近代化論やマルクス主義ら従来の正統学問とされるものから少し外れた、記号論や構造主義や人類学やメデイア論やサブカルチャー批評などの新たな学問が「ニューアカ」と称され、80年代の日本では流行していた。その時代には、ポストモダンな現代思想を易しく解説する「現代思想入門」の書籍が多く出されていたのだった。

前述のように、「××入門」の書籍は初学者向けに分かりやすく手加減した内容のものであるから、千葉雅也「現代思想入門」に対しても、真面目に厳しく当たって酷評するのは野暮で「大人気ない」し、逆に無邪気に感動して高評価を下すのも、これまた幼稚で「子供っぽい」ということになってしまう。本書に対する評価は総じて難しいのである。だが、本新書は確かに「名著」ではないが、親切な「良書」であるとはいえる。本書を一読して、千葉「現代思想入門」が昨今、人気で売れている理由がよく分かる気が私はした。千葉雅也「現代思想入門」にて、今村仁司や小阪修平らが過去に執筆した「現代思想入門」のそれらとは異なる書き方の特徴は以下の2つだ。

(1)近代以降のポストモダンな現代思想を知ることで、そこから得られる新たな物の見方や社会への考え方、人生の生き方などに即活用できるような、現代思想への理解を通じての現代人の生き方指南をなす、功利的でカジュアル(簡略)な自己啓発的内容になっている。

(2)現代思想の各論の詳細や各人の思想の営みの細かさに拘泥(こうでい)せず踏み込まずに、あえてその思考の枠組みを抽出し極度に単純化して解説することで、近代以降のポストモダンな現代思想の理解に際して挫折者や脱落者を出さず、極めて平易な説明で読者へ一定の理解の満足を調達することに成功している。

(1)について先に引用した本書帯の文句で言えば、「人生が変わる哲学」のコピー部分がこれに当たる。本新書を読んでいて、純粋に現代思想の概要や本質が知りたい私には非常にうっとうしくて気になるのだが(笑)、本書にて著者は現代思想が「あなたの実生活に役立つこと」や「あなたの人生を変えること」をやたらと繰り返しクドいくらいに述べるのである。例えば「現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より『高い解像度』で捉えられるようになるでしょう」(12ページ)、「このように、能動性と受動性が互いを押し合いへし合いしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある」(29ページ)というように。

歴代の現代思想には、それを知ることで「物事の見方の解像度が高まる」とか「人生のリアリティを感じられるようになる」など、そうした現実功利にのみ終始しない、人間の認識や世界観構築の次元の問題として、より誠実に突き詰められ各人により考え続けられてきた懐(ふところ)の深さの「現代思想の本領」は着実にあるはずだ。本書にて繰り返し強調される、「分かりやすい解説で実生活に使えて人生が変わる」の功利に常に安易に流れてしまうような、「自己啓発な現代思想啓蒙書籍」(?)とでもいうべきものの軽薄を実のところ私はどうかと思うが、この点こそ現代の時代の閉塞感を打破し、絶えず自己成長を遂げたいと暗に願っている今日の読者と共鳴して、本書が好評で幅広く読まれている人気の秘密か。

同様に(2)については、先に引用した本書帯の文句で言えば、「現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした」の部分がそれに当たる。従来の「現代思想入門」書籍では主要な人物について、各人の思想の中核概念のキイワードをそれぞれに挙げて順次解説していくのが常であった。例えば、デリダなら「パロールとエクリチュール」、ドゥルーズ+ガタリなら「リゾーム」、フーコなら「生政治(パノプティコン・モデル)」というように。これら主要概念の概略を理解できれば、「現代思想のことはだいたい分かった」ということに一応はなっていた。しかし、本書ではそうした細かな概念解説は回避して、わざと難解な思想解説の袋小路には踏み込まずに、それぞれの現代思想に通底する抽象の「思考の型」のようなものを一言で簡潔に説明することに著者が傾注している所が、現代思想の初学者にも分かりやすく好評人気な理由であると思う。その解説のあり方こそが、「現代思想の真髄をかつてない仕方で書き尽くした」と著者が自負する本新書独自の「かつてない仕方」の解説の方法であり、従来のこの手の「現代思想入門」の類書と本書とを分ける画期といえる。

それは例えば現代思想の主要なキイワード「脱構築」に関して、「脱構築とはどういうものか…ここで簡単に言っておくなら、物事を『二項対立』、つまり『二つの概念の対立』によって捉えて、良し悪しを言おうとするのをいったん保留するということです」(25ページ)というように、極めて平易な説明をなしている。

講談社現代新書、千葉雅也「現代思想入門」は著者が大学で開講している「ヨーロッパ現代思想」の授業をベースにしているという。なるほど、本新書ともども著者による大学での講義が、「現代思想への理解を通じての現代人の生き方指南をなす、功利的でカジュアル(簡略)な自己啓発的内容になっていること」と、「わざと難解な思想解説の袋小路には踏み込まずに、現代思想の思考の枠組みを抽出し極度に単純化して解説することで現代思想の理解に際して挫折者や脱落者を出さず、極めて平易な説明に徹していること」の2つの特徴にて、大学生や幅広い年齢層の読者に好評人気であるのに納得の思いが私はする。

また巻末にある「付録・現代思想の読み方」は、一般にはなかなか書籍では大ぴらには披露されないが、近代哲学以降のポストモダンな現代思想を、ある程度連続して時間をかけて読んでいれば誰もが経験的にやがては気づくであろう、まさに「現代思想の読み方」のコツのようなものを直接教授してくれるので、読んでなかなか有用である。「『カマし』のレトリックにツッコまない」などの、「現代思想の読み方」に関する著者による実践アドバイスに私は「なるほど」と思わずヒザを叩(たた)いて共感した。従来思想と差をつけるため、わざわざ高踏的に遠回しに書いてみたり、細かな概念区分の提示の考察にて回りくどくあえて難解に語るなど、書き手が読み手を圧倒するかのように「カマし」てくることは、「現代思想」書籍一般において実はよくある。