アメジローの岩波新書の書評(集成)

岩波新書の書評が中心の教養読書ブログです。

岩波新書の書評(491)國分功一郎「スピノザ 読む人の肖像」

2022年より岩波書店から新訳の新たな「スピノザ全集」全六巻が順次刊行・配本されている。岩波新書の赤、國分功一郎「スピノザ・読む人の肖像」(2022年)は、その新版の「スピノザ全集」刊行に合わせた今般、全集を購読して全巻読もうとする人に向けた「スピノザ全集」全巻読みのためのガイドブック的な新書である。ゆえに岩波新書の國分功一郎「スピノザ・読む人の肖像」は、初学者向けの易しい入門書では決してない。むしろ、これから「スピノザ全集」を時間をかけて全巻読みして、スピノザの哲学を見定め極めようとする玄人(くろうと)好みの上級者向けのスピノザ関連新書である。

そもそものスピノザその人については、

「バールーフ・デ・スピノザ(1632 ─77年)は、オランダの哲学者。デカルトと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、後のカントやヘーゲルらドイツ観念論へ多大な影響を与えた。スピノザの哲学は『神即自然』の汎神論であり、プラトン主義的な一元論である。この点でスピノザが、幾何学の数学的『方法』から強い影響を受けたとされるデカルトの心身二元論とは大きく袂(たもと)を分かつ。スピノザの汎神論的一元論は、後のドイツ観念論の思想的準備を果たし、特にヘーゲルにより読み返され再評価された。しかし生前のスピノザは、数学の幾何学的方法の定義・公理・定理・証明の一大体系を重視したため『無神論者』のレッテルを貼られ、異端視されて批判を浴びた。そのためスピノザの生前の著作のほとんどは匿名で出されている。同時代の多くの人に知られないまま、スピノザは44歳の短い生涯を終えた」  

スピノザの主著である「エチカ」の紹介文、そしてスピノザの思想概要と生涯がそれとなく分かる、今般の新たな「スピノザ全集」に付された「刊行にあたって」という岩波書店による公式文を以下に引こう。

「1677年、没後に友人たちが編纂(へんさん)した『遺稿集』で初めて公刊されたスピノザ(1632 ─77年)の主著『エチカ』。幾何学的証明の形式で定義と公理から諸定理の証明を展開する本著作は、至福の認識をめざす倫理学(エチカ)の書でありながら、その全体がひとつの哲学体系を提示する」(「エチカ」紹介文)

「スピノザには際立った特徴がある。まず、デカルトやヘーゲルのような学派の形成というものがない。『スピノザ主義』という名称も、プラトン主義やカント主義と違って、何か途方もない逸脱を知らせる危険標識に見える。スピノザは学統の中にはいない。むしろ彗星のように、彼方にあって外から接近してくるのである。一七世紀中葉、スピノザはヨーロッパ世界に『一個の不気味な塊(かたまり)』として出現した。現実存在は神そのものであって、人間を含めすべての事物はその無限の力能の一部として存在する。こうした『エチカ』の思想、始原も目的も持たぬ神の全面化は、近代の啓蒙にとって得体のしれない異物であり続けた。その後、哲学は二度にわたってスピノザの大接近を経験している。一度目は一八世紀末から一九世紀にかけて。フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらのドイツ観念論の勃興はその強い作用域にあったことが知られている。そして二度目は二0世紀のフランス。アルチュセールやドゥルーズを始めとする一九六0年代の熱気の中、スピノザの名は非人間主義のひとつの符牒であった。そして二一世紀、〈Humanité=人類〉という長い夢が追い立てられるように覚めようとしている今、またスピノザ再接近の気配がある。スピノザは自由と至福、救済を、そして神学・政治論的迷信からの解放を、『人間』からもっとも遠いところから考えた。人間は、人間ならざるものからできているのかもしれない─。スピノザを読むこと、それは、人間の真理をそこから考えなおすひとつの可能性にほかならない。本全集の刊行がその一助とならんことを切に願って」(「スピノザ全集」刊行にあたって)

事実、岩波新書の國分功一郎「スピノザ」は全集に収録の全論考に対応するかのように、主著の「エチカ」全五部を省略することなく、極めて律儀(りちぎ)に全くの誤魔化しなく長く詳細に論じている。加えて「神学・政治論」「国家論」、そして今回の新訳・新版の「スピノザ全集」の目玉である本邦初訳出の「ヘブライ語文法綱要」への言及もある。しかし、スピノザによるヘブライ語文法の研究書たる「ヘブライ語文法綱要」など、専門のスピノザ研究者か余程コアでマニアなスピノザ愛読者のファンしか読まんわな(笑)。また44歳で早世の、あまり詰(つ)められていないスピノザの「政治論」「国家論」を中途半端に読むくらいなら、私はよりよく考えられ洗練された同時代のホッブズ(1588 ─1679年)の政治論・国家論の方を選んで読む。わざわざ傍流のスピノザの国家論など普通の人は(たぶん)読まない。

國分功一郎「スピノザ・読む人の肖像」は、新書であるが432ページもあり、かなり分厚い。その割には議論の進行は異様に遅く、読んでもスピノザの思想が分かったような分からないような微妙な読み味である。特にスピノザ初学者が本新書より即に学べる成果の取れ高は比較的少ない。私が、これまでに読んだスピノザ関連書籍や「西洋哲学史」の中でのスピノザ解説の部分記述とは少し様相が異なる。やはり岩波新書の國分功一郎「スピノザ・読む人の肖像」は、初学者向けの易しい入門書では決してない。むしろ、これから「スピノザ全集」を時間をかけて全巻読みしてスピノザの哲学を見定め極めようとスピノザ著述と格闘する、玄人好みの上級者向けのスピノザ関連新書なのである。

最後に岩波新書の赤、國分功一郎「スピノザ・読む人の肖像」の概要と目次を記しておく。新訳・新版の岩波書店「スピノザ全集」の刊行と時期的に重なるため、同じ岩波書店からの岩波新書の本書にて全七章に渡り、主著の「エチカ」全五部から「知性改善論」「神・人間及び人間の幸福に関する単論文」「神学・政治論」、そして「ヘブライ語文法綱要」「国家論」に至るまで全集収録の全論考にわざと幅広く触れ論じていることを本新書目次より確認して留意されたい。

「哲学者とはいかなる人物なのか。何を、どのように、考えているのか。思考を極限まで厳密に突き詰めたがゆえに実践的であるという、驚くべき哲学プログラムを作り上げたスピノザ。本書は、難解とされるその全体像を徹底的に読み解くことで、かつてない哲学者像を描き出す。哲学の新たな地平への誘いがここに!」(表紙カバー裏解説)

「序章・哲学者の嗅覚。第一章・読む人としての哲学者─『デカルトの哲学原理』。第二章・準備の問題─『知性改善論』『短論文』。第三章・総合的方法の完成─ 『エチカ』第一部。第四章・人間の本質としての意識─『エチカ』第二部・第三部。第五章・契約の新しい概念─『神学・政治論』。第六章・意識は何をなしうるか─『エチカ』第四部、第五部。第七章・遺された課題─『ヘブライ語文法綱要』『国家論』」