アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(196)権左武志「ヘーゲルとその時代」

岩波新書の赤、権左武志(ごんざ・たけし)「ヘーゲルとその時代」(2013年)の書き出しはこうだ。「ある思想や哲学がその時代を支配する時、われわれの考え方を特定の溝へ流し込み、行動を一つの方向へ導く見えざる力、時には恐るべき力を発揮するものである」。

ある思想や哲学が、同時代人に異常に注目され流行して多大な影響力を持って読まれる、そうした時代の流れに乗った瞬発的な「見えざる恐るべき力」の存在も踏まえた上で、さらに現代の読み手が、自身の置かれた時代や圧倒的力がある現在の価値観から昔に書かれた古典を裁断することなく、ある意味「正当に読む」ことについて、古典であるヘーゲルの読みに即し著者は次のように問いを継ぐ。「では、現在の価値観をそのまま過去に投影する従来の誤りを繰り返すことなく、ヘーゲルの哲学と思想をできるだけ公正に解釈するには、どうすればよいだろうか」。

これこそが、岩波新書「ヘーゲルとその時代」における著者がヘーゲルを読む際の問題意識である。そうして著者はいう、「そのためには、まず何よりも、思想家が生きた時代に注目し、歴史的文脈から思想の成り立ちを理解するという態度を取るべきだろう」。「現在の価値観をそのまま過去に投影することなく、ヘーゲルの哲学と思想をできるだけ公正に解釈する」ためには「まず何よりも、思想家が生きた時代に注目し、歴史的文脈から思想の成り立ちを理解するという態度を取るべきだ」という著者の姿勢をそのまま踏まえて、本新書タイトルは「ヘーゲルとその時代」になっているのであった。

もはや言うまでもなく、ただ単に「ヘーゲル」だけの題名では駄目なのだ。「まず何よりも思想家が生きた時代に注目し、歴史的文脈から思想の成り立ちを理解するという態度」を必要とするがゆえに、タイトルには「ヘーゲル」に加えて「とその時代」が付く。ヘーゲルという哲学主体と時代状況とが必ずセットになって、主体は状況に影響を与え、かつ状況から主体は影響を受け、「主体と時代状況」は常にセットである。だから「ヘーゲル(主体)とその時代(状況)」である。以上のような書籍タイトルに込められたヘーゲルを読む際の著者の姿勢や思考を本書を読む者は、最初に押さえておくべきだろう。

また、こうした「主体と状況」にての思考生成以外にも、「過去の思想の再創造」と「過去の思想の現代への影響」という、ある古典思想をはさむ二つの前後の時代契機を押さえることも著者は忘れていない。すなわち、「思想の創造プロセスは、必ずしも『無からの創造』を意味するわけではない。むしろ、過去の思想を新たな視点から読み替えていく『再創造』の形を取るのが通例である」「さらに、あらゆる高度な思想は、いったん創造された後も、後の時代に継承されて、特定の時代や国を超えた普遍的影響作用を及ぼすことができる」という。この点を本書「ヘーゲルとその時代」に当てはめて言えば、ヘーゲル哲学の前にあるヘーゲルにとっての「過去の思想の再創造」は、ルソー、フィヒテ、シェリングらであり、ヘーゲル哲学の後に続くヘーゲルが残した「過去の思想の現代への影響」は、マルクス、ニーチェらを挙げることができる。本新書にても、ヘーゲルに影響を及ぼし、またヘーゲルが影響を与えた哲学者たちの解説がある。

このように軽く概観しただけでも、著者は実に優秀な方である。ヘーゲルの哲学に関して、まず空間の横軸でヘーゲル哲学における「哲学主体」と「その時代状況」の相互関係を押さえて本書タイトルを「ヘーゲルとその時代」にし、かつ時間の縦軸にてヘーゲル哲学の前後を押さえ、事前の主にフィヒテやシェリングのドイツ観念論の伝統からヘーゲルにおける「過去の思想の再創造」を、事後の主にマルクスの唯物論的弁証哲学とニーチェの実存主義哲学の遺産からヘーゲルによる「過去の思想の現代への影響」を、それぞれ論じている。

誠に周到であって、同時代の「哲学主体」と「時代状況」、歴史系列の「過去の再創造」と「後世への影響作用」の四つの各項目が見事に押さえられているのだ。著者の中で、ある時代の中での思想や哲学の形成・流行と継承・発展についての確固とした考えがあって、それゆえ現代の私達がヘーゲルの哲学を読み解く際にも、以上のような四つの点を着実に押さえる明瞭な哲学古典読解の方法論が、本新書では鮮(あざ)やかに提示されている。

さて、岩波新書「ヘーゲルとその時代」は全五章よりなる。「本書の全体構成」について、一読者の素人の私が下手に要約してまとめるよりは、ここは著者である権左武志その人に直接、語ってもらおう。

「本書は、次のような順序で、ヘーゲル哲学の創造・再創造のプロセスとその影響作用を、…三つの視点から再構成することにする。第一章と第二章では、『精神現象学』に至る初期ヘーゲルの発展史を取り上げ、ヘーゲルの中心思想、とりわけ体系を築き上げる基本原理や『弁証法』と呼ばれる思考方法を、できるだけ分かりやすく解き明かす。…第三章と第四章では、こうした思想系譜や時代背景を踏まえた上で、ベルリン時代のヘーゲルの主要著作のうち、これまで充分に明らかにされてこなかった『法哲学綱要』と『歴史哲学講義』を取り上げる。…第五章では、ヘーゲルの思考様式が、その後、ドイツ歴史主義やマルクス主義、ニーチェ派によりいかに継承され、いかに変容を遂げていったかを見た上で、東西冷戦が終焉し、マルクス主義が退潮した現代に、ヘーゲル哲学をいかに再評価できるかを考えてみたい」(「序・本書の全体構成」)

第一章と第二章は「ヘーゲル哲学初学者向けの基本編」のような内容で、フランス革命など当時の時代状況やドイツ観念論の伝統思想の系譜を踏まえた上での、ヘーゲル哲学の思考の仕組みを解き明かす記述となっている。第三章と第四章は「ある程度はヘーゲル哲学を知っている中級者向けの実践編」ともいうべき内容で、ヘーゲルの著作を通しての道徳倫理や市民社会や国民国家、世界史への具体的言及の体系を解明する記述になっている。そして、最後の第五章は「ヘーゲル哲学に関しほぼ理解できている上級者に向けた応用編」といった位置付けで、いわゆる「ヘーゲル以後」の時代、彼が後の哲学者に与えた影響と現代でのヘーゲルの読まれ方やヘーゲル評価についての記述となっている。本書の構成はこれら「三つの視点」部分よりなる。

各章の内容については、ルソー、カント、フィヒテ、シェリング、マルクス、ニーチェ、フランス革命とナポレオン、ドイツの領邦国家体制、人格、疎外、弁証法、世界史における絶対精神、「理性の狡知」「歴史の終焉」論などヘーゲルの哲学に関するおおよその事柄は触れられており、紙数の少ない新書ながらコンパクトによくまとめられている。近年の2010年代刊行の岩波新書の中でも、屈指の良書といえる。何よりも冒頭で述べたように岩波新書の赤、権左武志「ヘーゲルとその時代」は、ヘーゲルの哲学の古典を読む際の著者の姿勢や思考が透けて見えるその書籍タイトルが格段に優れている。

「ドイツの哲学者、ヘーゲル(1770─1831年)は、フランス革命とその後の激動の時代にどのように向き合い、過去の思想をいかに読み替えて、自らの哲学体系を作り上げていったのか。『精神現象学』『法哲学綱要』『歴史哲学講義』を中心とする体系の形成プロセスを歴史的文脈のなかで再構成し、今日に及ぶその思想の影響力について考える」(表紙カバー裏解説)