アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(494)十重田裕一「川端康成 孤独を駆ける」

岩波新書の赤、十重田裕一(とえだ・ひろかず)「川端康成・孤独を駆ける」(2023年)のタイトルになっている川端康成その人について、念のため確認しておくと、

「川端康成(1899─1972年)は、新感覚派(自然主義的リアリズムに反発し感覚的表現を主張した文学流派)の代表的作家。叙情的・感覚的作風の底に虚無の詩情があるといわれる。1968年に日本人初のノーベル文学賞受賞。作家活動で多忙の中、72歳でガス自殺した。なお遺書はなかった」

また岩波新書「川端康成・孤独を駆ける」の概要は以下である。

「二0世紀文学に大きな足跡を残した川端康成は、その孤独の精神を源泉に、他者とのつながりをもたらすメディアへの関心を生涯にわたって持ち続けた。マス・メディアの成立、活字から音声・映像への展開など、メディアの状況が激的に変化していく時代のなかを、旺盛な創作活動のもとに駆け抜けていった作家の軌跡を描きだす」(表紙カバー裏解説)

上記の文章を読むと分かるが、「メディアへの関心」「マス・メディアの成立、活字から音声・映像への展開など、メディアの状況が劇的に変化していく時代のなかを」ら、表紙カバー裏解説文中に「メディア」の文字は実に多い。本新書の帯には「メディアの時代を駆け抜けた、しなやかな孤独」ともある。岩波新書の十重田裕一「川端康成・孤独を駆ける」は、メディアとの関係の観点から作家・川端康成と川端の文学作品について述べたものである。よって本新書は、従来のような川端康成に関する本格研究や文芸評論ではない。従前の川端研究にてよく触れられるような、例えば「川端の自然主義文学との格闘の跡」や、「日本人初のノーベル文学賞受賞の理由・背景」や、「川端の自殺の真相(遺書がないことから川端の死に関しては自殺説と事故死説の両方の議論が昔から根強くある)」ら定番の話題は本書にて、そこまで積極的に詳細に述べられていない。

だが、そのような主にメディアとの関係の観点から一通りの川端康成の概略を語ることを通して、川端康成に詳しい前よりの川端ファンは、川端に関する文章として既知の事柄であっても本書を軽く読んで、ある種の満足感を得られるであろうし、また川端康成を知らない、これまで川端文学を未読の川端初心者は、本新書を契機に映像化された川端の映画作品や川端の小説そのものを観たり読むようになるのではないかと思われる。この意味で、本書は万人に向けて有用である。

正直白状して、私は川端康成の作品はそこまで好きではない。川端の文学をあまり高く評価していない。しかし川端康成は日本人初のノーベル文学賞受賞作家であった。その際の受賞記念講演、川端康成「美しい日本の私」(1968年)は道元や「源氏物語」を引用しつつ、西欧人には理解されにくい、ともすれば「西洋流のニヒリズム(虚無)」と誤解されがちな「日本の美」の観念を述べたものだ。ノーベル賞受賞に際し、当の川端が「日本の美しさ」を現地の人達に殊更(ことさら)に解説し直さねばならなかった事態に象徴されるように、川端康成のノーベル文学賞受賞は、西欧人にとっての新奇なオリエンタリズムの東洋美として、かつてのジャポニズムにて日本の浮世絵が西洋で突然にブームとなったように鑑賞され消費され、ゆえに誤解の無理解のまま何となく称賛されて受賞に至る、そうした実質も持ち合わせていた。事実、川端康成の小説を読むと「雪国」(1937年)であれ「古都」(1962年)であれ、作品として優れているには違いないが、川端康成という人は日本の四季や古都(京都)の伝統美など、想定されて流通している日本の伝統的美しさの紋切り型イメージに乗っかって安易に小説を書いてしまう所があった。それゆえ日本の川端康成は、「ジャポニズムのリバイバル」として西欧のノーベル文学賞に該当した面もあった。

だが、このようなことを書くと川端康成の昔からの根強いファンがいて、その人達に怒られて無駄に恨(うら)まれるからなぁ(笑)。いつの時代にも熱心な川端康成ファンはいる。掌編小説集(短編小説よりもさらに短い小説を集めたもの)である川端の「掌(たなごころ)の小説」(1971年)などを日々愛読している人は多い。事実、私の学生時代の知り合いにも、そうした川端康成の熱烈ファンはいた。

私が川端康成の作品を読んだり、川端のことを思い出す度にいつも思い至るのは、この人は1899年の生まれで1971年に亡くなっていて、川端康成は大正から昭和の戦前・戦後にかけて常に文壇の第一線で活躍した近代日本文学の代表的作家であるということだ。マスメディアとの関係で岩波新書「川端康成・孤独を駆ける」でも触れられているが、川端とメディアのつながりでは、戦時に報国文学会に属し、政府が肝煎りの戦争文学誌への寄稿・評論も川端は務めていた。「雪国」ら日本の原風景の、いかにもな日本人的抒情を主題(モチーフ)にした作品を発表していた川端康成は、幅広く国民大衆を戦時動員したい挙国一致の時の政府や軍部から、日本民族の優秀性の国威発揚をなす多大な役割を期待されていたのだ。このように国策たる大日本帝国の戦争協力を文学方面から果たした川端康成であったが、しかし内心で川端は対米英の太平洋戦争にて日本に勝利の見込みがなく敗北必至なことを早くに悟って、戦中にはかなり悲観的であったし、自身の作家活動が戦時の検閲により制限され、文学報国会所属の作家として戦争翼賛文学に自らが動員・協力させられることに嫌悪を抱き、辟易(へきえき)していた。

川端康成は文学者として純粋に小説を執筆することには大変に長(た)けていたけれども、この人は「新感覚派」の作家と呼ばれるように審美的な感覚的表現を主眼とした詩的で叙情的作風が主なウリで、主観的で時に曖昧(あいまい)な「感覚」以外の所での、論理的な文学理論とか特定の政治主義の分析主張や社会派のリアリズムの要素は皆無であって、それらに全く不得手で無縁な作家だった。そのように内心は戦争を嫌悪しながら、しかし外面の形式的には一通りの戦争協力をした、公的に明確に戦争反対への表明や戦争遂行の国家への疑問・抵抗を建設的になし得なかった川端康成は、そのまま日本の敗戦を待った。

そうして1945年の日本の敗戦を迎えて、後に戦後の民主化で個人の思想の自由が保障される新たな時代になると、映画ら映像メディアの自由な制作も再開されて、川端康成の小説が次々に映像化される「川端ブーム」の新時代が始まる。敗戦時に40代半ばの壮年で、「雪国」らすでに名作を幾つも書いていた川端康成は文学界の重鎮の大家であり、芥川賞の選考委員や新人発掘にも多大な力を有していた。その後、1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞して川端の文学的名声は否が応でも更なる高まりを見せることになる。

戦後の川端作品の相次ぐ映画化ら、川端とメディアとの蜜月の話題が、岩波新書「川端康成・孤独を駆ける」の中心的な内容となっており、この記述の部分が本書の読み所といえる。確かに川端以前の近代日本の文学者は、マスメディアそのものがまだ時代的に発達していなくて、そこまでメディアに露出することはなかった。作家本人と作家が書いた作品が映像を介して派手にメディアに乗り、大々的に世に広まる事例は川端康成がほぼ初であった。活字の文章から読み取り感じられる小説ヒロインの可憐さと日本の美しい原風景や四季の移り変わりの変化を十分に盛り込んだ川端康成の小説は、映像化に適していた。川端康成の作品を映像化すると、毎回美しい画ができて異常に映(は)える。実に見応えがある映像になる。醜悪な人間社会のリアリズムや過激な政治的主張がない、ある意味「無難な」川端文学は映像化されやすく事実、多くの川端作品が映画になっている。

例えば川端の「伊豆の踊子」(1926年)は、岩波新書「川端康成・孤独を駆ける」によれば、過去に6度も映画化されているという(193・194ページ)。すなわち、

☆1933年・五所平之助監督、田中絹代・大日方傳主演(松竹キネマ)。☆1954年・野村芳太郎監督、美空ひばり・石浜朗主演(松竹)。☆1960年・川頭義郎監督、鰐淵晴子・津川雅彦主演(松竹)。☆1963年・西河克己監督、吉永小百合・高橋英樹主演(日活)。☆1967年・恩地日出夫監督、内藤洋子・黒沢年男主演(東宝)。☆1974年・西河克己監督、山口百恵・三浦友和主演(東宝=ホリプロ)

私は映画になった川端作品をよく観ている。川端作品の映画化では、山口百恵・三浦友和が主演の「伊豆の踊子」(1974年)と、岩下志麻・長門裕之が主演の「古都」(1963年)が特に良いと思う。

岩波新書「川端康成・孤独を駆ける」のタイトル一部である「孤独を駆ける」の「孤独」とは、幼くして両親ともに病で亡くし、姉とも早くに離ればなれとなって、幼少の頃から祖父の家で育てられた川端康成には「常に孤独の影と人間の死の恐怖とが付きまとっていた」とする旨の推察から来ている。唯一の身近な肉親である祖父が亡くなってから、川端康成は文字通りの「天涯孤独」であった。従来の川端康成研究や川端作品の文芸評論にて、川端文学の詩的抒情の由来分析や、いよいよの川端の自殺の最期の原因背景について、この幼少時からの生い立ち過程での川端の孤独の問題はよく指摘されてきた。

岩波新書の赤、十重田裕一「川端康成・孤独を駆ける」のタイトルに用いられている川端の「孤独」と、本新書で中心的に述べられている「川端文学とメディアの関係」の点からして、川端が自作の映画の撮影現場に頻繁に見学に出向いたり、当時の若い女優(加賀まりこなど)を川端が熱心にしつこく食事に誘うエピソードが私は昔から好きである。川端はある種の孤独の中で、いつも他者とのつながりを渇望していた。本書のタイトル通り、川端康成は「孤独を駆ける」の生涯だったのであり、彼の作品を読むたびに、「川端康成には確かにいつも孤独の影と人間の死の恐怖とが付きまとっていた」と私には強く思えるのである。