岩波新書の「シリーズ・歴史総合を学ぶ」全三巻は、2022年4月から全国の高等学校で始まる「歴史総合」の新科目導入に合わせて、「歴史総合」授業の実践の方法とその可能性を、具体的個々の歴史素材の教材研究を通して指し示そうとするものである。今般、新たに始められる「歴史総合」の科目概要とは以下のようなものだ。
「近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中における日本を広く相互的な視野から捉え、資料を活用しながら歴史の学び方を修得し、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を考察、構想する科目」(「高等学校学習指導要領」2018年)
何やら妙に固く難しく書いてあるが(笑)、結局のところ「歴史総合」という科目は、従来の「世界史」「日本史」の各国の世界の歴史や日本の歴史の一国史のどちらにも限定されることなく、世界史と日本史の相互を両者の関係性において学ぶ、しかもその際の時代を近現代に限定して学習するという趣旨の教科である。これには高等学校での従来の地歴科の授業にて、日本史も世界史も原始・古代から時代順に詳細に始めて卒業時までに近現代の学習にたどり着けず結果、近現代史の学習がなされず、おろそかになってしまう旧カリキュラムの不具合改善のために、世界史と日本史との双方を近現代の時代に限定して集中的に学ぶ「歴史総合」の新科目が設定された事情があったと思われる。
岩波新書「シリーズ・歴史総合を学ぶ」全三巻の構成は以下のようになっている。
第一巻・小川幸司・成田龍一編「世界史の考え方」、第二巻・成田龍一著「歴史像を伝える・『歴史叙述』と『歴史実践』」、第三巻・小川幸司著「世界史とは何か・『歴史実践』のために」
本シリーズの各巻を読んでの率直な感想は、「内容が難しすぎる。高校生が取り組む歴史学習というよりは、大学生や社会人の大人が一般教養として学ぶ上級者レベルの歴史だ」「実際の学校現場での『歴史総合』の授業で、本書に書かれてあるような歴史理解や歴史実践など現実的ではない。本書で述べられている指針の授業など到底、実行不可能なのでは!?」といったものだ。
例えば本シリーズの第一巻に当たる、小川幸司・成田龍一編「世界史の考え方」(2022年)では、第一章からいきなり岩波新書の大塚久雄「社会科学の方法」(1966年)を課題図書の教材にして、その授業展開の概要や力点や注意点らを示している。しかしマックス・ヴェーバーとマルクスに即して、歴史学ら社会科学成立の原理を説く、そこそこに難解な大塚の「社会科学の方法」など、10代の高校生相手の「歴史総合」の授業でやって生徒に深い考察と理解にまで至らせられるか、私には相当に疑問である。
私は一時期、大学に在籍しながら高校に世界史と日本史を共に教えに行っていた経験がある。だいたい普通科の特進コースでは現役大学合格の生徒を多く出すよう、受験対策指導の日本史・世界史を教えるように学校側と学生側から強く求められるし、その他、大学受験をやらない、普通科ではないコース(建築科とかスポーツ推薦コースなど)の学生は、高校卒業要件の単位認定のために日本史・世界史の授業を受けている場合がほとんどなので、そこまで真面目に真剣に授業を聞いてくれない(苦笑)。だから授業中は歴史の裏話や雑談で適度に脱線して時間をつぶしたりして、ともかく本新書シリーズにあるような難解本気な「歴史総合」の授業の試みなど学校現場の実情に照らし合わせて到底、実現不可能で現実離れした机上の歴史教育プランであると(少なくとも私には)思える。もし現役の地歴科の高校教員で本シリーズ新書を読み、こうした「歴史総合」の授業をやってみようと取り組む人がいたとしたら、その人に会ってみたいものである。
以上のような醒(さ)めた意識で、実際の学校現場の実情から大いにはずれた理想論的すぎる「歴史総合」の新科目への授業プラン提示収録の岩波新書「シリーズ・歴史総合を学ぶ」全三巻であるが、これを高等学校での授業展開という提言用途を外して、ただの歴史学の読み物として読んで大変に面白いことも確かである。そして本シリーズの面白さは、シリーズ全体の企画と編集と執筆の全てに携わっている日本近現代史専攻の歴史学者、成田龍一の力量による所が大きい。
私は成田龍一が好きで、成田のファンである。成田龍一の著作を私はよく読んでいる。岩波新書「シリーズ・歴史総合を学ぶ」全三巻は、これが学校現場での「歴史総合」科目の授業に使うの前提を外して、成田龍一ファンの私からすれば、成田の新作書籍として普段よりの成田における歴史学一般についての考え方(史学概論的な考察)や、成田による日本近現代史の個々の歴史事例や思想に対する理解と解釈(ナショナリズム、近代化論、明治維新史研究、近代日本のメディア史など)、昨今の歴史教育全般に対する批判的態度(歴史修正主義の問題、「新しい歴史教科書をつくる会」に対する批判など)らに幅広く触れて、いかにも成田龍一な、成田カラー満載の近現代の歴史に関する論点・考察が遺憾なく書き込まれている。
日本の戦争責任をめぐる教科書記述で、「自虐史観」なる言葉で戦後民主主義の日本の歴史教育を否定する「新しい歴史教科書をつくる会」や国家主義的な右派保守の識者を、歴史修正主義として批判する。また近年の「坂の上の雲」(1968年)のドラマ化による司馬遼太郎ブームの最中に、これまた日本人の自国中心主義の「自分達にとってのみ都合のよい」歴史語りの「司馬史観」を痛烈に批判する。同様に松本清張の没後の再評価のブームの際には、陰謀論めいて推理小説のミステリー風味が強く、あまりに俗っぽ過ぎる「清張昭和史」でありながら、他方で大学アカデミズムの歴史研究にはない、頂点思想家と政治家のみならず、一般民衆の市井の人々の下からの動態分析も松本清張にはあったと高く評価する。その他、戦後の丸山眞男らの戦後民主主義の「健全なナショナリズム」の近代化礼賛の思想史研究や、マルクス主義による硬直した理論一辺倒な唯物史観の歴史認識の問題性も同様に指摘する。そのように実に多彩で多才な成田龍一である。
この点からして岩波新書「シリーズ・歴史総合を学ぶ」全三巻の中では、成田龍一による単独執筆の第二巻に当たる「歴史像を伝える・『歴史叙述』と『歴史実践』」(2022年)が読んで特に面白い。この巻はジェンダー史から明治維新と福沢諭吉の近代化、大衆社会の到来にての雑誌「キング」とラジオ、小津安二郎にファストフードによるグローバル化を経て村上春樹から戦後歴史教育まで内容が豊富で多彩である。成田龍一による独自の日本近現代史の歴史考察が満載で、実に読みごたえがある。
岩波新書「シリーズ・歴史総合を学ぶ」全三巻は、これを高等学校での授業展開という提言用途を外して、成田龍一ファンの私からすれば、成田の新作書籍として第二巻にあたる成田龍一「歴史像を伝える・『歴史叙述』と『歴史実践』」から読み始めてもよい、場合によっては本巻のみでもよいと正直、思えた。