アメジローの岩波新書の書評(集成)

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岩波新書の書評(507)古田元夫「東南アジア史10講」

東南アジアは、アジアのうち南シナ海周辺に位置する国々を指す地域区分である。インドシナ半島、マレー半島、インドネシア諸島、フィリピン諸島とその他の群島部よりなり、ほとんどの地域が年中高温の熱帯気候に属する。

地図上で見ると、東南アジアは右上の北東で東アジアの中国と接し、かつ左横の西南で南アジアのインドとも接して、東アジアの中国文化圏と南アジアのインド文化圏とに挟(はさ)まれ、両文化の影響をいつの時代でも強く受けた地域であった。東南アジアに接する東アジアの中国と南アジアのインドが昔から比較的安定した分裂の少ない大国(時に帝国)であり、それとは対照的に中国とインドの両文化圏に挟まれた東南アジアが多民族で多宗教で多文化である多様性を保って、昔から多くの国々が並立してあることも、この地域が東アジアの中国文化圏と南アジアのインド文化圏の強大な二大文化圏に挟まれてある地理的条件にその一因は遠からず由来している。

以前に沢木耕太郎「深夜特急」全三巻(1986─92年)という旅行記があった。沢木の「深夜特急」は昔からよく読まれている若者旅行記の人気の書籍である。沢木耕太郎「深夜特急」は、大学卒業して就職活動し銀行に内定したのに、せっかく決まった会社勤めを初日で辞めた沢木が乗り合いバスにてユーラシア大陸を横断できるか友人らとの賭けに始まる一人旅の話だ。本シリーズは後にバックパッカーの間で誰もが読む定番のものとなり、「若者が旅へ出る理由」を醸成して、日本における個人旅行流行の一翼を担った。昔は沢木の「深夜特急」を読んで、「自分も」と東南アジアやインドへ長期滞在で格安旅行をするバックパッカーになる若者が多くいたのだった。

「深夜特急」の中で当時の沢木はユーラシア大陸を横断するに当たり、まず日本から香港とマカオに飛び、その後に東南アジアに入る。最初に行ったマレー半島のマレーシアやシンガポールは東南アジアの東部に位置し、そこに滞在の巻の記述は旅先の街も人にもまだ東アジアの中国文化の影響を強く感じられる。ところが沢木が旅を続けタイのバンコクを経由する西漸の前後で、次第に街の空気も人々の感じも東アジアの中国のそれを脱して、明らかにこれまでの旅とは異質な西アジアのインドの雰囲気に徐々に変わっていくのだ。このことは現地に行かなくても、沢木耕太郎「深夜特急」の紙面から如実に感じ取ることができる。少なくとも私は昔に沢木「深夜特急」を初読の時から、「同じ東南アジアでありながら、香港から入り東の中国文化圏から西漸するにつれての西のインド文化圏へ次第に移行していく何とも言えない空気感」といったものを書籍を介して確かに感得することができた。このことからも、「東南アジアは北東で東アジアの中国と接し、かつ西南で南アジアのインドとも接して、東の中国文化圏と西のインド文化圏とに挟まれ、両文化の影響をいつの時代でも強く受けた地域であったのだ」と自信をもって強く私は言える。

さて岩波新書の赤、古田元夫「東南アジア史10講」(2021年)である。本書は、一国の歴史を古代から近現代まで新書の一冊で全10講の内に一気に書き抜こうとする岩波新書の「××史10講」シリーズの中の一冊である。もともと本企画は、坂井榮八郎「ドイツ史10講」(2003年)と柴田三千雄「フランス史10講」(2006年)と近藤和彦「イギリス史10講」(2013年)の三新書から始まった。後に多くの各国史が続く。直近のものでは北村暁夫「イタリア史10講」(2019年)と立石博高「スペイン史10講」(2021年)とがあった。そして今般の「××史10講」シリーズの古田元夫「東南アジア史10講」である。これまでのものが「ドイツ」や「イギリス」や「スペイン」ら一国の歴史であったに対し、今回は特定の国ではない、広い地域である「東南アジア」についての「××史10講」に変則的になっていることに少し意外な思いがするのであるが、岩波新書の「××史10講」シリーズ、現時点での最新新書の「東南アジア史10講」を先日さっそく読んでみた。

本書は東南アジアの歴史を先史の時代から現代に至るまで通史の形式で新書一冊のわずか280ページほどの「10講」、全10章で一気に概観するものである。原始・古代の青銅器文化と初期国家形成の時代から、中世と近世における各文化の隆盛と地域国家の興亡、近代を経ての東南アジアに対する西洋諸国の植民地支配とそれへの抵抗としての現地の人々の民族意識・ナショナリズムの高まりら、いつの時代にも東南アジアの歴史には人々の生の営みが同量の同密度であった。また同じ東南アジアとはいっても,そのなかでの地域の時代の特色差も明らかにあった。

しかし今日、私達が東南アジアの歴史を通史として一冊の新書にて簡略に概観する際には、各時代の各地域を等価に厳密に参照するのではなくて、ある程度、歴史の概論に偏(かたよ)りを持たせ偏向して見ていく要領も必要だろう。何しろ、多くてもわずか300ページほどの紙数制限があり新書一冊の形式で東南アジアの古代から近現代までの歴史を各時代とも詳細に記述するのは不可能であるし、それならば東南アジア通史の中で著者が重要と考える時代の歴史事項に焦点を絞って集中的に論じるしかない。

なるほど、岩波新書「東南アジア史10講」の目次を見ると「10講」の章立ては以下のようになっている。

「第1講・青銅器文化と初期国家の形成・先史時代~9世紀、第2講・中世国家の展開・10世紀~14世紀、第3講・交易の時代・15世紀~17世紀、第4講・東南アジアの近世・ 18世紀~19世紀前半、第5講・植民地支配による断絶と連続・19世紀後半~1930年代(1)、第6講・ナショナリズムの勃興・19世紀後半~1930年代(2)、第7講・第二次世界大戦と東南アジア諸国の独立・1940年代~1950年代、第8講・冷戦への主体的対応・1950年代半ば~1970年代半ば、第9講・経済発展、ASEAN10、民主化・1970年代半ば~1990年代、第10講・21世紀の東南アジア」

「東南アジア史10講」のうち、最初から第3講までのわずが60ページほどで先史時代から17世紀の近世以前までの東南アジアの歴史を極めて手早く簡略に述べて、その後に第4講から第10講で、全10講の内の半分以上にあたる7つの章の200ページ以上を使って、近世以降の近代(18世紀)から現代に至るまでの東南アジア史に傾注し集中的に述べているのであった。これは各時代に対する公平な歴史記述配分の原則からすれば、不均衡で不適切な章立て構成に思えるかもしれない。だが東南アジア史の全体を他著にも当たりあらかじめ知っている者からすれば、ある意味、賢明で妥当な全体の構成であり、東南アジア全時代の通史を執筆する際の記述の妙であると思う。東南アジア史の大きな流れは、

「青銅器文化→初期国家と中世国家→各国の海上交易→ヨーロッパ勢力の接近→西洋による植民地化→第二次世界大戦→民族自決と冷戦→ASEANによる統合」

となろうか。確かに、この中で後半の「ヨーロッパ勢力の接近→西洋による植民地化→第二次世界大戦→民族自決と冷戦→ASEANによる統合」に重点を置き、あえて偏向して記述するのが「東南アジア史10講」を執筆する際の絶妙な落とし所ではある。東南アジアの歴史では近代以降に、植民地支配や民族自決やナショナリズムら特に学ぶべきものが多くある。

また岩波新書の古田元夫「東南アジア史10講」は日本語で主に日本の読者に向けて書かれた書籍であるから、本新書に当たる際には「東南アジア史」の通史をただ漠然と読むのではなく、東南アジアに対する日本の関係性の歴史部分を私達は意識して重点的に読むべきだろう。この意味で、本書の「第7講・第二次世界大戦と東南アジア諸国の独立」での「二・日本の戦争」の節は決して軽く読み流してはいけない。最新の東南アジア史研究の成果に基づき、本論にて著者により指摘されている、

「東南アジア諸国での日本の軍政に当たり、結果としてヨーロッパからの植民地支配から脱させたものの当初、日本による占領が東南アジア現地の独立を支援するもののごとく受け止められないよう日本軍は細心の注意を払っていた。日本にとって東南アジアの占領は、日本が必要とする重要資源を確保し(「重要国防資源獲得」)、作戦軍が現地で必要な物資調達をなし自活できるようにすること(「治安恢復」「現地自活」)が最重要課題だったからである。ところが1943年以降、戦局の悪化で日本の現地支配が困難になってくると日本は米英連合軍に対抗するための戦争協力を占領地住民にいっそう強く求めざるを得えない事情から、ビルマとフィリピン、インドネシアらに対し相次いで『大東亜解放』の『独立』スローガンを付与し、日本の『指導』に服する範囲での形式的な『独立』の容認に転じた」(147─149ページ)

「経済面では、日本軍は東南アジアで、それまでに築かれていたフランスやオランダら旧宗主国との関係とアジア域内交易の貿易構造を切断して、日本を東南アジアの鉱産物資源やその他の戦略物資の独占的輸入国とした。しかし、日本の経済力が脆弱であったため、従来のヨーロッパ諸国の植民地支配とは異なる形で、十分な対価なしの資源の略奪という、いわば『最悪の植民地支配』となった。戦争末期の経済的混乱が招いた最大の悲劇は1945年にベトナム北部で発生した大飢饉である。インドシナに日本が最も期待した戦略物資は米であり、日本や他の日本支配地域への輸出と、現地の日本軍の自活に用いるための過剰な米輸出により、当時のベトナム北部は深刻な飢饉に見舞われた」(150ページ)

らの、第二次世界大戦時における東南アジア史にての、日本国と日本人の東南アジアの人々に対する加害性の問題は是非とも押さえておかなければならないであろう。

「ASEANによる統合の深化、民主化の進展と葛藤─。日本とも関わりの深いこの地域は、歴史的に幾多の試練を経験しながらも、近年ますます存在感を高めている。最新の研究成果にもとづき、東アジア史・世界史との連関もふまえつつ、多様な人びと・文化が往来し、東西世界の交流の要となってきた東南アジアの通史を学ぶ」(表紙カバー裏解説)