近年、岩波新書から「××史10講」というタイトルで古代から近現代までの各国通史を新書の一冊で、それぞれ書き抜くという非常に大胆で面白い試みのシリーズが出ている。
そのイギリス版に当たるのが、岩波新書の赤、近藤和彦「イギリス史10講」(2013年)である。新書ゆえ最大でもせいぜい300ページの紙数制約の中で、イギリス史の古代から近現代まで全時代を概説するというのはなかなか難しい仕事だ。企画・執筆依頼を受けて、やり遂げた著者(イギリス史はもちろん、フランス史、ドイツ史の各10講を上梓の先生方)にまずは何より敬意を表したい。通常なら英国通史を書くのに新書一冊では到底収まらず、触れたい歴史事項や説明したい項目内容がたくさんあって、しかし記述の取捨選択を余儀なくされる場面も多々あったであろうし、さすがに執筆に困ると思う。何しろ古代から現代までの長い各国通史を新書一冊にまとめることが、そもそも強引で冒険な企画だと思われる。
そうしたわけで「イギリス史10講」も先史の時代から最近の現代まで書き抜いてはいるが、全10講の中でイギリスの歴史を語る上で必ず絶対に外せない歴史的事項、脱線の傍流話も含む詳しく説明したいと筆者が力を入れている箇所、明らかにここは省略して軽く流している部分もあって記述に濃淡がある。もしかしたら全くイギリスの歴史を知らない初学の方には「イギリス史入門」として分かりづらい部分もあるのかと、一読しては危惧(きぐ)する。さて、本書の表紙カバー裏解説には以下のようにある。
「グローバル化は今に始まったのではない。ストーンヘンジの時代から、サッチャー後の今日まで、複合社会イギリスをダイナミックに描く。さまざまな文化の衝突と融合、歴史をいろどる男と女、王位問題と教会・議会、日本史との交錯など、最新の研究成果を反映した、タネもシカケもある全10講」
「タネもシカケもある全10講」とは何か。著者は何をもって「タネもシカケも」なのか明言していないけれども、とりあえずは読んで楽しんで「タネもシカケも」の著者による仕込みを存分に味わいたいところだ。私の感慨として、以下が本書「イギリス史10講」における「タネもシカケも」の主な読み所であると思われる。
まず先行研究を意識して積極的に、わざと雑多に多彩に挙げている。イギリス史のみならず、一般的な歴史学、社会学、政治学から多彩に引用している。「百年戦争」(2010年)の城戸毅、「近代欧州経済史序説」(1944年)の大塚久雄、「社会思想史概論」(1962年)の水田洋、「社会認識の歩み」(1971年)の内田義彦、「砂糖の世界史」(1996年)の川北稔、「資本論」(1867年)のマルクス、「想像の共同体」(1983年)のアンダーソンなどである。この「イギリス史10講」を入り口にして、後に英国史や社会科学の書籍を幅広く参照し読者に世界史に親しんでもらいたい著者の配慮であり、例えば以下の文章など非常に面白い。
「ちなみに、都市のギルドから離れ、農村工業として成長した毛織物業者に『押しも押されぬ』の進取の気象をみたのは、日本のピューリタン大塚久雄の『近代欧州経済史序説』(一九四四)である。この戦中の書は大航海時代の世界史から説きおこして『国民的生産力』と『民富』を論じ、大東亜共栄圏を批判し、敗戦後の日本国民の疑似プロテスタント的な『勤労の精神』を支えるバイブルとなった」(99ページ)
これは読み手にとって触手が伸びる、なかなかな挑発的な(?)説明不足で突き放した巧妙で上手い書き方である。大塚の「近代欧州経済史序説」をすでに読んでいる人は、もう一度、内容確認のために読み返したくなると思うし、未読な方は詳しく内容を知りたくなり新たに手に取って読みたくなるのでは、と思う。非常に心憎い書き方だ。これこそが著者が本書に仕込んだ「タネもシカケも」の最たるものの一つであろう。
よく書評にて本書での先行研究引用が説明不足の不親切で分かりにくいと激怒する方がおられるが、あれは新書でイギリス全史の紙数制限もあって著者はわざと不親切に無愛想に雑に引用をやっている。あえて大雑把に明らかな説明不足の突き放した記述で、読者が不満に感じれば、この「イギリス史10講」を契機に読者自身が各自、出典の引用文献を調べてイギリス史を本格的に学ぶようになるであろうという計算ずくの誘導で、わざわざ欠陥あるよう非常に突き放した挑発的なわかりにくい引用解説に(おそらくは)最初からしてるのであって、別に立腹するほどのことではない。そういった著者による「不親切」記述の本意を見抜くならば安易に激怒するのは、むしろ野暮(やぼ)というものだ。
またイギリス史を語るに当たって相当に意識して日本史との近接を入れている。例えば「岩倉使節団の米欧回覧旅行とヴェルヌの『八0日間世界一周』の世界一周経路がほぼ重なる」(231ページ)の指摘は面白い。その他「ビートルズ」など音楽や映画の英国サブカルチャーを書き入れイギリス史を概説している点も、本新書における「タネもシカケもある」の趣向の一つだと思われる。
とりあえず一国史の全史を紙数制約のある新書一冊に全10講にてまとめるという企画そのものが無謀であり、冒険である。「新書一冊の少ない枚数で一国史すべてを概説するなど、そんなこと出来るわけないだろう」といった各国史執筆担当者のボヤキが聞こえてきそうである。そこで各人なりに「無謀企画のかわし方、切り抜け方」というものがある。例えば「あえて詳細な親切な解説は断念回避して先行研究や参考文献を多彩に雑多に引用して済ませる」(「イギリス史10講」)、「限られた紙面だが自身が言いたい最新研究の成果を踏まえた歴史の原理的なことを果敢に無理矢理に書き入れる」(「フランス史10講」)、「解説記述の歴史事項を極度に削り内容を易化させて何とかまとめる」(「ドイツ史10講」)などだ。そうした各国史担当の著者らの無謀企画への処し方、切り抜け方が各人各様であり、そこが岩波新書の赤「××史10講」シリーズ企画の当たり具合の面白さだと私には思える。